2015(平成27)年1月11日(日)『成人式』
テレビで東日本大震災の被災地での成人式の様子を報じていた。
震災で娘を亡くしたお父さんが、加工して作った娘(享年16歳)の振り袖姿の写真を持って、成人式会場に来ていた。
お父さんは会場に入らず、外で娘の友達たちが出て来るのを待っていた。
その様子を見ていて思い出す光景があった。
かつて原爆忌(8月6日)に、母と広島・平和公園の川べりにある慰霊碑に行ったときのこと。
当時中学生だった叔父(母の弟)は、建物疎開に動員されて、爆心地付近で被爆し、遺体も見つからなかった。
同じ中学の犠牲者たちを弔う慰霊碑のまわりには、既に高齢になった親たちがたくさん集まっていた。
たまたまその年は、東京にいる叔父(亡くなった叔父の兄)も帰省し、慰霊に同行していた。
亡くなった自分の息子と年齢の近い叔父の存在がわかると、犠牲者の親たちが叔父のまわりに集まって来た。
そして肩や背中を触りながら、
「息子も生きていたらこのくらいになるのか…」
と言って涙を流した。
叔父も神妙な顔をしながら、されるがままに俯(うつむ)いていた。
あの東北の被災地のお父さんも、娘の写真を成人式会場に持参しながら、生きている同級生たちの姿に娘を重ねて見ているように私には感じられた。
死んだ子の年を数える、という。
必要なだけ数えればいい。
そしてその上で、“生きている自分”の“今”を大切にしてほしいと切に願う。