2015(平成27)年12月26日(土)『LGBTH』
通常、LGBTと言えば、
レズビアン(Lesbian:女性同性愛者)
ゲイ(Gay:男性同性愛者)
バイセクシャル(Bisexual:両性愛者)
トランスジェンダー(Transgender:性同一性障害者など)
といった性的マイノリティ(sexual minority:性的少数者)を指す言葉とされている。
個人的には、そういった表面的形態に関して特別な思いはなく、
それがその人にとって“自然”であれば、何も問題はないと思っている。
臨床経験から言えば、
たとえ性的マジョリティ(sexual majority:性的多数者)であるヘテロセクシャル(Heterosexual:異性愛者)であろうと、
歪んだ心の背景から、自己破壊的または他者巻き込み的な異性愛に走るのであれば、十分に病的である。
よって、表面的形態がLGBTHのいずれであっても関心はない。
その背景が“自然”であるか、“不自然”であるかが私の関心事なのだ。
ある女性は、母親の再婚相手の連れ子であった義兄から、長年に渡って性的虐待を受け続けた。
そして二十歳を過ぎたときに、海外に渡って性転換手術を受け、身体的女性性を“切り捨てて”帰って来たという。
その後、女性と同棲しているこの人は、レズビアンなのか、トランスジェンダーなのか。
いや、どちらでもなく、PTSDである。
汚された自分の否定の中に、自分の女性性の否定があったのだ。
“自然”ではない。
だから、こころの治療をきちんと受けた方が良いと思う。
そう、LGBTHの「○○愛」において重要なのは、
前半の「○○」(同性、異性など)ではなく、
後半の「愛」の部分なのだ。
表面的形態はどうだって良いから、まず自分と相手を大切に愛しましょ。