2016(平成28)年9月12日(月)『勁(つよ)くあれ』
パラリンピックの中継を観る。
9月9日(金)の女子走り幅跳び(切断などT44)。
鍛え上げられた体と競技用の洗練された義足をつけたアスリートたちが並び立つ。
素朴に「It’s cool!」と思ってしまう。
まるで違和感がない。
そうなのだ。
彼女たち自身、誇りを持ってパラリンピックに参加し、競技に臨んでいる。
その心持ちが伝わって来るのだ。
代わって、ある朝のバス停。
黒いパグがガードレールにつながれている。
きっと目の前のコンビニで買い物をしている主人を待っているのであろう。
その近くにランドセルを背負った小学校1年生くらいの男の子とお母さんが立っている。
気がつくと、男の子の左上肢は肘関節から先がなく、右下肢は大腿の途中から義足である。
中年女性が出て来て、パグのリードを解(ほど)いたとき、
少年は我慢できずにキラキラした眼で「触(さわ)って良い?」と訊(き)く。
「いいよ。」
思い切りパグの背中や頭を撫でまわす。
気の良いパグもされるがままにしている。
少年はまだ差別や偏見に毒されていないのだと思った。
思わず見知らぬ人に「触って良い?」と言えるのだから。
ああ、これからの人生もそのままで過ごしてほしい、と今までなら願っていたであろうが、先のパラリンピックの中継を観て、少し思いが変わった。
あのアスリートたちもきっと差別や偏見に晒(さら)された経験があるだろう。
しかし、それを経て、あの堂々たる佇(たたず)まいである。
勁くあれ。
今ならそう祈りたい。
「勁」とは「強」と違い、自分がどうであっても自分そのままであることに誇りを感じることをいうのである。