2017(平成29)年2月21日(火)『言語以前』

この仕事をしていながら、なんだが…。

私は言葉というものを余り信じていない。

余り頼りにしていないという方が正確か。

言葉を使っているように見えながら

言語以前のところでセラピーをしていると思っている。

いや、それがなければ、セラピーではないと思っている。

近藤先生のことを思い出す。

いつどこで何を言われたか、余り覚えていない。

しかし確かに覚えていることがある。

いつでもどこでもよみがえる“感覚”というものがある。

師の存在を通して、私の存在が愛され、尊ばれ、生かされた体験だ。

それだけで十分だった。

敏感なクライアントが

懊悩の深いクライアントが

八雲の待合室に入っただけで

時に待合室が混み合って、近藤先生の遺影のある仏間で待っていただいただけで

涙を流し、癒されることがある。

そこに言葉はない。

安っぽい神秘的な話をするつもりはない。

だけど、なんだか知らないけれど、働いているものがある。

そして私自身もまたその働きを受け続けているのである。

2017(平成29)年2月18日(土)『フェロモン』

かつてあづまひでおのマンガの中に、口の中に手をつっこみ、体の中にあるフェロモンの蛇口をひねると、それまでモテなかった男が急にモテるようになる、という作品があった。

いつもそのシーンから連想するのは、以前、精神科外来で診ていた若い女性のことである。

彼女は今ソープランドで働いているといい、そのファッション、化粧、佇(たたず)まいから溢れ出るフェロモンの量は周囲を圧倒するものがあった。

彼女が外来の待合室にやって来た日には、多くの男性患者はその妖気に当てられ、精神症状まで揺れる者が何人もいたため、ファッションだけは露出度の低いものにするようお願いした。

その後相応の年月はかかったが、彼女の不幸な過去にまつわる治療が進むにつれ、彼女の性的な自己破壊行動は徐々に影を潜め、あたかも彼女の中のフェロモンの蛇口が少しずつ閉じて行くように、彼女のファッションも、化粧も、佇(たたず)まいも、性的インパクトの薄いものになって行ったのである。

最後の外来治療で、ごく目立たない女性となった彼女が

「なんか、最近もてなくなっちゃって。」

と言うのに対し、

「大丈夫。本当に好きな人ができたら、今度は適正なフェロモンが出るから。」

といった話をしたのを覚えている。

それを聞いて微笑む彼女の自然な笑顔は、フェロモン抜きで美しかった。

Mission completed.

治療終結である。

2017(平成29)年2月10日(金)『脱糞(だっぷん)』

かつて野口整体の創始者、野口晴哉(はるちか)が、

「なかには、病気になった以上は、自分が大便したい時でも他人が気張ってくれるのが当然だと思っている人があります。

そして…『あの医者が気張らないから俺の糞がなかなか出ない』とかいうようなことを平気でいう。

やっぱり他人にいくら気張ってもらったって、出るのは自分の糞なのです。…

自分の糞は自分で気張らなければならないのです。」

ということを書いていた。

全く同感である。

八雲に来られる人には重々申し上げて来たことであるが、それでも私に丸投げして「なんとかして下さい」という人がなかなか後を絶たない。

考えてみれば、これは八雲における「成長のためのカウンセリング」に限った話ではなく、

医療機関における「治療のための精神療法」においても、あなたが気張らない限りは何も変わらないことは絶対の真実である。

ただ、「成長のためのカウンセリング」においては、「治療のための精神療法」よりも一層本人の自覚的奮闘が求められるに過ぎない。

いずれにしても、“可哀想で無力な私”を使った「病的依存」の先に「健全な自立」はないからね。

あなたがこの世に生まれて来た以上、あなたの中にはあなたになる力が授けられているに決まっているのだ。

私の役目は、代わりに気張ることではなく、

友軍の参謀として、あなたがあなたする力が少しでも発現しやすくなるよう応援することである。

自分の人生の主人公として、自分の人生を取り戻したいのならば、

さぁ、肚(はら)を据えて、気張って行こう!

2017(平成29)年1月31日(火)『提案』

かつて児童専門外来で、初診の3歳の子どもを自閉スペクトラム症と診断したとき、

この子が二十歳になったときの自立生活像を思い浮かべて、治療と療育を考え、進めて行くのが当たり前であった。

それは優秀な療育スタッフがいて初めて可能であったのだが、

現在の東京の実情はというと、

いい加減な診断(誤診のみならず診断の幅が狭すぎる)、

いい加減な療育(無効であるだけでなく、適応させようとするばかりで本人の“特性”を活かすという発想がない)が横行し、

時に比較的良さそうな医療と療育があったとしても、

就学までで終了、学童で終了、18歳で終了がほとんどで、

(一番傍にいる時間が長く子どものことを知っている)親御さんをプロ並みの療育者に育てるとか、

成人・自立までの行程を児童精神科医、療育専門家(臨床心理士)、精神保健福祉士などと一緒に考える

などといったことは、聞いたことがない、という親御さんたちがいまだにとても多いのだ。

そして、できうる限り避けたい事態が、

適切な医療や療育を系統的に受けられなかった子どもたちが(高機能の子を含めて、いや、高機能の子だからこそ先延ばし、放置になりやすい)、

単に成長が遅れるだけでなく、横に逸れる(=誤学習と二次障害を重ねる)こととなり、

思春期以降になって、大荒れになるか引きこもるかしてからの医療機関再受診という経過である。

ここでも、本人に即した医療と療育を受けられた子の思春期以降の経過と、それを受けられなかった子の思春期以降の経過との間に大きな差があることが示されつつある。

いつからでも医療と療育は可能だけれど、わざわざ遠回りをする必要はない。

精神科医療の世界では、既に統合失調症のお子さんを持つ親御さんたちにおいて、

「親亡き後は」そして「親あるうちに」ということが大テーマになっている。

発達障害において同じことを繰り返さない方がいいに決まっている。

最初から自立した生活を目指し、そこから逆算して今必要な医療と療育を考える。

そのために、今からでも徹底的に!通院・通所可能な医療機関や療育機関、日本自閉症協会(高機能も含む)、発達障害者支援センター発達障害情報・支援センターTEACCHプログラム研究会などの情報を集め、比較し、活用しよう。

情報の差が未来を分けることもある。

今私は児童専門外来を離れ、八雲でも家族相談は行っていないが、見聞きするに堪えない状況があるため、今回はせめて「こういう見通しを持ってはいかがですか」という提案として記した次第である。

そして最後に特に強調しておきたいのは、

親御さんが踏ん張って関わって行くためには、

自分自身を支えてもらう場も必要だということだ。

自分がエネルギー切れになっちゃあ、子どものために動けないからね。

まずは自分のことから。

大切なことはいつも同じなのであった。

2017(平成29)年1月15日(日)『成長のための精神療法、治療のための精神療法』

当研究所で行っている「成長」のための精神療法と、医療機関で行われている「治療」のための精神療法との違いについては度々触れて来た。

度々触れて来たということは、八雲での面談を希望される方々の中に度々誤解があったということである。

今回は特に「かつて精神科医療機関で治療経験のある方」が当研究所での面談を希望された場合について記(しる)しておきたい。

まず「かつて精神科医療機関で治療経験がある方」の利点としては、

八雲のような精神科医によるカウンセリングを利用することに抵抗が少ないことが挙げられる。

初めて精神科を受診したときの「敷居の高さ」や「勇気」からすれば、

当研究所に面談を申し込むことなどはなんでもない。

本来、市民が専門家によるカウンセリングを利用することは、当ったり前のことなのであるが、我が国はアメリカより60年以上は遅れているようだ。

その抵抗が少ないことが第一の利点。

では反対に、「かつて精神科医療機関で治療経験のある方」が冒しやすい過ちは何か。

それはセラピストになんとかしてもらおうとするところである。

「治療」においては、例えば、外科医に手術してもらうときのように、「治して下さい。」と丸投げしてお願いするしかない場合も多い。

しかし、「成長」においては、成長しようとする主役はあくまであなたであり、セラピストは脇役の一人に過ぎない。

それを「かつて精神科医療機関で治療経験のある方」は、「先生、なんとかして下さい。」と「治療」モデルそのままでいらっしゃる場合が少なくないのである。

それは大きな間違いです。

あの正月の箱根駅伝を思い浮かべてほしい。

私ができるのは、走者が最高のパフォーマンスを発揮できるようサポートする監督の役目である。

あなたの人生を走れるのはあなただけだ。

しかも、監督から何も言われなくても自分で練習を工夫し、自分のために走り込んでおくのは当たり前なのである。

監督から「今日は30km走ろうか。」と言われて、「望むところだ!」くらいに応じられなければ、とても「成長」はできない。

もし「成長」への意欲と実行力がないのであれば、あなたが行くところは、当研究所ではなく、「治療」のための精神療法を行える精神科医療機関ということになる。

念のために付け加えておくならば、「治療」が必要なときには、みっちりと「治療」を受けなければならない。

足を怪我しているのに30km走ってはいけません。

ここのところを、どうぞお間違えなきように。

2017(平成29)年1月12日(木)『森田療法再考』

森田療法においては「あるがまま」や「生の欲望」が強調される。

また「かくあるべし」が否定されるのはご存知の通りである。

しかしそこに誤解や曲解が入り込む隙間がある。

例えば、ある人が対人恐怖(DSM-5でいう社会不安症/社会不安障害(社交恐怖))で悩んでいたとする。

人前で話そうとすると、緊張して体が震え、頭の中は真っ白になり、言葉がつかえてうまくしゃべれない。

そんなとき森田療法では、例えば、「恐怖突入」し、震えながら・つかえながらでいいから伝えるべきことを伝えよ、と教える。

それはひとつの事上練磨として異論はないが、その背景にある「人前で冷静で流暢にしゃべりたい。」という気持ちを「向上心」ととらえ、それは「生の欲望」であるというのに私は違和感を覚えるのである。

それは「生の欲望」どころか、単なる「我欲(自己中心的欲望)」であり、「ええかっこしーの虚栄心」「他者評価の奴隷」という、それこそ神経症の産物に他ならない。

本当の意味での「生の欲望」とは、根源的な「生命(いのち)の促し」であり、神経症的な状態を超えて「あなたが本当のあなたでありますように」という深い「働き」のことを指している。

ここを間違えてはならない。

「あるがまま」とは、神経症のままになり切ることに意味があるのではなく、観念して自力のはからいを捨て去ることに意味がある。

そのとき、本当の意味での「生の欲望」=「生命(いのち)の促し」のまま=他力におまかせできるようになるのである。

不思議なことに、「ええかっこしー」をやめた途端、「人前で冷静で流暢にしゃべ」れていたりする。

そういうところこそが森田の妙味なのだ。

そしてもうひとつ、「かくあるべし(〜であるべき、〜でなければならない)」についても言うならば、

埋め込まれた神経症的な見張り番から来る「かくあるべし」は確かに御免(ごめん)蒙(こうむ)りたいが、

本当の意味での「生の欲望」=「生命(いのち)の促し」から来る「かくあるべし」があることも忘れてはならない。

ある森田療法のセラピストが、相談に訪れたあるクライアントに好意を抱いたとする。

そこで、いわゆる「境界侵犯」をおかして情欲に走ることは、もちろん永久追放ものであるが、

それが倫理規定上「セラピストたるものそんな不埒(ふらち)なことをするべきではない」からという理由だけから「しない」のであるとすれば、

森田療法を誤って学んだ者は、そういう「かくあるべし」に対して密かな反発を抱き(神経症者は「かくあるべし」に隷属して生きて来たため、「かくあるべし」に対して実は非常な反抗心も抱いている)、「あるがまま」を盾に「境界侵犯」に走る危険性がある。

しかも、小心な森田神経質者は巧妙に“関係”を隠蔽しながら。

その「あるがまま」が「我欲」のまま、「わがまま」の垂れ流しであることは一目瞭然であろう。

森田療法を中途半端に学んだ者には「わがまま」の垂れ流しに堕ちる危(あや)うさがあるのである。

そしてここで改めて付け加えたいのが、本当の意味での「生の欲望」=「生命(いのち)の促し」から来る「かくあるべし」があるということである。

生命(いのち)の声は言う。

「相手から性的、精神的に搾取するのはやめよ。」

「己を貶(おとし)めるのをやめよ。」

これは頭の上から抑えつけられる「かくあるべし」ではなく、肚(はら)の底から湧き出して来る「かくあるべし」、即ち、本当の意味での「生の欲望」=「生命(いのち)の促し」からくる「かくあるべし」なのだ。

それでは、最後に練習問題をひとつ。

あなたが森田療法のセラピストとして、あるクライアントが相談に訪れたとする。

先の例と反対で、そのクライアント相手だと余り熱意が湧かず、どうも相談に身が入らない。

あなたならどうする?

1 セラピストとしての「かくあるべし」=あるべき姿に反発し、身が入らないままを「あるがまま」と思い、テキトーな相談を行う。

今すぐやめろ、である。

2 セラピストとしての「かくあるべし」=あるべき姿に従い、我が身に鞭打って頑張って相談を行う。

まあまあである。

3 本当の意味での「生の欲望」=「生命(いのち)の促し」からくる「かくあるべし」を感じることを願い、祈りながら、一所懸命に相談を行う(そして気がついてみれば身が入っていた)。

3こそが正解である。

しかし、今すぐそれが難しい人は、せめて2を保ちなさい。

いずれにせよ、何事においても、似非(えせ)モノはいらない。

森田の本質を追究すべし。

2017(平成29)年1月7日(土)『苦労の為所(しどころ)』

就職の相談をしばしば受ける。

私に相談されるのだから、鈍感な人たちではない。

私がよく使う譬(たと)えがある。

「釘を踏んでも痛くない人はどこでも歩ける。

しかし、マトモな人は靴にちっちゃな石が入っていても痛くて歩けない。」

鈍感な人は、どこでも誰とでも働ける。

敏感な人は、職場を選び、人を選ばなければならない。

前者は、強いのではない。

馬鹿なのである(失礼)。

後者は、弱いのではない。

マトモなのである。

よって、後者の方たちは、就職において、苦労の為所を間違えてはならない。

自分に合わない職場でイヤなヤツらと働くことに苦労する、というのは絶対にやめた方が良い。

必ず具合が悪くなる。

自分に合う職場、自分に人的環境を探すのに苦労する、というのが正解である。

以前、就活は300社から、ということを書いた。

300社が3000社になっても関係ない。

職場をいくつ転々としようが関係ない(職務経歴書なんぞはテキトーに書けば宜しい)。

合わないところで自分は働けないのだ、ということに観念した方が良い。

また、独立性の高い資格を取る、という方法もある(もちろんやりたい内容に限るが)。

そのための勉強に苦労する、というのもありだと思う。

いずれにしても苦労の為所を間違えてはならない。

あなたの人生を大切に生きるために。

2016(平成28)年12月31日(土)『除夜の鐘』

捨てられない執着がある。

医学的なものに対する執着である。

精神療法家なら

精神療法一本でやれば良いものを

薬物療法が捨てられない。

いまだに新しい処方のガイドラインやハンドブックなどを読み続けている。

身体的所見の取り方も捨てられない。

ほとんど身体的な所見を取ることはないのに

フィジカルアセスメントの本などを読み返している。

さらに医学的な処置の基本手技も捨てられない。

処置を行うことはまずないのだが

基本手技のDVDなどを見直している。

いつになったら諦め切れるのか

いつになったら精神療法一本に踏み出せるのか。

そのためには、もう少し年を取る必要がありそうだ。

年を取ったら自ずと観念できるかもしれない。

そして今日は大晦日。

除夜の鐘で百八つの煩悩が消えるとは思えない。

除夜の鐘はむしろ煩悩の存在を自覚し

自分が凡夫であることを思い出すためにあると思っている。

そして煩悩そのままに凡夫を救済していただけるのが大乗仏教の有り難さ。

おまかせして共に救われましょうぞ。

 

どうぞ良き年をお迎え下さい。

2016(平成28)年12月24日(土)『Merry Christmas!』

医学部の学生だった頃、バカボンたった私は元麻布のマンションに住んでいた。

しかし当時、神経症的な懊脳は深く、通学もまばらで、引きこもりがちな生活を送っていた。

そしてクリスマスイブ。

恋人はもちろん、共に騒ぐ友だちもなく、いつものように鬱々とした一日を過ごしていた。

日も落ち、身の置きどころのなさから、たまらず夜の街に飛び出した。

歩いて六本木は目と鼻の先。

イブの賑(にぎ)わいの中に身を置けば、いくらか苦悩が紛れるかと思ったが、煌(きら)めきと嬌声(きょうせい)に晒(さら)される度、孤独は一層深まった。

さらに足を止めることができず、道から道、路地という路地を歩き回る。

そして夜も更(ふ)け、六本木の外れを、俯(うつむ)ながら速足(はやあし)で歩いていたとき、正面から何かにぶつかった。

暗闇の中に浮かぶ大きな黒い影。

二つの白い目が光る。

巨漢の黒人男性だった。

固まって立ち尽くす私。

一瞬置いて

「Merry Christmas!」

白い歯が笑う。

そしてウィンクして立ち去る彼の背中を見送りながら

その瞬間だけは私の孤独が消えているのを感じた。

クリスマスは私にもやってきた。

 

 

そして今年あなたにも

Merry Christmas!

2016(平成28)年12月18日(日)『プロと似非プロと素人と』

カウンセリングやサイコセラピーに通っている人に対し、(頼んでもいないのに)そんなところに通わなくても、こう考えてああやって生きて行けば良いんじゃないの、と言って来る人がいる。

悪意ではないと思うのだが、私に言わせれば、そういう人たちの大半が(自覚もなく)“適応して生きて来た神経症”の方々である。

従って、そういう人たちは自分がやって来た神経症的なやりくりの仕方を他人に教えることしかできない。

よって、それらは役に立たない。

悩める人たちは、あなたのように、感覚麻痺を使ったり、魂を売り渡したりして、平気で思ってもいないことを言ったりやったりすることができないから苦しんでいるのである。

それができればとっくにやっている。

しかしながら、彼ら彼女らは自分の問題を自分では解決し難いのが事実である。

従って、プロの手伝いが必要ということになる。

但し、プロにもいろいろいる。

自分自身の問題と向き合って解決するということを経験しないで、医師免許や臨床心理士資格を取り、せいぜい文献を読み、たまに勉強会に出たりしただけで、カウンセリングやサイコセラピーをやっている人も少なくない。

だから、どういう人に相談するかは選ぶ人の責任ということになる。

そこで私は、

(申し訳ないけれど)そこらの訳知り顔の兄ちゃん姉ちゃん、おっちゃんおばちゃんではなく、

(申し訳ないけれど)ちゃんと自分と勝負していない精神科医や臨床心理士でもなく、

きちんと自分の問題と向き合い、突破して来た経験を持つ(=ということは自らもそういうカウンセリングや精神療法を実際に受けて来た)精神科医や臨床心理士によるカウンセリングや精神療法をお勧めする次第である。

この道は甘くない。

2016(平成28)年12月16日(金)『試験対策委員』

学生時代、試験対策委員という役割があった。

学生有志が試験科目(内科、外科、精神科…など)に関する情報や過去問を収集し、

要点のレジュメや過去問の模範解答を作成して、クラスメートに配り、全員合格を期するのであった。

医学部では勉強すべき量が膨大であるため、こういう相互扶助の活動はなかなかに有用である。

そして試験対策委員の役目を引き受ける人間の多くは、人の良い連中であった。

というのは、委員を引き受ければ、情報取集やレジュメ、解答作成に多くの時間とエネルギーを割かなければならなくなり、とても割が悪いのである。

そして一部の計算高いヤツらは、決して試験対策委員には手を挙げず、

自分が恩恵を受けるだけどころか、先輩などから得た試験情報は自分のところに留め、他に明かさなかった。

そういうセコいヤツが本当にいるんだといいうことを知った。

しかし、臨床の現場に出たとき、両者の差は、思いもしない形で表れた。

そう、利己的なヤツらの臨床はやっぱり利己的であり、患者さんに寄り添ってはいなかった。

そして、人の良い連中の臨床はやはり人が良く、患者さんに寄り添うものであった。

どちらが患者さんに信頼され、支持されたかは、言うまでもない。

高校のとき、点数が良かったから、医学部に進みました。

それだけじゃあ、医師免許証は取れても、マトモな医者にはなれないんだよね。

そして当時の試験対策委員たちの多くは今も、それぞれの現場で、人が良く、割の悪いことをやっているのであった。

そういう拙さを愛すべきであろうと私は思う。

2016(平成28)年12月5日(月)『臨床』

痩せたプリン金髪の29歳の女性。

顔色悪く、肌も荒れている。

手首にたくさんのリストカットの痕(あと)。

継父は2人います。

小さい頃から性的虐待をされて来ました。

落ち着きがなかったので

お母さんからはよく叩かれました。

小学校高学年から不登校です。

家にもいられないから、仲間たちと万引き、シンナーをやって、ラリッてるところを回され(集団レイプされ)ました。

中学からは年齢を隠して水商売や風俗で働きました。

援交、愛人をやって、3回堕しました。

悪いおじさんから覚醒剤も教えられ、タトゥーも入ってます。

あ、2回離婚してて、前の前の旦那が7歳になる息子を育ててます。

もう5年会ってません。

覚醒剤の後遺症なのか、時々幻視や幻聴がひどくなって、暴れて2回措置入院になりました。

通院も入れると十カ所以上の精神科にかかって来ました。

 

精神科医であろうと、精神保健福祉士であろうと、臨床心理士であろうと、看護師であろうと、作業療法士であろうと、

精神科医療関係者で、初診でこういう経緯の女性に逢ったとき、

面倒臭いと感じる人は、臨床に向いてないかもしれない。

さて、一緒に健康な人生を取り戻しますか、と思える人は臨床に向いていると思う。

2016(平成28)年12月2日(金)『酒の席』

そもそも、アルコールの作用というのは、我々の中の見張り番を麻痺させることにある。

基本的に「酔っぱらいは正直」になるだけのことであって(但し「異常酩酊」を除く)、

酔った上での言動は、その人が抑圧していた本音が出て来たのだということになる。

かつて私の勉強会後の懇親会で、一人の女性が、他の参加者がほろ酔い加減になったのを見て

「あ〜あ、酔っちゃって。」

と小馬鹿にしたような言い方をしたことがあった。

私は見逃さず、

「あなたの親をこの会に連れて来るな。猛省せよ。」

と注意したことがある。

自分が親から埋め込まれた見張り番がイヤで勉強会に参加したにもかかわらず、

他者に対して上から目線の見張り番を発揮させるとは何事か、というわけである。

神経症に呑み込まれて自覚のない一般ピーポーの酒の席なら仕方ないが、私の席ではアウトである。

しかし、酔った側も、酔ったことに託(かこ)つけて、何でも垂れ流せば良いというものではない。

見張り番が外れたところで、

「わがまま」(我の垂れ流し)に堕(だ)するのか、

「あるがまま」(本来の自分)を解放するのか

が試されることになる。

そう思うと、これからちょうど忘年会シーズン。

絶好のワークのチャンスが待っている。

そして最終目標は、アルコールの助けを借りずとも、

いつでもどこでも本来の自分でいることである。

2016(平成28)年11月22日(火)『それもイネイブリング』

イネイブリング(enabling)とは、アルコール依存症や薬物依存症において、当事者に近い者(パートナー、親子、恋人、友人、医療福祉関係者など)が本人のやらかしたことの尻拭いをしたり、過剰に面倒をみてしまうために、却ってアルコール依存や薬物依存を続けることを“できるようにしてしまう(enable)”ことを意味する。

これはマズイよね。

相手のためと言いながら、実は自分のためなんだよ。

即ち、誰かの役に立っている自分に浸(ひた)りたいためであって、結局、相手のためにもなってない、いやいや、むしろ有害である。

そしてこれが起こるのは依存症場面だけではない。

八雲に来ているある人が、気の毒な人にこんな良いことをしてあげました、という話をされた。

聴くと、それは相手から

「私、今、大変だから○○して下さい。」

と言われてそうしたのではなく、ただ大変そう、辛そう、しんどそうな素振りを見せられて、

その表メッセージに込められた“○○してほしい”という裏メッセージを読んで、いかにもその人が喜びそうなことをしてあげたのであった。

そして、してあげた方、してもらった方、双方が笑顔になる。

あ゛ー、気持ち悪い!

そんなこともわかんないようじゃあ、

そんなことをしてしまうようじゃあ、

八雲に来ている意味がない。

そもそも察して合わせて魂売って(相手にとって都合の)良い子をやって来た過去がイヤになって、八雲に来たんじゃなかったの?

これは極めて初歩的な問題である。

幸い彼女は言われてわからないほど愚かではなかったので、耳たぶまで赤くなるほど恥じ入り、誰に対しても二度と察してやらない(してあげるのは相手から明確な意志表示をされた上でこちらがおかしな意図なく納得した場合のみ)ことを肝に銘じたのであった。

特に対人援助職に多く見られるこの神経症的コミュニケーションとしてのイネイブリング、

必ず絶滅させるべし。

2016(平成28)年11月16日(水)『開業する後輩へ』

後輩が精神科クリニックを開業した。

たまたま逢う機会があったので、お祝いを言おうとしたら、私の顔を見るなり、

「松田先生、聞いて下さいよ。」

と憤懣(ふんまん)やる方ない顔で話し始めた。

彼が同窓生たちに開業を知らせたところ、既に開業していた先輩の内科医から

「精神科は良いよなぁ。レントゲンとか設備投資がなくて安直に開業できるから。」

とイヤミを言われたらしい。

程度の低い話だが、カチンと来た彼は

「機械だけで診断がついて薬だけで治る科は楽ですよね。」

と言い返したそうな。

まずまずのリターンである。

なんでもその先輩は、開業してもなかなか患者さんが増えなくて経営に苦労していたのだという。

その性格だと来てくれないかもしれんな。

少なくとも、何科であろうと、初期費用がかかろうとかかるまいと、志のない開業ならやらない方が良いんじゃないかな、と私は思う。

金儲けだけしたいのなら他にいくらでも道はあるよ。

ちょっと成績が良くて高収入が得られそうだから医学部に進みました。

いつになったらそんな連中がいなくなるのだろうか。

「現実は大変なときもあるけど、そのときなりの自分なりの精一杯で、やりたかった医療をやりなよ。」

それが私から彼への開業の餞(はなむけ)の言葉であった。

志なくして何の人生か。

2016(平成28)年11月9日(水)『感想』

一人ひとりの人間は愚かでも、たくさんの人間が集まれば、叡智が生まれ、正しい選択がなされるものと信じて来た。

しかし、2014(平成26)年の東京都知事選。

小泉純一郎の推す細川護熙が脱原発を謳って立候補し、あの舛添要一に敗れたとき、

私も細川は好きではないが、それでも都民は日本が原発廃止に向かう千載一遇のチャンスを失うことになった。

「東京都民は馬鹿だ。」

本気でそう思った。

そして今回のアメリカ大統領選。

「アメリカ人は馬鹿だ。」

本気でそう思った。

民主主義は衆愚政治の時代に入ったのだろうか。

いやいや、賢明なる市民が巻き返しを図るものと信じたい。

2016(平成28)年11月7日(月)『おねえちゃん』

八雲の緑道を走る姉弟。

おねえちゃんは年中さんくらい。

幼稚園の制服を着ている。

弟は3歳前くらいか。

走る足元がかなり危なっかしい。

差がついたところでおねえちゃんは弟を待つ。

また走り出すが、弟が転ばないか案じて何度も振り返る。

自然な弟への思いやりが伝わって来て、温かい気持ちになる。

少し後から若いお母さんがベビーカーを押しながら追いかけて行く。

 

数ヵ月後、また同じ姉弟を見かけた。

やっぱり走る二人。

先を行くお姉ちゃんが弟の方を振り返る。

そして次の瞬間、前にはなかったことが起こった。

おねえちゃんが弟を見た後、うしろから来る母親をチラッと見たのである。

私は思わず瞑目して嘆息した。

見ること自体に何の問題もないが、その視線と表情には

「わたし、こんなに弟のことを気遣ってるんだよ。エラいでしょ、ママ。ほめて。」

と書いてあった。

評価を意識した配慮は偽善に堕(だ)す。

そこに自然な弟への思いやりはなかった。

きっとお母さんが「褒めちゃったのかもしれない。

 

自分の言動を対象化して見ることができるようになることは、成長と言えば成長なのだけれど、時にその子(人)の自然さを奪うことになる。

また再び自然な姉弟の思いやりが復活してくれることを願う。

手垢の着く前の、その人の本来性の復活、それが私が大切に思っていることのひとつです。

2016(平成28)年10月24日(月)『光』

ゾロアスター教の神アフラ・マツダ(アフラ・マズダ―)は光の神。

砂漠での光と闇のコントラストを知る人たちにとって、光は圧倒的な力として感じられたことだろう。

エジソンが発明したランプが、マツダ・ランプという名前で販売されたのは、マツダ=光に由来する。

闇を照らすランプの灯りがどれだけの人をホッとさせたことだろう。

マツダはスペルでいうと mazda。

そう、車のマツダは、創業者一族の名前と光をかけた名前なのだ。

そしてアフラ・マツダの影響を受け、仏教で成立したのが阿弥陀仏。

別名を無量光如来、際限なき光の仏である。

『旧約聖書』創世記には、「神(かみ)光あれと言給(いいたまひ)ひければ光ありき。」とある。

聖書の冒頭に相応しい言葉である。

これ以上、引用話はいいだろう。

我々としては、今ここで、そして、何時(いつ)でも何処(どこ)でも、光に照らされている自分を感じることが必要なのだ。

人は当てにならん。

この世は当てにならん。

しかし、その光だけは当てになる。

絶対に裏切らない。

私を包み、守り、育み、救う光。

その光があれば生きていける。

我々にすぐに「照明体験」が与えられるわけじゃないけれど、

少なくとも普段の深い呼吸、座禅、瞑想の中で、光に照らされているイメージを持たれることを強くお勧めする。

何日、何週間、何ヵ月、何年と続けるうちに、やがてそのイメージは実感を持ち始める。

2016(平成28)年10月7日(金)『ひとがた』

神道では古くから形代(かたしろ)の伝統がある。

神を祭るとき神霊の代わりとして据えたものであるが、

禊(みそぎ)や祓(はらえ)をするときに、人間の身代わりとして用いる人形のことも形代と称した。

これで体を撫(な)でたり、息を吹きかけて、罪、穢(けが)れ、災いを形代に移して川などに流したのである(後世の流し雛(びな)の原形)。

形代は、人形(ひとがた)、撫物(なでもの)とも言われ、現在では紙製のものが多いが、今どきの人には、『千と千尋の神隠し』や『陰陽師(おんみょうじ)』でのシーンの方が有名か。

いずれにしても、形代にはいろいろなものが移り入るイメージがあり、俗には「念が入る」という言い方もされて来た。

例えば、愛玩された人形(にんぎょう)などには、そんな気はなくても、持ち主の念はたっぷりと入っている気がする。

お寺や神社で人形供養をやっているところがあるが、まだ念の残っている人形たちがズラッと並んでいる光景はなかなか鬼気迫るものがある。

かつて近藤先生から、後醍醐天皇の念持仏を見る機会があったがそれは凄まじいものであった、と伺ったことがあった。

私の手元にあるビスクドール(亡母の形見)も、作られてから百数十年の間、フランスから日本に至るまで、何人もの持ち主の手を経て来たはずであるが、これは非常に穏やかな顔をしている。

そう、入るのは悪いものばかりではない。

その最たるものが仏像である。

稀に造られた当初から霊性の高いものもあるが、仏像の多くは人に拝まれて本物の仏像になっていくところがある。

造形物ですら、そうなのだ。

生きた人間なら尚更だろう。

人は

愛されて

大切に思われて

拝まれて

本当の人間になっていくものだと思う。

初めて子どもが生まれたとき、思わず手を合わせて拝みたくなるような衝動に駆られる人は少なくない。

いつまでもそういう気持ちでいてほしいと願う、自分自身に対しても、大切なあの人に対しても。

そうして初めてあなたは安心してあなたになり、あの人もあの人になっていけるのだと思う。

2016(平成28)年10月4日(火)『信頼か幻想か』

かの親鸞が師の法然に対して

「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。」

(たとえ法然聖人に騙されて、念仏して地獄に落ちたとしても決して後悔はしません。)

という徹底した“信頼”を寄せていたことはよく知られている。

私もまたそれくらいじゃないと誰かを本当に“信頼“していると言えないんじゃないかと思っている。

例えば、近藤先生から「松田くん、これを飲みたまえ。」と差し出されたものがたとえ毒であろうと、私は迷わず飲むであろうし、もしそれで死ぬなら死んで全く結構なのである。

それは、近藤先生が飲めというからにはきっと体に良いものだろうと“信頼”して飲むわけではない。

そこのところの違い、おわかりいただけるであろうか。

これは近藤先生個人に対する“盲信”の話ではないのである。

近藤先生を通して働いているものへの“信頼”、またそれを感じ取る自分を通して働いているものへの“信頼”の話なのだ。

親鸞の法然に対する“信頼”も、畏(かし)こくも、有り難くも、そのような“信頼”であったと信ずる。

そう。本当の“信頼”とは“おまかせ”のことであった。

以前、あるフロイト派の精神分析家が、そういう“信頼”関係の話を聞いて、「それは共同幻想なんじゃないか。」というようなことを言っていた。

だから鈍感なヤツは嫌いなのである。

自分にそういう体験がないからといって、自分は正しく相手がおかしいと思うこのド厚かましさ。

人間と人間との間の本当の“信頼”を体験していない人間が“専門家”と称してサイコセラピーをやっていること自体に嫌悪感を覚える。

人間としてこの世に生まれて来たからには、本当の“信頼”を体験して生きて死にたいと私は心から思っている。

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