2013(平成25)年11月14日(木)『当たり前の剥奪』

子どもの頃、

三度の食事が出てくるのが当たり前じゃなくて
いつもお腹を空かせてた。
たまに食べ物があると、一遍に詰め込んで窒息しそうになったこともあった。
必要なものは、みんな万引きで揃えてた。
お金なんて、気まぐれでしかもらったことがなかった。
万引きするのもなんとも思わなかった。
自分よりも弟や妹に食べさせたかった。
毎日お風呂に入れるのが当たり前じゃなくて
洗濯してもらえるのが当たり前じゃなくて
着替えるのも当たり前じゃなくて
いつも臭いと言われてた。
家に帰ったら
布団の上で寝られるのが当たり前じゃなくて
それどころか、戸が開いているのも当たり前じゃなくて
そんな夜は、アパートの階段の踊場でランドセルを枕にして寝た。
自分の存在が誰かにとって必要なんて
大切なんて
思えなくて
思ったことなくて
自分を大事になんかできなかった。
みんな子どもたちにあった本当の話。
誰がこの子たちにこんな思いをさせたのか。
絶対に許してはならない。
「当たり前」のことを剥奪していく虐待、根絶すべし。

2013(平成25)年11月12日(火)『ホーナイの系譜』

毎月ホーナイの勉強会を開催している。

これを始めた元々のきっかけと言えば、近藤先生と『ホーナイの最終講義』(岩崎学術出版社)の出版準備をしていたときにまで遡(さかのぼ)る。

師と話し、ホーナイの苦労の跡(あと)の観える講義録を読み、彼女がいかに正当に理解されて来なかったかを実感したのを覚えている。

そしてその師が亡くなり、改めて著作を読み直し、ホーナイ派の世界の現状を知るにつけ、こりゃあ、何かしなきゃならんな、という気持ちになった。

勿論、私の中の“ホーナイ”というのは、いわゆる「ホーナイ正統派」(Horneyan orthodox)たちがよしとする『神経症と人間の成長』を書いた時点での“ホーナイ”ではなく、近藤先生に逢い、来日された「後」の、最終到達点での“ホーナイ”のことを指している。

「ホーナイが歩んで来た道」と「ホーナイが目指したもの」を明らかにするために、全著作の要点をワープロに打ち込み、まとめては、勉強会で紹介し、ディスカッションする作業を何年にも渡って続けて来た。

その内容がただ面倒臭い観念的なものではなく、誰でもがハッとするような直観的なものであることは、次の事実によって証明されている。

他人を分析する知識だけが欲しい人や、まだ自分のことを深く見つめたくない人は参加されてもすぐに脱落し、自分自身を真摯に見つめて成長して行きたい人は、こういう勉強が全く初めての一般市民の方でも参加を継続されているという事実だ。

この傾向は、恩師にもホーナイにも恥ずかしくないものであると信ずる。

時が熟した人、心の準備のできた人から、参加して下されば、ホーナイもきっと喜んでくれると私は思っている。

私は私の役割を果たして行くのみだ。

2013(平成25)年11月10日(日)『トンズラの天命』

坂本龍馬が好きである。

龍馬の逸話には事欠かないが、その「勝負」のときのエピソードが面白い。

幕府軍だろうが大軍だろうが、少ない手勢で一気呵成(かせい)に攻め込むさまは、勇猛果敢極まりないものを感じさせるが、いつもそうだとは限らない。

こりゃ負けだ、と見抜くと、一瞬にして天命を感じ取る(と私は勝手に思っている)。

即ち、そこで死ね、という天命か、今はとっととトンズラして生き延びろ、という天命かを見抜くのだ。

元より命は惜しくない。

いつ斬られても結構だし、いつでも腹は切れる。

自分の命と思っていないだけに、却ってどう使うかが大事なのだ。

よって、逃げるときはスパーッと逃げる。

宝物を守るように逃げる。

今生(こんじょう)での天命を果たすまで守り切る。

戦って逃げて、逃げて戦って、日本の基礎を作って、龍馬は斬られて死んだ。

われわれも戦い時と逃げ時を直観で感じ取るべし。

無駄に生きてもならんが、無駄に死んでもならんことを覚えておくべし!

2013(平成25)年11月8日(金)『全力少女』

近所を歩いていたら、若いお母さんと3歳くらいの女の子が出かけるところに出くわした。

「サキちゃん、セブンイレブンに行こうか?」
とママに言われ、サキちゃんは一旦しゃがんで、両手を空に突き出しながらジャンプして、
「行っくーっ☆」
と嬉しそうに声を挙げた。
そして
「行く行く行く行く!」
と屈伸運動している。

さらに
「パパにも何か買って帰ってあげよっか?」
と言われ、今度は左足を軸に全身で3/4回転しながら、
「あっげるー♪」
今度は勢い余って塀に蹴りを入れている。
「キックキックキーック!」

そしてママが明るく
「歯医者さんに行ってからね〜。」
と言うと、いきなり地面にドッと倒れ伏し、
「イヤぢゃーっ!!」
と絶叫してワンワン泣き出した。

全力で生きてるな、こいつ…。

2013(平成25)年11月6日(水)『思いやり』

ある女の子が若年性関節リウマチを発症した。

余りの痛がりように、父親が心配して言った。

「変われるものなら、パパが変わってやりたいよ。」

娘が即答した。

「いい…この痛いのは、ちょっと辛いから。」

計算してしゃべってるんじゃない、このまっすぐな思いやり。

こういうのは効くな。

2013(平成25)年10月14日(月)『青虫物語 EpisodeⅡ』

◆昆虫の苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。

先月のこと、庭に出ていたら、ひらひらと飛んできたナミアゲハが目の前のルー(ハーブの一種、ミカン科)の葉にとまって卵を産み付けた。

そうなると何故か自分に卵を託されたような気になって、今年もまたナミアゲハの飼育が始まった。

そしてその母ナミアゲハが飛び去った後、5個の卵を葉っぱごと室内に取り込む。

やがて4匹の幼虫が孵化(ふか)したが、1つの卵はかえらず、早くも“生きていく”ということの難しさを感じる。

専門家によれば、100個の卵のうち、蝶になれるのは1匹だけだという。

そしてお世辞にも可愛いとは言えない黒地に白V字の4匹の幼虫は、4回の脱皮を繰り返し、1齢幼虫 → 2齢幼虫 → 3齢幼虫 → 4齢幼虫から、ようやく緑色で可愛いらしい(と私は思う)終齢幼虫となった。

ナミアゲハ2.jpg

この間、餌となる柑橘系の新しい葉の補給が大変である。

そして4匹すべてが蛹化(ようか)し、立派な蛹(さなぎ)となった。

しかし、喜んでいたのも束の間、哀しい事件が起こる。

4匹のうち3匹が寄生バチにやられ、蛹のままかえらなかったのである。

毎回葉っぱは洗ってから与え、去年はすべての蛹が羽化できたのに…。

残りの蛹はたった一つ。

ナミアゲハ3.jpg

“生きていく”ことは当たり前ではないのだとつくづく思う。

ここまで来て、できることは見守ることのみ。

そしてある早朝、見ると、羽化したばかりのナミアゲハが枝にとまっていた。

よしっ!!!

それから飛べるようになるまでの3時間、手にとまり(手乗りナミアゲハはとても可愛い)、バラの花にもとまらせ、そのときを待つ。

ナミアゲハ4.jpg

やがて窓を開け、ナミアゲハを手に乗せたまま外に出ると、待っていたかのように一陣の風。

ふわっと宙に舞ったかと思うと、一気に高く飛び立って行った。

振り返らずに、まっすぐ飛んでいくさまが良い。

これからあと2週間の命。

ナミよ、生を謳歌すべし!

これで今年の長い夏が終わったのである。

2013(平成25)年7月1日(月)『金言』

福祉関係の仕事に携わっている人たちから、食べて行くのが大変だという話をよく聞く。

対人援助職自体、甘くないことは重々承知しているが、

低賃金、長時間労働といった労働条件のひどさは、経営者が悪徳か、工夫が足りないためじゃないかと常々私は思って来た。

どうも福祉関係者には清貧をよしとする悪しき習慣もあるような気がする。

そこにつけこまれて悪徳経営者に従順な職員が搾取されている例や、経営者自身も報酬なしでヒーヒー言いながら働いている例を散見する。

それで次第に疲れ果て、質の悪いやっつけ仕事に堕ちてしまっては、そもそもなんのために福祉職についたのかわからない。

経営者・職員共に、志のある仕事をして、十分な報酬を得られるようにしなければならない。

二宮金治郎曰わく(伝)、

「道徳を忘れた経済は罪悪である。

経済を忘れた道徳は寝言である。」

金ちゃん、いいこと、言うじゃないの。

志ある福祉関係の経営者よ、優秀な社会起業家たれ。

そして福祉業界に(悪徳でなく)敏腕の経営者がもっともっと増えていただきたい。

個人的意見だが、特に介護職(&付け加えたいのは保育士)は、今よりももっともっと“経済的に”リスペクト(尊敬)され、アドア(憧れる)される(そしてもちろん提供する内容の質も高い)職種でなければならないと私は思っている。

2013(平成25)年6月26日(水)『骨折日記19』

今日は1カ月ぶりの整形外科受診。

骨折して3カ月になった。

いわゆる“全治”の時期なので、どれだけ骨再生が進んでいるか、期待に胸を膨らませて行ったが、レントゲンで見ると、

「あれ? 1カ月前とあんまり変わらんなー。」

という画像に見える。

しかし専門の主治医によると、一旦できたように見えた仮骨(無構造で弱いとのこと)が後退し、本格的な骨梁ができて来ているので(骨改変というらしい)、治癒過程としては問題ないのだそうな。

確かに自覚的症状として、疼痛は皆無、走るのもOK、僅かに腱の伸展が今ひとつなため階段を降りる際、腓腹部が突っ張るくらいか。

日常生活に支障は全くないけれど、目標を「木刀を振って床に踏み込んでも大丈夫な状態」と言ったため、念のためさらに1カ月後に再診を入れ、最終確認することになった。

仕上げは丁寧にやるに限る。

最後の一カ月だ。

2013(平成25)年6月24日(月)『親切』

後ろの人のためにドアを開けたまま手で押さえ、待っている。

お年寄りや妊婦さん、体の不自由な人に席を譲る。

バスからのベビーカーの上げ下ろしを手伝う。

具合いの悪そうな人に声をかける。

エレベーターを最後に降りる。

…などなど

小さな親切?

いやいや、親切の大小の話ではない。

自(おの)ずから、考えもせず、はからいもせず、スッと行動が勝手に出るところに“親切”の眼目がある、ということを申し上げたいのだ。

意図的な“親切”には、評価を要求する(甲斐がないと恨む)自己中心性という偽善の臭(くさ)みがつきまとう。

本来の“親切”が行われるとき、その人に“光”が通り、その“光”がその人をしてそうさせしめるのだ。

この一方的さ、この無垢さが美しい。

松葉杖を使っていたときは、本当にホントウに有り難かった。

(その人でなく)その人を通る“光”に感謝した。

真の“親切”は人事にあらず、である。

2013(平成25)年6月21日(金)『骨折日記18』

ここ数週、右手首にリストバンドを着けている。

お洒落のためでもスカッシュを始めたわけでもない。

例の松葉杖後遺症(両手関節痛)がまだ続いているのである。

左手首はとっくに治ったのだが、右手首は利き腕なので、つい重いものを持ったり手を着いたりするため、なかなか治らない。

最初は湿布をそのまま貼っていたが、あからさまに見えると心配される方が多いので、その上にリストバンドを着けるようにした。

実際には貼付剤(ちょうふざい)を密着させるのでちょうど良い。

今これを読んでいる方で私に逢う機会のある人は、どうぞ「そうなんだな。」と思って下され。

そう思って周りを見ると、いろいろとコンシーラー(隠すもの、化粧品に限ったものではない)を利用されている人たちが見えて来る。

20代の女性Aさんのリストバンドは、かつてのリストカットによるたくさんの切創を隠すためのものであり、

30代の女性Bさんのチョーカーは、ひどい交通事故に遭って、家族を失い、ICUで人工呼吸器につながれたときの気管切開の痕を隠すためのものであった。

自分がまだ受容できていないうちは、心身共に“痛い”傷を積極的に隠すことがもちろん必要である。

しかし、今のこの二人の場合、セラピーによって乗り越え、受容したが後、他の人が勝手に気遣わないようにするための配慮であった。

自分のために隠す、相手のために隠す、同じ隠すことでも気持ちの出どころによって意味がちょっと違うことになる。

2013(平成25)年5月22日(水)『骨折日記17』

今日は3週間ぶりの整形外科受診。

治療を始めてちょうど8週となる。

レントゲンで見るマイ・ボーンは、骨折してスカスカになった部分に一所懸命に骨梁(骨の梁(はり))を伸ばして再建しようとしていた。

そこに私の意志を超えたものが働いているような気がした。

すごいぞ、ボーン!

で、治療経過は順調で、さらなるリハビリのためには、骨だけでなく、筋力アップ、ストレッチも含めて鍛える必要があるとのアドヴァイス。そのためにバランスボールを活用することを勧められた。

さらに、ストレッチ運動は、底屈・背屈だけをやっていたので、回内・回外もやるように指示されたのは有益だった。というのは、左足関節を回外方向へひどく捻(ひね)るように形で骨折したため、回外運動に関してはどうしても慎重になっていた。

徐々に慣らして行こう。

そして

「まだ走るのは早いですからね。」

と主治医。

あ、やっぱり、そうか。

(先日ちょっと走ってみたら痛かった)

通常歩行ができるようになっていても、骨はまだちゃんと付いていないのである。

骨の歩みに合わせて進むのみだ。

2013(平成25)年5月11日(土)『骨折日記16』

昨日から杖なし外出を試行している。

思い切って以前と同じ距離を歩いてみたが、今朝になっても疼痛・腫脹共になかった。

よしっ! これで杖も卒業だ。6週と2日でサード・ステージ、クリアー!

まだ階段を降りるときに若干の不安定さが残るが、それ以外の日常生活動作はほぼ支障なく行えている。

そしてこれからがリハビリのラスト・ステージが始まる。地道にストレッチを重ね、筋肉をつけ、自由に走ったり、跳んだり、踏ん張ったり、蹴ったり、踏み込んだりできるようになって、ようやくリハビリの全行程が終了する。

今回この不自由な状態の中で「そのときなりの精一杯、あとはおまかせ」を体験している。

今回は“治る”病気であったが、これからは“治らない”病気になることもあるだろうし、加齢に伴うものは誰も避けられない。

何がどうなっても、「そのときなりの精一杯(但し、この人生で本来やるべきことにおいて)、あとはおまかせ」で生きて死にたいと思う。

机上の空論でなく、現実に我が身に起きたことで、真実を練磨する。

明日も歩こう。

2013(平成25)年5月4日(土)『骨折日記15 じぇじぇっ!』

5月になってようやく、毎日のように乗っていたタクシー生活を卒業することができた。

ギブスや松葉杖使用中は、転倒防止のためにタクシー利用はやむを得なかったが、

ギブスが外れ、松葉杖も不要となってからは、電車・バスも以前のように利用でき、短い距離なら傘をさして歩けるようになった。

親切な各社タクシーの運転手の皆さん、お世話になりました。

で、タクシー料金がかなり嵩(かさ)んでしまったかなと思う半面、何故か支出が増えたという実感がない。

実は、タクシー生活の期間、通勤と通院以外の外出が皆無となっていたため、他の支出が激減していたのだ。

不思議なもんだ。

少しずつ元の生活に復して行く。

で、ふと体重計にのってみた…じぇじぇっ!∑(゚◇゚ノ)ノ

体重と体脂肪率が、松葉杖歩行をやめて11日間で、骨折前の元の数値に戻っていた。

あっちゃーっ。

ダイエットする気はさらさらないが、松葉杖歩行に相当する健全なエクササイズはやりたいもんだ。

体が締まってる方が気持ちが良いもんね。

今は左足と両手首が使えないので、すぐに激しい運動は無理だが、体を動かしたくてウズウズしている。

なんとかすっぺ!

2013(平成25)年5月2日(木)『骨折日記14』

昨日は近医整形外科受診の3回目。

レントゲンを撮り、主治医から、全荷重歩行を試して行って大丈夫でしょう、との仰(おお)せ。

これで晴れて松葉杖使用終了 → 杖使用+全荷重歩行のお墨付きを得た。

5週目でセカンドステージ、クリアーだっ!

今後は、杖を使いながら徐々に全荷重歩行にトライし、硬くなった左足関節をほぐして行くことになる。

経過は有り難いことに順調であるが、唯一の難は、スボーティな杖を使っているためか、電車やバス内で、松葉杖使用時に比べて、席を譲って下さる方が激減したことだ。

ただのポール(ストック)・ウォーキングの好きな人に見えるのか?

ポールでなく杖ですから!

まだまだ長時間起立や長距離歩行はきついですから!

「おなかに赤ちゃんがいます」ならぬ「足の骨を折っております」ステッカーがあっても良いんじゃないかと思う今日この頃である。

しかし、リハビリのための運動はせっせとやって行こう。

2013(平成25)年4月28日(日)『骨折日記13』

今日発注していた杖が届いた。

何事も勉強で、杖が、用途、デザイン、材質などによって、こんなにたくさん種類があるとは思わなかった(専門店がいくつもあるのね)。余りの多さに比較検討するのを諦め、たたまま目についた、軽くてスポーティな杖を選んだ。

で早速、八雲の往復に使ってみたところ、なかなか塩梅(あんばい)が宜しい。

これなら、両手関節痛があるときは松葉杖使用をやめて、杖で代行できそうだ。

幸い、荷重歩行を始めても、骨折部に明らかな疼痛や腫脹は生じていない。

少しずつ荷重を上げて、少しずつ距離を延ばして行こう。

 

そう言えば、気づいたことがあった。

電車やバスに乗っていて、松葉杖の私に席を譲ろうとして下さる方々の中に、私より足元のおぼつかない高齢者の方や、妊婦の方、腕を骨折した方など、自らもケアを必要とする人が多いということだ(それ故、とても受けられず、感謝してご辞退した)。

ふと東日本大震災の際に、ハイチやアフガニスタンから募金が寄せられたことを思い出した。

優しいのはいつも弱い立場にいる人たちだ。

そして、意外と親切に席を譲ってくれたのが、酔っ払いのお父さんたちである。

病的酩酊にならない限り、人間は一杯入った方が素直で親切なのかもしれない。

こころの抑圧を解除すると碌(ろく)でもないものが出て来るはずだと恐れている人たちは多いけれど、私に言わせれば、それは解除の仕方が甘いのであって、本当に解除すれば良いものが出て来るに決まっているのだ。

パンドラの箱はね、最後まで開けるもんなんだよ。

2013(平成25)年4月26日(金)『骨折日記12』

やっちまった。(また骨折ではない。)

松葉杖を使って1カ月目、両手関節(両方の手首の関節)に無理が来て、左右ともに関節痛が出るようになった。
調子こいて長距離を歩き過ぎたようだ。
昨夜から松葉杖をつけず、湿布にて加療中。

しかし幸いにも、一昨日ギブス卒業となったため、短い距離であれば“松葉杖なし歩行”が可能である。また(手首に多少の荷重はかかるが、)松葉杖でなく“杖”を使う方法もある。

骨折治療の仕上げのリハビリは大切なので、ここは作戦を練ってゆっくりやっていこう。

と思っていたところ、歩行訓練のために近医に通院されている近藤先生の奥さまとリハビリの話になった。

「92歳までは通ってて筋力がついてくる実感があったけど、94歳を過ぎるとやってもおんなじくらいであんまり面白くないわね。」

…うーむ、若造の私としては鍛えようが全然足りんな。

リハビリ、きっちりやります、はい。

2013(平成25)年4月24日(水)『骨折日記11』

今日は近医整形外科受診の2回目。

ギブスを割って左腓骨骨折部位のレントゲンを撮る。

おおーっ!  さらにくっついてるじゃん、マイ・ボーン!

主治医も
「これならギブスを外して、少しずつ荷重をかけて行って良いでしょう。」
ということになり、4週にて晴れてギブス終了ーっ!

ファースト・ステージ、クリアー!

免荷装具も使わないで、まず1週間自主リハをやってみることになりました。

松葉杖を使用しながらの生活の中で、左足にかける荷重を1/3→2/3→全荷重のように増やして行く方針。

これでギブス用入浴カバーやギブス用ソックスともお別れだな。

帰宅して久しぶりに両足で体重計に乗る。

驚いたのは、体重減少を上回る体脂肪率の減少であった。

やっぱり松葉杖歩行は強制的エクササイズになっていたのね。

午後から出勤する際に、これまた久しぶりに左足に靴を履(は)く。

不思議な気分だ。

目の前の一歩ずつを進む。

2013(平成25)年4月18日(木)『骨折日記10』

昨日、前医から紹介してもらった整形外科クリニックを受診して来た。

診療時間の朝一番で受診したはずが、既に受付ロビーの全ソファに、ジジババジジババジジババ…が陣取っていた。

リハビリをやっている地域の整形外科は高齢者のサロンである。

そんな雰囲気もキライではない。

一時間ほど待って診てくれた整形外科医は、前医からの診療情報提供書を示しながら、
「『固定4〜6週、免荷6週』とありますね。」
と言う。

ギブス固定が4〜6週間、ギブスを外した後、すぐに全体重がかからないように段階的に体重をかけていくリハビリテーションが6週間という意味である。

がちょーん!∑(・ω・ノ)ノ! 計10〜12週間!

ということは、今日でギブスをして3週目だから、あと9週間も松葉杖生活が続くのかっ!

(…が、この長さというのが平均的なものらしい。)

その気持ちを知ってか知らずか、主治医は
「来週、ギブスを外してレントゲンを撮って、骨のくっつき具合いを見てみましょう。」
と言う。検査後に改めて、自分の見立てでクリニカル・パス(治療の行程表)を決めていくようだ。

「こりゃあ、どうころんでも、おまかせするしかないな。」と3秒で観念する。

骨折治癒の進展がどうであっても、私は私のミッションとしてやるべきことをやっていくのみだ。

2013(平成25)年4月14日(日)『骨折日記9』

今日は八雲勤務だったので、二つのことにチャレンジしてみた。

ひとつは、骨折以来、23日ぶりにバスに乗ってみること。

日曜なら、そんなにバスも混んでいないだろう。

「昇降口のステップの段差」と「バス車内の移動」が課題であったが、左足を(ギブスのまま)地面に着けるようになったため(整形外科医はまだ着くなと言うが)、いざというときの安心感が大きく、思いの外(ほか)、楽にクリアできた。

通勤ラッシュ時を回避すれば、これからも大丈夫そうだ。

それにしても、車内の優先席に描いてある“体の不自由な方”の絵が、“ギブスに松葉杖”姿で描いてある(バスも電車も一緒)。

「オレのことだなぁ。」としみじみ実感している。

「だけど、こころは自由さ。」

そしてもうひとつのチャレンジは、バス停から自宅までの約700mの松葉杖歩行である。

風も強く、日も暮れて来た中でのスタート。

しかも途中には骨折した現場の小公園という難関がある。

「ちぇーい!」と歩み出してみたが、これも無事にクリア。

我ながら驚いたのは、当初は200mで汗だく、息切れしていたのが、息も上がらず、帰宅できたことだ。

若干の右大腿部筋肉痛になったが、それくらいはご愛嬌だろう。

体が段々松葉杖生活に慣れて来ている。

しかし油断は禁物だ。

雨の日など転倒予防が必要なときは、もうしばらくタクシーを使わせてもらおう。

 

そして、八雲で面談することで、骨折があろうとなかろうと、私とクライアントの中を生命(いのち)の風が吹き渡って行くのを感じている。

些事はどうでもいいのだ、八雲であなたの大切な話をしましょうね。

2013(平成25)年4月13日(土)『「やーい」の馬鹿』

小さな子どもたちの遊びを見ているとわかる。

3歳くらいまでの子どもたち 及び それより年長でも十分に尊重されて育った子どもたちは、お互いの関わりが 〜 ごっこ遊びでも、体を使った激しい遊びでも 〜 まっすぐで素直である。

本当に感じたことを正直にそのまま表現するだけだ。

それに対して、「だます」「からかう」「おどかす」、そういう“ひねった”要素を含んだ遊びを行う心根には、どこか“病んだ”ものが臭う。

これに自分自身、気づいていない大人は意外と多い。

大人になってまで、小さな子どもたちに「だます」「からかう」「おどかす」ような関わりを、子どもたちが喜んでいるとさえ思って、やっている人がいる。

悪影響を与えるからやめなされ。

「明(あか)き 浄(きよ)き 直(なお)き 誠の心」 こそ、人のこころの本質であると私は信ずる。

子どもたちのこころがどこまでもまっすぐに伸びて行けるように、どうか大人たちもまっすぐなこころで関わってあげて下され。

(そして、大人が大人に対してもすべきでないことは言うまでもない。)

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