2013(平成25)年5月4日(土)『骨折日記15 じぇじぇっ!』

5月になってようやく、毎日のように乗っていたタクシー生活を卒業することができた。

ギブスや松葉杖使用中は、転倒防止のためにタクシー利用はやむを得なかったが、
ギブスが外れ、松葉杖も不要となってからは、電車・バスも以前のように利用でき、短い距離なら傘をさして歩けるようになった。

親切な各社タクシーの運転手の皆さん、お世話になりました。
で、タクシー料金がかなり嵩(かさ)んでしまったかなと思う半面、何故か支出が増えたという実感がない。
は、タクシー生活の期間、通勤と通院以外の外出が皆無となっていたため、他の支出が激減していたのだ。
不思議なもんだ。

少しずつ元の生活に復して行く。

で、ふと体重計にのってみた…じぇじぇっ!∑(゚◇゚ノ)ノ
体重と体脂肪率が、松葉杖歩行をやめて11日間で、骨折前の元の数値に戻っていた。
あっちゃーっ。
ダイエットする気はさらさらないが、松葉杖歩行に相当する健全なエクササイズはやりたいもんだ。
体が締まってる方が気持ちが良いもんね。
今は左足と両手首が使えないので、すぐに激しい運動は無理だが、体を動かしたくてウズウズしている。

なんとかすっぺ!

 

 

2013(平成25)年5月2日(木)『骨折日記14』

昨日は近医整形外科受診の3回目。

レントゲンを撮り、主治医から、全荷重歩行を試して行って大丈夫でしょう、との仰(おお)せ。
これで晴れて松葉杖使用終了 → 杖使用+全荷重歩行のお墨付きを得た。
5週目でセカンドステージ、クリアーだっ!

今後は、杖を使いながら徐々に全荷重歩行にトライし、硬くなった左足関節をほぐして行くことになる。
経過は有り難いことに順調であるが、唯一の難は、スボーティな杖を使っているためか、電車やバス内で、松葉杖使用時に比べて、席を譲って下さる方が激減したことだ。
ただのポール(ストック)・ウォーキングの好きな人に見えるのか?

ポールでなく杖ですから!

まだまだ長時間起立や長距離歩行はきついですから!

「おなかに赤ちゃんがいます」ならぬ「足の骨を折っております」ステッカーがあっても良いんじゃないかと思う今日この頃である。

しかし、リハビリのための運動はせっせとやって行こう。

 

 

2013(平成25)年4月28日(日)『骨折日記13』

今日発注していた杖が届いた。

何事も勉強で、杖が、用途、デザイン、材質などによって、こんなにたくさん種類があるとは思わなかった(専門店がいくつもあるのね)。余りの多さに比較検討するのを諦め、たたまま目についた、軽くてスポーティな杖を選んだ。

で早速、八雲の往復に使ってみたところ、なかなか塩梅(あんばい)が宜しい。
これなら、両手関節痛があるときは松葉杖使用をやめて、杖で代行できそうだ。
幸い、荷重歩行を始めても、骨折部に明らかな疼痛や腫脹は生じていない。
少しずつ荷重を上げて、少しずつ距離を延ばして行こう。

そう言えば、気づいたことがあった。
電車やバスに乗っていて、松葉杖の私に席を譲ろうとして下さる方々の中に、私より足元のおぼつかない高齢者の方や、妊婦の方、腕を骨折した方など、自らもケアを必要とする人が多いということだ(それ故、とても受けられず、感謝してご辞退した)。
ふと東日本大震災の際に、ハイチやアフガニスタンから募金が寄せられたことを思い出した。
優しいのはいつも弱い立場にいる人たちだ。

そして、意外と親切に席を譲ってくれたのが、酔っ払いのお父さんたちである。
病的酩酊にならない限り、人間は一杯入った方が素直で親切なのかもしれない。
こころの抑圧を解除すると碌(ろく)でもないものが出て来るはずだと恐れている人たちは多いけれど、私に言わせれば、それは解除の仕方が甘いのであって、本当に解除すれば良いものが出て来るに決まっているのだ。

パンドラの箱はね、最後まで開けるもんなんだよ。

 

 

2013(平成25)年4月26日(金)『骨折日記12』

やっちまった。(また骨折ではない。)

松葉杖を使って1カ月目、両手関節(両方の手首の関節)に無理が来て、左右ともに関節痛が出るようになった。
調子こいて長距離を歩き過ぎたようだ。
昨夜から松葉杖をつけず、湿布にて加療中。

しかし幸いにも、一昨日ギブス卒業となったため、短い距離であれば“松葉杖なし歩行”が可能である。また(手首に多少の荷重はかかるが、)松葉杖でなく“杖”を使う方法もある。
骨折治療の仕上げのリハビリは大切なので、ここは作戦を練ってゆっくりやっていこう。

と思っていたところ、歩行訓練のために近医に通院されている近藤先生の奥さまとリハビリの話になった。

「92歳までは通ってて筋力がついてくる実感があったけど、94歳を過ぎるとやってもおんなじくらいであんまり面白くないわね。」

…うーむ、若造の私としては鍛えようが全然足りんな。

リハビリ、きっちりやります、はい。

 

 

2013(平成25)年4月24日(水)『骨折日記11』

今日は近医整形外科受診の2回目。

ギブスを割って左腓骨骨折部位のレントゲンを撮る。
おおーっ!  さらにくっついてるじゃん、マイ・ボーン!
主治医も
「これならギブスを外して、少しずつ荷重をかけて行って良いでしょう。」
ということになり、4週にて晴れてギブス終了ーっ!
ファースト・ステージ、クリアー!

免荷装具も使わないで、まず1週間自主リハをやってみることになりました。
松葉杖を使用しながらの生活の中で、左足にかける荷重を1/3→2/3→全荷重のように増やして行く方針。
これでギブス用入浴カバーやギブス用ソックスともお別れだな。

帰宅して久しぶりに両足で体重計に乗る。
驚いたのは、体重減少を上回る体脂肪率の減少であった。
やっぱり松葉杖歩行は強制的エクササイズになっていたのね。

午後から出勤する際に、これまた久しぶりに左足に靴を履(は)く。
不思議な気分だ。

目の前の一歩ずつを進む。

 

 

2013(平成25)年4月18日(木)『骨折日記10』

昨日、総合病院の前医から紹介してもらった近所の整形外科クリニックを受診して来た。

診療時間の朝一番で受診したはずが、既に受付ロビーの全ソファに、ジジババジジババジジババ…が陣取っていた。
リハビリをやっている地域の整形外科は高齢者のサロンである。
そんな雰囲気もキライではない。

一時間ほど待って診てくれた整形外科医は、前医からの診療情報提供書を示しながら、
「『固定4〜6週、免荷6週』とありますね。」
と言う。

ギブス固定が4〜6週間、ギブスを外した後、すぐに全体重がかからないように段階的に体重をかけていくリハビリテーションが6週間という意味である。

がちょーん!∑(・ω・ノ)ノ! 計10〜12週間!

ということは、今日でギブスをして3週目だから、あと9週間も松葉杖生活が続くのかっ!
(…が、この長さというのが平均的なものらしい。)

その気持ちを知ってか知らずか、主治医は
「来週、ギブスを外してレントゲンを撮って、骨のくっつき具合いを見てみましょう。」
と言う。検査後に改めて、自分の見立てでクリニカル・パス(治療の行程表)を決めていくようだ。

「こりゃあ、どうころんでも、おまかせするしかないな。」と3秒で観念する。

骨折治癒の進展がどうであっても、私は私のミッションとしてやるべきことをやっていくのみだ。

 

 

2013(平成25)年4月14日(日)『骨折日記9』

今日は八雲勤務だったので、二つのことにチャレンジしてみた。

ひとつは、骨折以来、23日ぶりにバスに乗ってみること。
日曜なら、そんなにバスも混んでいないだろう。
「昇降口のステップの段差」と「バス車内の移動」が課題であったが、左足を(ギブスのまま)地面に着けるようになったため(整形外科医はまだ着くなと言うが)、いざというときの安心感が大きく、思いの外(ほか)、楽にクリアできた。
通勤ラッシュ時を回避すれば、これからも大丈夫そうだ。
それにしても、車内の優先席に描いてある“体の不自由な方”の絵が、“ギブスに松葉杖”姿で描いてある(バスも電車も一緒)。
「オレのことだなぁ。」としみじみ実感している。
「だけど、こころは自由さ。」

そしてもうひとつのチャレンジは、バス停から自宅までの約700mの松葉杖歩行である。
風も強く、日も暮れて来た中でのスタート。
しかも途中には骨折した現場の小公園という難関がある。
「ちぇーい!」と歩み出してみたが、これも無事にクリア。
我ながら驚いたのは、当初は200mで汗だく、息切れしていたのが、息も上がらず、帰宅できたことだ。
若干の右大腿部筋肉痛になったが、それくらいはご愛嬌だろう。

体が段々松葉杖生活に慣れて来ている。
しかし油断は禁物だ。
雨の日など転倒予防が必要なときは、もうしばらくタクシーを使わせてもらおう。

そして、八雲で面談することで、骨折があろうとなかろうと、私とクライアントの中を生命(いのち)の風が吹き渡って行くのを感じている。
些事はどうでもいいのだ、八雲であなたの大切な話をしましょうね。

 

 

2013(平成25)年4月13日(土)『「やーい」の馬鹿』

小さな子どもたちの遊びを見ているとわかる。

3歳くらいまでの子どもたち 及び それより年長でも十分に尊重されて育った子どもたちは、お互いの関わりが 〜 ごっこ遊びでも、体を使った激しい遊びでも 〜 まっすぐで素直である。
本当に感じたことを正直にそのまま表現するだけだ。

それに対して、「だます」「からかう」「おどかす」、そういう“ひねった”要素を含んだ遊びを行う心根には、どこか“病んだ”ものが臭う。
これに自分自身、気づいていない大人は意外と多い。
大人になってまで、小さな子どもたちに「だます」「からかう」「おどかす」ような関わりを、子どもたちが喜んでいるとさえ思って、やっている人がいる。
悪影響を与えるからやめなされ。

「明(あか)き 浄(きよ)き 直(なお)き 誠の心」 こそ、人のこころの本質であると私は信ずる。

子どもたちのこころがどこまでもまっすぐに伸びて行けるように、どうか大人たちもまっすぐなこころで関わってあげて下され。
(そして、大人が大人に対してもすべきでないことは言うまでもない。)

 

 

2013(平成25)年4月9日(火)『骨折日記8』

今日は3度目の整形外科受診。
レントゲンを撮り、有り難くも経過順調。
著しかった腫脹が引いたため、ゆるくなったギブスを巻き換え、本日で総合病院での治療終了となる。
診療情報提供書を書いてもらい、これからはリハビリテーションを受けやすい近医のクリニックに移る(病院リハビリテーションは入院患者さん中心のところが多いため、クリニックの方がリハビリテーションを受けやすいのだ)。
一歩ずつ一歩ずつ進む。

近藤先生の言葉。

「アセラズ アキラメズ アテニセズ」

が身に沁(し)みる(元々の肉筆は何故かカタカナであった)。

ホンモノの言葉は、こちらが体験と内省を重ねるほど、重層的な深意を開示して来るものだ。

 

 

2013(平成25)年4月4日(木)『骨折日記7』

今日は外勤日。

最寄り駅から外勤先の病院まで約300mある。
通常歩行なら至近距離であるが、松葉杖歩行の身には辛い距離で、先週は行きも帰りも汗だくとなり、特に帰りは途中息が切れて何度も立ち止まり、「これって何の罰ゲーム?」と思ったほどであった。
そこで朝は近くともタクシーを呼んで出勤したが、
帰りは、何故か行けそうな気がして、タクシーを呼ぶのを止めて、松葉杖歩行でチャレンジしてみた。
すると、一度も休まず駅まで行けたではないか!

ほっほーっ!

この一週間で、気づかないうちに体が鍛えられていたのだ。
やるな、マイ・バディ!
我ながら、人間の適応能力というのはすごいもんだと思った。
だからこそ変なものに、本当の自分を損なうような生き方に、自分自身を適応させてはならないのだ。
自分が自分を生きるためにこそ、適応能力は使われなくてはならない。

そんなことを思いながら、電車の優先席に座ると、いつの間にか爆睡していた。
まだまだ体力ついてないじゃん!

成長への道は続くのであった。

 

 

2013(平成25)年4月2日(火)『骨折日記6』

今日は2度目の整形外科受診。
レントゲンで、骨折部位が一所懸命に仮骨形成している進展が見られた。

「やるじゃん、マイ・ボーン!」

なんだか嬉しい。
経過は順調とのこと。

医師からは、エコノミークラス症候群を起こさぬよう、足指先運動と水分補給に気をつけるようアドヴァイスを受ける。
なるほど。

そして、極めて不便の多いギブス+松葉杖生活だが、何事も経験で、こうならなければ、ここまで知ることのなかった“もの”や“こと”にも随分出逢った。

まずグッズで言えば、
ギブス用のサンダルやシューズ。
そんなのあったのかい!? (但し、足を着いていい人用なので、私は使えない)。

ギブス用の入浴カバー(これは助かる)。

そしてタクシーにも詳しくなった。
今回、配車をお願いすることも増え、比較するつもりはなくても各社の特性が観えて来た。
都内では、〇社さんのタクシーの接客がとても感じが良い。

そして最も目につくようになったのが、行き会うギブス+松葉杖仲間たち( ← 私は「ギブソン&マツバラー」(略して「マツバラー」)と呼んでいる)の動向である。
先日も、二十代と思(おぼ)しき青年が、跳ぶように軽やかに院内廊下を疾走して来てすれ違い、刺激を受ける(おいおい、マネすんなよ)。
また、今日は七十近いと思われる女性が、院内フロアをゆっくりゆっくり歩くのを見て、恐れ入る。
六十五歳以上の方では、圧倒的に車椅子使用の方が多いもの。
そして電車の優先席で一緒になった二十代の女性は、松葉杖の脇部と握り部に綺麗なハンカチを巻いていた。
実用とお洒落を兼ねたアイデアだ。

経験智の種は世界に満ちているのだ。

私も折角転んだからには、タダで起きるつもりはない。

 

 

2013(平成25)年3月29日(金)『骨折日記5』

今朝起きたら、両上腕、左大腿部を中心に、かなりの筋肉痛であった。
あたたたた。
やはり息切れ(体力不足)と筋肉痛が二大大敵であったか。
まずい。痛みと疲れで筋力の入り方がイマイチだ。これで転ぶとヤバいな。

今日は八雲出勤であったが、バス停までのアップダウン&ロングロード(先週、この道の途中の公園で負傷したのだ)を松葉杖で行く気持ちが折れたため、とっととタクシーに切り換える。
日々少しずつ鍛えて行くしかないようだ。

ギブス+松葉杖の状態であるため、今日面談に来られた方々からは、親切なお見舞いのお言葉を頂戴した。
恐れ入る。
骨折しようとしまいと、私は既に、真剣に成長を望み、面談に来られる方々がいらっしゃるお蔭で、私の今生(こんじょう)での天命を果たせている。
それで私はいつも面談で元氣になっているのだ。
今回改めて実感した。

求めるあなたとの面談が私の生命(いのち)の素なんです。

ありがたいことです。

 

今日の一曲

http://www.youtube.com/watch?v=VMxSGEvfbbA

なめとんのかーっ!

 

 

2013(平成25)年3月28日(木)『骨折日記4』

昨日・今日は外勤日であった。

昨日は雨。
松葉杖初心者に雨道は非常に危険である。
無理をすれば右足も痛めてしまい、車椅子生活が待っている(経験者情報)。
そのときはそのときだが、まずはタクシー使用と判断した。
それでも階段や坂道がある。

ライダーズジャケットを着込む。
これでどこで転倒しても転がってやる!

そして外勤先の方々は皆、親切であった。
夜、無事に帰宅。

今日は晴天。気温が上がった。
松葉杖で初めての電車通勤にチャレンジ。
看護部長の退職前に逢える最後のチャンスであり、研修会の講師も引き受けているため、今日はなんとしても行く気である。
幸い優先席が空いており、このときとばかり、堂々と座る。がっはっは。

しかし、駅に着いてから病院までの距離が、至近距離と思ってたのに、松葉杖歩行にはかなりのロングロードで、着く頃には汗だくとなっていた。
現在の私にとっては、間違いなく、息切れ>筋肉疲労または筋肉痛>>骨折部痛 が問題である。

病院スタッフの方々は皆、優しかった。
PT(理学療法士)スタッフからは、松葉杖の調整と歩き方を教わる。ありがたや。

そして仕事を終え、また駅まで松葉杖ロード。
私の気分は完全に“明日のジョー”になっていた。
また電車に乗って、ようやく帰宅。
完全にスパーリングをこなしてきたような疲労感である。
これで体力が付くのが早いか、体力が潰れるのが早いか。

明日はどっちだ!?

 

 

2013(平成25)年3月26日(火)『骨折日記3 春なのにコッセツですか? 』

♪ あなたはぁ〜 すぐにぃ〜 写真を撮りたがるぅ〜

というわけで、本日、ようやく整形外科を受診し、レントゲンを撮ってもらったところ、
見事に左下腿の腓骨(ひこつ)を骨折しており、即“ギブス”生活となりました。
骨折部の転位がなかったのが不幸中の幸い、入院・手術は免(まぬが)れました。

20代の頃に一度右足でギブス生活を経験しているので、松葉杖くらいは楽勝と思っていましたが、
近所に外出してみたところ、松葉杖歩行の疲れること、疲れること。
ある距離以上になると、みるみる汗だくになって息が切れた。

Kossetsu.jpg

松葉杖歩行って、体力が必要だったのね。
既にあちこちが痛い。
ギブス生活が当面続くことになるが、こんなんで明日からの仕事は大丈夫だろうか。

大丈夫ではない!(きっぱり)

周囲の方々に温かい支援をお願いする次第である。

♪ 春なのにぃ〜 骨折ですかぁ〜

 

[画像は右腓骨骨折の場合の資料画像]

 

 

2013(平成25)年3月24日(日)『捻挫日記2』

左足負傷で、どうなることかと思いながら出掛けた一泊二日の郡山出張。

関係者各位のご高配のお蔭で、なんとか無事帰還することができた。
内省的で感度の良い参加者にも恵まれ、研修会、勉強会ともに充実した時間を過ごすことができた。
特にU子さん、M子さんにはお世話になりました。
感謝、感謝である。

局所湿布と鎮痛剤で、概ね静止時痛はなかったが、調子に乗って(やはり研修会や勉強会の最中には傷みがない)服薬を忘れると疼(うず)いて気づかされた。
しかし、まだまだ動作時には疼痛が走る。
足の腫れも続いているが、皮下出血の紫斑が大分出て来た。
明日は外勤だが、明日も改善を見ないようであれば、明後日は休みを取ったので、受診して来るつもりだ。
体の声を聴きながらの判断は、これまた良いワークになると思う。

そう言えば、『泣くな、はらちゃん』は土曜日が最終回であった。
なんか寂しくなるなぁ。

郡山駅でお母さんに注意された5歳くらいの女の子が大きな声で歌っていた。
♪ 私のこ〜とはほっといて。
ナイスなリターンであるが、私はやれるときはやり、頼るときは頼るつもりだ。
世界と“両思い”でいたいもの。

 

 

2013(平成25)年3月22日(金)『捻挫日記』

やっちまった。

今朝、八雲への通勤途中、通り抜けの公園で、満開の桜花に見惚(みと)れ、ひよどりの鳴き声に聞き惚れた瞬間、足元のコンクリート床が欠けているところを踏み外して、左足首関節にひどい捻挫を負った。
“らしい”と言えば“らしい”負傷の仕方だが、しばらく「いった〜。」と左足首を抑えて起き上がれなかった。

それからド根性で八雲に向かい、午前午後フル予約の面談を行ったが、何故か面談中は痛くない。
しかし、終わってからの帰宅がまた大変で、改めて近隣のどこがバリアフリーで、どこがバリアフルか、人の世の情けの深い・浅いがよーくわかった。
それでも、あいたた、ひょこ、あいたた、ひょこと帰宅した。
まるで「六根清浄!」のようである。

帰ってよく見てみると、左下腿遠位部〜足関節〜足は、右の倍の太さに腫れ上がっていた。
明日から一泊二日の郡山出張である。
いやいやいやいや、あやまった。

さすけね?

さすけある。

大丈夫がぃ?

大丈夫でね。

行けるのけ?

行くしかね。

というわけで、関係者の方々にはご迷惑をかける場面があるかもしれませんが、行ったるでーっ!!
足りないところは助けてくんちー。

 

 

2013(平成25)年3月19日(火)『板橋最終講義』

今日は板橋校・介護サービス科で最後の講義。

最後のクラスの学生たちも熱心に講義を聴いてくれた。
今回も伝えたいメッセージはしっかりと伝えた。
後は大人の君たちが判断してくれればいい。

毎回毎回レジュメを改訂し、教科書には書かれていないメッセージを込め、レポートに赤ペンを入れて返却し、10年間、約600人の学生たちに接して来た。

講義と共に去りぬとなった人たちも多いが、その後、今日に至る付き合いとなった方々もいる。
結縁(けちえん)とは不思議なもので、結果的には付くべき縁は付き、離るべき縁は離るだけだ。
しかし、一期一会の縁に触れたからには、どうか幸(さきわ)い給え、と祈りたい。

そしてまた明日が来る。

いつどこにいても、目の前にいる、縁ある“あなた”と深く交わり、“あなた”と出逢ったことの役割を果たして行きたいと思う。

Sakura2.jpg

正面玄関を出て、長い階段を降り、正門から見慣れた校舎を振り返る。

あぁ、ほころび始めた桜花が見送ってくれている。

ありがとう。

さようなら。

 

 

電車が鉄橋を渡る夕暮れどき、車窓から見える風景が気に入っている。

茜色に染まる川の土手の道。
走る小学生たち、笑顔の家族連れ、談笑しながら学生たちが歩いている。
そんな光景の中で、たった一人立ち尽くし、両手をポケットに突っ込んで、夕暮れを見上げている人がいる。
広い景色の中、そんな人をつい見つけてしまうのは、それがかつての自分の姿だからだろう。

ずっと見つめていれば良いさ。
誤魔化して作り笑顔で群れるくらいなら、一人でそうしている方がずっとましだ。
魂さえ売らなければ、見えて来る明日がある。
あなたがあなたでいることを支持してくれる人にきっと出逢えるさ。

そう。
そうやって立ち尽くしているのは、かつての私だけではなく、今のあなたなのかもしれない。

 

 

朝日新聞の今日の報道。

「北海道湧別町で2日午後6時20分ごろ、同町東の漁師Oさん(53)と長女で小学3年生のNさん(9)が、軽トラックで出かけたまま連絡がとれなくなったと親戚から北海道遠軽署に通報が入った。2人は翌日午前7時すぎ、自宅から約2キロ離れた同町東の牧場の倉庫前で、雪に埋もれて倒れた状態で見つかった。Oさんは死亡が確認され、Nさんは意識はあるという。
同署によると、OさんはNさんをかばうように覆いかぶさった状態で見つかった。Oさんは2日午後4時ごろ、親戚に『雪に埋まって動けなくなった』と電話した後、連絡がとれなくなった。約5時間半後、自宅から約2キロ離れた路上で、軽トラックだけが見つかっていた。 」

このニュースを聞いて、胸の詰まるような想いを感じると共に、この娘さんの体験をこころの傷として残してはならないと強く思った。
身近な人が、当地の専門家がきっと配慮し、支援してくれるものと信じている。

そして翻(ひるがえ)って思う。
ここにもいないだろうか、あのとき、あそこで体験したこころの傷を、誰に話すこともなく、そして癒されることもなく、今も抱えて苦しみ続けている人が。
今すぐに、誰でも良いから話せ、とは言わない。
話せる時機と、話せる相手を見定めることは重要だ。
ただ少なくとも、話すことによって癒される道があるということだけは知っておいてほしいと思う。

今日は雛祭り。

何年先でもいいから、いつかこの娘が、哀しみや辛さ以外の想いで、雛祭りを迎えられることをこころから願う。
その前にちゃんといっぱい泣けますように。

 

[追伸] その後の報道によれば、その父子はお母さんが既に亡き父子家庭で、お父さんは雛祭りのケーキを予約し、雪の中で自分の上着まで脱いで、娘を覆っていたという。
この娘の未来がどうか温かく見守られるようにと祈る。

 

 

宗教というものが、理性的だけれども(理性レベルに留まっているからこそ)鈍感な連中によって、酷(ひど)い扱いを受け、最も本来の宗教から遠い「宗教」(括弧付きの宗教)に、即ち、「妄想体系」や「妄想集団」に堕してしまっていることは残念でならない。
実は、多くの「宗教」賛同者も、「宗教」批判者も、その意味では同じなのである。

本来の宗教の語義としては、「大事な教え」という意味しかなく、それを明治期に religion の訳語に当てたときから不幸が始まった。

ひとのこころの真実を見つめ、ひとのこころの救済を目指す以上、宗教(「宗教」ではない)と精神療法がぶっ続きなのは当ったり前のことである。
それもわからぬ馬鹿(特に自己拡大的支配型)が、宗教と「宗教」の違いもわからず、「それは宗教だ。」と言う定番のセリフのには辟易(へきえき)して来た。

思えば、近藤先生ご存命中の頃、毎年浅草本願寺で行われていた先生の講演会に来ていたお弟子さんたちはほとんどいなかった。
当時の私ですら思った。
「宗教と精神療法とは別だと思ってるんだ!?」

私自身は当然ながら、同じことを別の言葉で言っているに過ぎないと思っている。

しかし、宗教の方が圧倒的に歴史が長いために、たかだか歴史百年余りの精神分析や精神療法では、用語も概念も足りず、宗教用語を借りて来ざるを得ない場面がしばしば生じてしまう。
だが、そのときまた困るのが、宗教用語には既に、その宗教・宗派の“手垢”(先入観やイメージ)が付いているため、本意と別のニュアンスを帯びやすいということだ。
だから、用語として深い反面、誤解されやすいところもある。

私のひとつのトライアルとして、そして真実として、ホンモノの宗教とホンモノの精神療法は当然ぶっ続きであるということに取り組んで行きたいと思う。

 

 

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八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。