2014(平成26)年4月17日(木)『薩た(土扁に垂)王子を想うとき』

読売新聞の今日の報道(一部表記改訂、全文はどうぞ本紙をご覧下さい)

「16日午後4時頃、福島県郡山市の阿武隈川で、『子どもが流されている。』と通行人から119番があった。

通行人らが川の中から3人の子どもを救助、病院に搬送されたが、このうち近くに住む小学1年TM君(6)が死亡し、女児(3)が意識不明の重体。郡山署で事故原因を調べている。

同署幹部によると、現場の河川敷では、近くの小学校の児童ら約10人が遊んでいた。3歳児が川に落ち、T君とT君の姉で小学3年の女児(8)が助けようとして川に入ったという。T君の姉に目立ったけがはない。3歳児は約200メートル流され、T君はさらに下流で救助された。

現場はJR郡山駅の南約2.5キロ先。目撃した近所の女児は『女の子を助けようと、男の子が鼻をつまんで飛び込んだ。周りの子は『流されちゃった。』と大きな声で叫んでいた。』と話した。」

 

一読して、かつて小誌で取り上げた『傷は秘められるべからず』

http://www.yakumo-institute.com/article/14738627.html

http://www.yakumo-institute.com/article/15030869.html

を思い出した。

 

6歳のM君はどんな思いで“鼻をつまんで”川の中に飛び込んだのだろう。

助かった8歳のお姉ちゃんは今、どんな思いでいるのだろう。

そしてこれからどんな思いで生きて行くのだろう。

私にとって縁の深い当地だからこそ一層思う。

今この小誌を読んでいる方々よ、どうか意識不明の3歳児のために、亡くなったM君のために、助かったお姉ちゃんのために祈ってくれ。

そして当地のこころの専門家たちよ、お姉ちゃんにとって必要なときは、是非、十二分に手を貸してほしいと心から願う。

哀しみの上に哀しみを重ねてはならない。

2014(平成26)年4月12日(土)『ケルト好き』

元々は、スコットランド人の友人が出来てから、ケルト(Celt)への関心に急に高まった。

例えば、ケルト的な現代音楽では、エンヤ(Enya)やケルティック・ウーマン(Celtic Woman)

https://www.youtube.com/watch?v=Yfwlj0gba_k

が有名だが、私が彼から教えられたのはキャパケリー(カパーケリー、カパケリ)(Capercaillie)であった。

そのリズムは実にケルト伝統音楽らしく、ケルト語(ゲール語(Gaelic))も魅力的で、何度聴いてもつい踊り出したくなってしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=GS2KD-da_nU

“ゆらぎ”をはじめとして、ケルト音楽と日本の音楽との共通点を指摘する声も大きい。

ティン・ホィッスル(Tin whistle)の音を初めて聴いたときは、日本の篳篥(ひちりき)かと思い、特に島唄(沖縄の音楽)との共通点は非常に大きいように思う(映画『ナビィの恋』では両者が使われた)。

個人的感覚としては、ケルトには、どこか縄文と共通のシャーマニックな香りがするのだ。

以後、日本ケルト協会の主催するケルティック・フェスティバル(Celtic Festival)にも足を運んだり、

日本スコットランド・ハイランド・ゲームズ(Highland Games)に参加したり、

アイルランドのセント・パトリックス・デー(St.Patrick's Day)では、原宿パレードにも参加した。

ここでダンスについて外すわけにはいかず、スコティッシュ・カントリーダンスからアイリッシュ・ダンスまで実に楽しい。

では、伝統的な少女によるアイリッシュダンスと

http://www.youtube.com/watch?v=US2kEQQZoFw

ショー化したアイリッシュダンスとしては、日本でもリバーダンス(Riverdance)の公演が有名だが、ここに超絶技巧のアイリッシュダンス(タップダンスと言った方がいいかもしれない)をご紹介しよう。

http://www.youtube.com/watch?v=11HdGesJIWg&feature=related

最後に、アルコールは、ビールのギネスも、通常のスコッチ・ウイスキーもいいけれど、やはり(シングル)カスク(cask)が最高である。

クセも度も強い(アルコール50〜60度)けれど、ノドもココロも焼けるほど美味い。

都内の店でもなかなか出逢えないけれど、機会があれば、是非ご賞味あれ。

2014(平成26)年4月11日(金)『コピーはイヤぢゃ』

先日、精神医学雑誌を読んでいたら、

「アメリカのうつ病治療の精神療法、○○○○療法の我が国における権威、□□教授にお話を伺う」とか

「イギリスの自閉スペクトラム症療育△△△△を日本に初めて紹介した◇◇教授による特集」

などという文言が目につき、心の底からガッカリした。

日本はまだ文明開化か!?

今だに欧米か!?

留学徒弟に、翻訳者、紹介者、そんな受け売り、二番煎じで、“第一人者”や“その道の権威者”になれるの? なるの? なりたいの?

情けない。本当に情けない。

近藤先生がホーナイの許から帰朝されたとき、ある日本のフロイト派の“権威”から、「何故あなたはホーナイの直弟子という立場を利用しないのか?」と言われたそうである。

ゲッゲロゲッゲッゲー。

そして後に近藤先生自身が弟子たちから「近藤派」立ち上げの動きを聞いて、実に寂しそうな顔をされたのを今でも覚えている。

どいつもこいつも“自分”で勝負しろよっ! “真実”で勝負しろよ!

私もまた“ホーナイ派精神分析”をいくら学んだところで、“ホーナイ派精神分析医”になるつもりはさらさらないし、近藤先生からいくら学んでも、“近藤派の精神療法家”になるつもりは全くない。

受け売り権威野郎になるのは死んでもイヤぢゃ。

私は私を生きなければ、先生に合わせる顔がないし、

私が求めているのは、人間のこころの“真実”だけである。

2014(平成26)年4月10日(木)『ナースの原点』

看護師さんたちは、患者さんに対しては、言われるまでもなく、優しく接しておられると思う。

でも「対患者さん」以外の場面ではどうだろう。

まず、自分自身に優しくしていますか?

次に、同僚や後輩の看護師にも優しくしていますか?

そして、職場の他の医療従事者にも優しくしていますか?

それから、できれば、医者にも優しくしてね。

つまり、縁あって出逢った人間に優しくすること、「ナイチンゲールの誓詞」にあったよね。

もちろん表面的になんでもよしよししてあげることが優しさじゃないからね。

表面的にはソフトでもハードでも、その背景に“愛”があるか否か(相手の存在を育てる力が働いているか否か)がすべて。

それは患者さんからも、後輩たちからも見抜かれている。

「わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。」

看護には、人間を幸せにする使命が託されているんです。

2014(平成26)年4月7日(月)『自分だけの感覚』

今の季節、寒暖の差の激しい日が続く。

日毎の差だけでなく、一日のうちでも気温差が大きい。

そうなると、道行く人のファッションにもかなりの差が見受けられる。

いまだにコートにマフラー、ブーツの冬装備の人もいれば、長袖シャツ一枚にチノパン、裸足にスニーカーの軽装の人もいる。

日中はTシャツ姿の人もいた。

見ていて面白いのは、この寒暖の衣服調節だけは、みんな“自分だけの感覚”に基づいて行っているということだ。

他のことでは、あんなに“他人の基準”や“みんなの基準”を気にするのにね。

自分は寒く感じるんだから、着込んでていーじゃないか。

自分は暖かく感じるんだから、薄着していーじゃないか。

全くその通りである。

どうか人生の他の場面においても、“自分だけの感覚”に基づいて言動が行われ、あなたならではの人生が送れますように。

こんなところにも成長の種はあるのだ。

2014(平成26)年4月4日(金)『テスティング』

わざと相手がイヤがるようなことをして、それでも相手が自分のことを愛してくれるかどうかを試すことをテスティング(testing)という。

通常の発達段階で、子どもが親に対して行うこともあるが、そのままの自分を愛されずに育った人であれば、何歳になっても、自分にとって大切な人に対して繰り返し行う可能性がある。

いわゆる神経症圏やパーソナリティ障害(人格障害)では、定番の“症状”のひとつでもある。

これは本当に面倒くさい。

どんなことをされても、果てしなく「いいよ、いいよ。」と許すわけにはいかないし(必ずやることをエスカレートさせてくる)、

かといって、少しでも非難しようものなら「やっぱり私のこと、愛して(信じて)いないんだ。」とスネるかカミついて来るに決まっている。

そんな相手に出逢ったときの私の答えはひとつ。

「あなた自身は信用できるけど、あなたに埋め込まれたものは信用できない。」

言い換えれば、「本当のあなた(=あなたの中の『真の自己』)は信用できるが、ニセモノのあなた(=あなたの中の『仮幻の自己』)は信用できない」ということだ。

ニセモノの自分によるちょろまかしのゲームに巻き込まれるわけにはいかない。

こころから愛されたければ、信用されたければ、他でもない本当のあなたで生きていこう。

そのために本気で変わりたい、成長したい、という時機が来て初めて、セラピストの出番がやってくる。

2014(平成26)年3月31日(月)「男と女の弱さ」

「男の性欲」と「女の寂しさ」は、人間の躓(つまづ)きの元である。

男は自分の性欲を満たすことが真の目的でありながら、女の寂しさを癒すかのように近づき、

女は自分の寂しさを癒やすことが真の目的でありながら、男の性欲を刺激するかのように近づく。

その結果が、

望まぬ妊娠と

女の体に飽きた男と

男の心に失望した女

に行き着くだけという顛末では、悲し過ぎる。

男が性欲を満たした後も相手の女性を愛しいと思うかどうか。

女が寂しくないときも相手の男性と一緒にいたいと思うかどうか。

見定めましょ。

そりゃあ、弱いのも人間だけどさ、

少なくともこれからは、こころの傷を増やさないようにしようね。

明日から4月、新年度が始まる

どうか良き出逢いに恵まれますように。

そうでなければ一人豊かに過ごすべし。

2014(平成26)年3月28日(金)『三日坊主』

「三日坊主」という言葉がある。

その背景に、なんでも忍耐・努力して続ける我慢大会の優勝者が“立派な人”という価値観が臭って気持ち悪い。

それは単なる抑圧の強いヤツに過ぎず、やがて、イヤなことを無理して頑張ったからにはそれに値するご褒美がないとイヤなので、エラソーで独善他罰的なヤツになっていく。

面白くないこと、やり甲斐のないことは、普通、やりたくない・続かないに決まってるじゃないか。

だから、そんなことはとっととやめる、堂々とやめるに限る。

その方が遥かに健全である。

よって、否定的ニュアンスのこもった「三日坊主」というイヤな表現を私は使わない。

胸を張って、自分は「三日女王」「三日大王」である、と名乗るべし。

さらに付け加えるならば、本当に腹の底からやると決めたこと(即ち、天命としてやることになっていること)は、どんな大変なことでも、どんなつまらないことでも、やれる。

だから、これも「三日坊主」にはならないのだ。

当たり前のことに、わざわざ自己否定的な表現を使うことなかれ。

やりたくないことはやらない(やれない)ことに堂々たるべし。

2014(平成26)年3月26日(水)『大人の階段のぼる』

おいおい、丸投げで

「なんとかしてくれ。」

じゃないだろ。

自分でなんとかしようとしろよ。

同じく

「こんな人はいないのか。」

「こんな組織(会社、病院など)はないのか。」

じゃないだろ。

そういう人間に自分自身がまずなってみせろよ。

そういう組織を作ってみせろよ。

不満や文句、要望だけを言ってりゃ良かったのは子どもの頃だけだ。

自分でなんとかするのを大人というんです。

二十歳を過ぎた子どもたちよ、今から大人になりましょう。

大丈夫。

私も遅ればせながら大人になれましたから。

2014(平成26)年3月21日(金)『殴ル蹴ルノススメ』

大人になってからの運動不足は、よく指摘されるところであるが、私に言わせれば、同じ体を動かすのなら、体だけでなく心にとっても良いものを選んでいただきたいと思う。

娑婆で生きている際のストレス源として最大のものは、やはり人間関係であろう。

ホーナイの言葉を待つまでもなく、現代社会は神経症の坩堝(るつぼ)である。

よって、そこここの人間関係においてストレスが溜まるのは必定である。

もっとはっきり言えば、怒りが溜まる。

従って、溜まった怒りが悪さをしないうちに、“健全に”発散・解消した方が良いということになる。

だからオススメしている、“殴る蹴る”の要素を含んだ運動を。

但し、集団で行うスポーツや1対1の対戦形式だと、そこでまた新たなストレスと怒りが生じる可能性があるかもしれないので、私は原則として一人でやれるものを推奨している。

バッティングセンターよし。
オートテニスよし。
サッカーボールの壁蹴りよし。
大きなクッションを思い切り殴る蹴るのもよし。
可能ならばサンドバックよし。
ああ、和太鼓もいい。

殴ったり叩いたり蹴ったりしたときに、“確かな手応え・足応え”があることが重要である。

馬鹿にしたものではありません。これだけで晴れることが随分あるんですよ。

お試しあれ。

そしてそれで解消しない“根”の深い問題は、きちんとしたセラピーを受けて解決しましょう。

2014(平成26)年3月17日(月)『赤帽さん』

昔、東京駅に赤帽さんがいた。

重い荷物を持って運んでくれる、西洋風に言えば porter のような人である。(今もいるのかな? ちなみに全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会とは別である)

時々、母と弟と三人で田舎から上京した私は、重い荷物をいくつも軽々と運んでくれる、赤い作業帽に紺のツナギの、真っ黒に日焼けした屈強なおじさんの働きぶりを驚きの目で見ていた。

あるとき、6歳頃だったと思うが、家族三人、重い荷物を三つも運び疲れ、立ち往生していると、赤帽さんの方から声をかけてくれた。

『運びましょうか?』「はい。…えっ?」

確かに真っ黒に日焼けしていたが、女性の、しかも小柄で相当年配の赤帽さんだったのだ。

頼むのも悪い、
断るのも悪い、
という思いが親子三人の頭の中を走った。

そんなことを思っているうちに、その赤帽おばあさんは荷物を抱えてさっさと歩き出したのだが、結局、母も荷物を一つ抱え、子ども二人も赤帽さんに持ってもらっている二つの荷物を下から「よいしょ、よいしょ。」と支えながら、東京駅の出口まで運んでもらった。

赤帽さんも却ってやりにくかったろうが、ニコニコしながら子どもたちのしたいようにさせてくれていた。

あのときの珍妙な光景は今も覚えている。

思い出し笑いしながら、そんなに悪い光景ではないと思う。

プロなんだから、金払うんだから、やれよ式で、平然と眺めていられるような馬鹿野郎にはなりたくないし、

人間としてのアタリマエの感覚を持ち続けていたいと思う。

これは今も
セラピーの
そして
生きることの根底にある。

2014(平成26)年3月13日(木)『先生の部屋』

八雲の近藤宅の玄関を入って左側の部屋が、今の私の面談室だが、近藤先生は玄関を入って右側の部屋を面談室として使っておられた。

かつて開業する際に、奥さまからは右側の部屋を使うように言っていただいたが、
近藤先生縁(ゆかり)の場所を取っておきたくて、今の左側の部屋をお借りした。
(今の部屋も近藤先生が開業当初は面談室として使っておられたそうだ)

右側の部屋は、ときに待ち合い室として使わせて戴いているが、
部屋で待っていた人が、一度も近藤先生に逢ったことがないのに
「この部屋はどうしてこんなにホッとするんでしょう。」
と言われたり、
「なんだか知らないけど涙が出て、楽になっちゃいました。」
と言われる場合もある。

「近藤先生、営業妨害ですよ。」と私も心の中で笑う。

中には早めに来られて、待ち合い室で過ごすのを楽しみにしている方もいらっしゃる。(近藤家に来客があったときは使えませんが…)

実は、私自身、その部屋に入る度に同じことを感じている。

右側の部屋は、正(まさ)しく私が近藤先生から直接、薫習(くんじゅう)を受けて来た場所であり、私だけでははない、多くの人たちが涙と溜め息で真実を語り、多くの人たちが救いと歓びを感じて来た場所なのだ。

そして今も感じる近藤先生の“存在”。

“存在”とは“働き”のことをいう。

かつての先生を通しての“薫習”の“働き”は、永遠に続いているのである。

2014(平成26)年3月12日(水)『強さと勁(つよ)さ』

どんなに荒(すさ)んだ学校でもどんどん行ける、
どんな酷(ひど)い上司のいる職場でもがんがん働ける、
そんな人が時に“強い人”などと思われたりする。

私に言わせれば、
それはだだ鈍感で(あるいは感覚麻痺を使って)、
馬鹿な(あるいは魂を売っている)だけである。

だからやれる。

敏感な人は、
健全な人は、
周囲の人間の異常さを感じざるを得ない。

だから、登校拒否や出社拒否になったりもする。

間違ってはならない。
それは“弱い”からではない。
マトモだからである。
(実は“馬鹿で鈍感”を使って生きている連中の方が遥かに“弱い”のだ)

要はそれからで、
環境に改善が見られなければ、
そんな場所からとっとと去るのも勿論あり、である。

また、自分がフツーで環境がイジョーだということを自覚した上で、
縁があれば、
敢えてその環境の中で、自分の軸で堂々と生きるという選択肢もある。

そうなれば、
やめても
とどまっても
本当の自分を生きる、という意味において同じであり、
どちらも“勁い”と言えるのである。

“強さ”と“勁さ”、間違うことなかれ。

2014(平成26)年3月6日(木)『スモールワールド』

かつて子どもの頃の家庭がそうであったように、

大人になってからの職場は、
それがこの広い世界のほんの一部であるにもかかわらず、
あたかも全世界であるかのように感じられて来る。

要注意!

要注意!

そこの上司や先輩や同僚や後輩が言っていることは、この広い世界に生きている七十億人の人間のうちの、ほんの一部の意見に過ぎない。

絶対的に正しい意見だと鵜呑みにしないように。

さらに徹底して言えば、
周りの人間が何人、何十億人、何と言おうとも、
あなたの生き方、あなたの人生は、
すべてあなた次第なのである。

だから、小さな世界の思い込みに洗脳されることなく、
自らの感覚を磨いて、
堂々と他ならぬ自分自身の人生を生きて行こうね。

2014(平成26)年3月5日(水)『空の天気予報』

大きな桜の木の生えた庭。

平屋の古い木造民家。

片足の悪いじいさんが一人で住んでいた。

ある日、雨に濡れながら向こうから歩いて来る、顔見知りのじいさんに行き逢った。

雨の中でも咥(くわ)えタバコだ。

小学校低学年の私は傘をさしての帰り道、思わず言った。

「傘持ってかなかったの?」

『ああ。』

「天気予報で雨だって言ってたでしょ。」

『オレも空に訊いたんだ。』

「え?」

『そしたら空が、傘は要らねぇって言ったんだ。』

「じゃあ、空の天気予報がハズれたんだね。」

『いや…雨が降ったら濡れていけって空は言ったんだ。』

二十年前、なんでこんな夢を見たのか。

人間にとって必要なのは、功利的に役に立つ目先の予報ばかりじゃないんだよね。

「そのときはそのときにおまかせしな。」っていう啓示だったんだな、と今ならわかる。

2014(平成26)年2月28日(金)『田舎のお嬢さま』

「田舎」の坊ちゃん出身の私にはよくわかるテーマである。

「田舎」では、家が“ちょっと”裕福だったりすると(地方の名士とか)、すぐに“お嬢さま”になれる。

“ちょっと”裕福な分だけ、子どもに手をかけてもらえる経済的余裕があり、
“ちょっと”成績が良かったり、
“ちょっと”見た目が良かったり(良さそうに見えたり)する。

しかし、すぐにわかる通り、金、学歴、外見など、それらはみんな通俗的で、くっだらないポイントばかりなのである。

その子の存在そのものが無条件で、受け入れられ、承認され、愛されているわけではない。

そして待っているのが「都会」に出たときの挫折である。

「都会」の基準では、
大して裕福でもないし、
大した学歴でもないし、
大して美人でもない。

虚栄としてのプライドだけが張り子の虎のように大きくなり、いつの間にか、中身の空っぽさもその分だけ大きくなっていた。

分かれ目はそれから。

それでもさらに張り子の虎の厚塗りを重ねて行くのか、それとも、張り子をぶっ潰し、内実を取り戻す方向に大きく舵(かじ)を切るのか。

前者の場合、エラソーにできる職業・立場に就(つ)こうとする場合も多く、医師、教師、セラピスト…上から目線で話せる「先生」商売でないと、虚栄心を保てないにょろよ。

そのためにわざわざ「お嬢さま」の栄光に浸りやすい「田舎」に戻ってくる人も少なくない。

なんだか哀れだね。

後者を選ぶのは、なかなかな勇気が要るけどさ、

くっだらない表層的評価を離れて、自分自身でいるだけで、しみじみ安心で幸せなのって、良いもんだよ。

あとはあなた次第。

私は後者にしか縁はないな。

2014(平成26)年2月25日(火)『傷は秘められるべからずⅡ』

かつて『傷は秘められるべからず』

http://www.yakumo-institute.com/article/14738627.html

という日誌を書いた。

そして今日、読売新聞「編集手帳」に次の記事が載っていた(一部表記改訂、全文はどうぞ本紙をご覧下さい)。

「母親を病気で亡くし、小学3年生の少女は漁師の父親と二人暮らしをしていた。

1年前の記事をご記憶の方もあろう。

北海道湧別町で厳しい吹雪のなか、父親は娘をかばい、覆いかぶさるように抱いて一夜を過ごした。娘は助かり、父親は死亡した。

『応援してくれた全国の皆さまへ』と宛名にある。

4年生になったONちゃん(10)が本紙に託したお礼の手紙を読んだ。

いまは同じ町内の親戚の家で暮らしている。

<わたしは今とても元気です>。

連れていってもらう温泉が好き。理科と図工が好き。漢字の練習が好き。

10歳の胸に抱く“昔”は、それでもやはり重たいのだろう。

夜のベットで、父親Mさん(当時53歳)の優しい顔が浮かんできて涙が出ることもあるという。

手紙は結ばれている。<お父さんが遠くから安心して見守ってくれるよう、人を想(おも)える大人になれるようがんばります>。

天国のお父さんが目を細めて泣いている。」

Nちゃんに、そして、今この日誌を読んでいる全ての対人援助職の方々に申し上げたい。

「人を想(おも)える大人」であるためには、まず自分自身が個人生活において幸せでなければならない。

あなた自身がカラカラのパサパサでは、他人を本当に癒やすことはできない。

あなたの幸せがあなたから溢れて、溢れた幸せが他人を潤すのだということを、どうぞお忘れなきように。

2014(平成26)年2月24日(月)『婚活』

婚活のドキュメンタリーをテレビで放映していた。

真面目な彼女は悩んでいた。

売れそうな商品に化けるのか

自分であることに磨きをかけるのか。

もちろん婚活産業のアドバイスは前者ばかりであった。

濃い化粧。

露出の大きい服。

気の利いた話題。

作り笑顔。

叱咤激励されるがままにやってみた…が…もう疲れた。

不本意なことまでやって売り込むことにウンザリした。

その先に本当に幸せな人生が待っているとは思えなかった。

彼女は自分らしきに磨きかけることにした。

そうしたら、そもそもの誤りに気がついた。

相手が必要なことである以上、「結婚したい」が目的になることはあり得ないということに。

“この人が好き”が先である。

“あなたと一緒にいたい”が先である。

「出会う」ことの意味の変わった彼女は、もっと気軽に出かけられるようになった。

私が私でいることはもう売り渡せない。

自分を磨いた上で、後は出会う機会をわざわざ減らさないようにするだけである。

これは婚活だけの話じゃないな。

2014(平成26)年2月20日(木)『哀しいときは』

哀しいときは涙が出ます。

哀しみがちゃんと経験されればその後、涙は止まります。

また思い出すことがあるかもしれません。

そのときはまた涙が出るだけです。

そしてまた涙は止まります。

だから、
哀しみを自分でいじって、
増幅させたり
長引かせたりするのは
やめましょう。

浸(ひた)って
酔えば
綺麗な哀しみが
汚なくなります。

本来の哀しみは
サラサラと
サラサラと
したものです。

自然に
溢れては止まる
哀しみを
ちゃんと
体験してあげましょう。

それが感情本来の性質ですから。

2014(平成26)年2月18日(火)『胸内苦悶感』

あるクライアントの方が真剣な顔で言われた。

「先生、不安になると、胸の中が、(胸骨を指して)ここの中が本当にザワザワして来るんですよ。
譬(たと)えじゃありませんよ。
落ち着かなくて、なんだか生きた心地がしなくなるんですよ。」

それならよく知ってるよ。

私も散々経験して来たもの。

でもとうになくなった。

ひょっとしたらまた何かのはずみで起きることがあるかもしれないが、心配は全く心配していない。

起きたとしても、丹田呼吸で消せるから。

もし今が幕末維新の時代で

私が志士の一人だとして
刀を抜いた新撰組の隊員たちに囲まれたとしたら
どうだろう。

不安になるかな。

恐くなるかな。

きっとなるだろうな。

勝てないかもしれない。

切り抜けられないかもしれない。

しかし、丹田呼吸をして、斬られても堂々と死にたいと思う。

ちゃんと死にたいから

ちゃんと生きたいから

毎日毎日、丹田呼吸をやっている。

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