2014(平成26)年4月17日(木)『薩た(土扁に垂)王子を想うとき』
読売新聞の今日の報道(一部表記改訂、全文はどうぞ本紙をご覧下さい)。
「16日午後4時頃、福島県郡山市の阿武隈川で、『子どもが流されている。』と通行人から119番があった。
通行人らが川の中から3人の子どもを救助、病院に搬送されたが、このうち近くに住む小学1年TM君(6)が死亡し、女児(3)が意識不明の重体。郡山署で事故原因を調べている。
同署幹部によると、現場の河川敷では、近くの小学校の児童ら約10人が遊んでいた。3歳児が川に落ち、T君とT君の姉で小学3年の女児(8)が助けようとして川に入ったという。T君の姉に目立ったけがはない。3歳児は約200メートル流され、T君はさらに下流で救助された。
現場はJR郡山駅の南約2.5キロ先。目撃した近所の女児は『女の子を助けようと、男の子が鼻をつまんで飛び込んだ。周りの子は『流されちゃった。』と大きな声で叫んでいた。』と話した。」
一読して、かつて小誌で取り上げた『傷は秘められるべからず』
http://www.yakumo-institute.com/article/14738627.html
http://www.yakumo-institute.com/article/15030869.html
を思い出した。
6歳のM君はどんな思いで“鼻をつまんで”川の中に飛び込んだのだろう。
助かった8歳のお姉ちゃんは今、どんな思いでいるのだろう。
そしてこれからどんな思いで生きて行くのだろう。
私にとって縁の深い当地だからこそ一層思う。
今この小誌を読んでいる方々よ、どうか意識不明の3歳児のために、亡くなったM君のために、助かったお姉ちゃんのために祈ってくれ。
そして当地のこころの専門家たちよ、お姉ちゃんにとって必要なときは、是非、十二分に手を貸してほしいと心から願う。
哀しみの上に哀しみを重ねてはならない。