2014(平成26)年12月28日(日)『人物を作る』

ある精神分析医の書いた本を読んでいる。

純粋に専門知識の整理のためと思って購入した本だが、読み始めて数ページで、読み続けることが苦痛になって来た。

著者は頭の良い人で、真面目な勉強家である。

多少見栄っ張りではあるが、性格はむしろ“良い人”に属するかもしれない。

だけれども、である。

哀しいかな、人間の器が小さいのだ。

そんな視野の狭い、小人物を基準にした、セコい話はどうでもいいだろう、というような話が、どうだ、どうだ、と繰り返し挿入されて来る。

うーむ。

通常、精神分析医になるための教育分析は、被分析者の神経症的な部分を問題とし、その解決のプロセスの経験が、やがて被分析者が分析医になったときに役立つ、ということになっている。

だが、そのレヴェルでおしまいなのだ。

神経症的な部分の解決で終わり。

(本当の意味での)人間的成長とか、人格陶冶などといったことは、全く目的とされていない。

私はそれを知ったときに愕然とした。

そして、だから(物知りでスキルフルかもしれないが、)こんな人格の未熟な精神分析医が多いのか[また失礼]ということに悲しい納得がいった。

私が受けた教育分析はそうではなかった。

もしそういうの方を教育分析というのなら、私が受けたのは教育分析なんぞではなかった。

むしろ精神分析的な専門知識や技術の習得は“捕捉的な部分”に過ぎず、

恩師ならではの、“人物”を作っていくための、人格が人格に、存在が存在に影響を与える“薫習(くんじゅう)”が、その指導の“中心”であった。

ああ、だから、そんな世界があることを知らない人間は、訓練分析、スーパーヴィジョン、組織的な指導などということが平気で言えるのだ。

近藤先生レヴェルの人間が二人も三人もいるわけないし、組織的指導などあり得ない。

こう言っても、多分、わからない人間からは“幻想”と言われるのが関の山だろう。

しかし、日本精神分析協会に属するあるヴェテラン精神分析医が、私が近藤先生の薫陶を受け、八雲で開業しているということを聴き、それはフロイトやユングから直接に指導を受けるよりも幸運なことだ、と言って下さったそうである。

私はそれを聴いて、近藤先生の真価のわかる人がこの世にいたのか、と思い、却って驚いた。

そんなこんなしているうちに、私が体験したことがいかに幸運なことであったかということが身に沁みて感じられて来るのである。

この著者には、精神分析の知識と技術は十二分にあっても、そういった“人物”のモデルがなく、“人物を作る”という発想もないのであった。

大変、大変、気の毒である。

私は、神経症的な部分が解決されただけの人間ではなくて、

ホンモノの“人物”になりたいと思う。

それが近藤章久という“人物”に出逢えた甲斐というものであると確信している。

2014(平成26)年12月9日(火)『で、どうする?』

医療福祉関係者から、ときどき尋ねられる質問。

「私のような人間が、対人援助職をやっていていいんでしょうか?」

このような質問するだけ自分のことを見つめられており、問題だらけのまま無自覚で患者(利用者)さんに関わっている連中よりは遥かにマシである。

しかし、そのまま「いいですよ。」と言うわけにはいかない。

私はこう訊き返す。

「で、あなたはその仕事をやりたいの? やりたくないの?」

そしてもし「やりたい。」と答えられるならば、私はこう付け加える。

「だったら、成長して行くしかないでしょ。」

人間、どこまでいっても、未解決の問題、成長課題がないはずはない。

やる道を選ぶのなら、這(は)ってでも前に進むしかないのだ。

もし「私のような人間が、対人援助職をやっていていいんでしょうか?」と言いながら、

現状打破のために何もしない人間がいたとしたら、私はこう答えるだろう。

「やらない方がいい。」

役に立たない、さらに、迷惑な自称・対人援助職者たちは、既に巷(ちまた)に溢れている。

これ以上、患者(利用者)さんたちを困らせるわけにはいかないのだ。

私は切実な成長意欲を持った人たちと一緒に前に進んで行きたいと思う。

2014(平成26)年12月6日(土)『満月』

今宵は満月だ。

東京は晴天に恵まれ、皓皓(こうこう)と照る月を十分に仰ぎ観ることができた。

「月光浴」や「月光菩薩」、「寂光土」については既に書いた。

今日は、満月を観ると血が騒ぐ話。

あなた、騒ぎません?

わたし、騒ぎます。

ローマ神話で、月の神はルナ(Luna)というそうで、その派生語として、

lunatic [名詞]「精神異常者、狂人」 [形容詞]「狂気じみた、ばかげた」(新英和中辞典)

lunacy [名詞]「精神異常、狂気」「愚行、狂気の沙汰」(同上)(ちなみに、かのRYUICHI河村隆一)の LUNA SEA の7枚目のアルバムは正に『LUNACY』であった

という単語があり、この和訳は、些(いささ)か強烈であるが、

「昔は月から発する霊気に当たると気が狂うとされた」(新英和中辞典)

という記載には、自分の体感からどこか納得するものがあった。

但し、個人的には「気が狂う」ではなく、「本来のものが解放される」感覚なんだけどね。

ちなみに狼男が満月を観て変身するというのは後世の創作だそうだ。

わたしなら、満月を観たときだけ本来の自分を取り戻すという話を書くな。

では、皆さまも月をご堪能下さい。

満月を過ぎても、月の光は lunatic です。

2014(平成26)年11月23日(日)『触れる』

今日の帰り路、バス停で別れ際にハグしている若い女性同士を見かけた。

最近は、人前でフツーにハグしている若いカップルもよく見かける。

そう言えば、手をつないで歩く年配のカップルの姿も珍しくない。

日本人のコミュニケーションの最大の欠点は、身体的接触の少なさだと私はかねがね思って来たが、少しずつ変化しているのかもしれない。

本来、相手の身体に触れることは、紛れもなく生きている相手を感じることになるので、とても重要なことだと思っている。

勘違いのセクハラ行為は願い下げだが、信頼し合っている同士、愛し合っている同士では、ハグする、手をつなぐ、背中や肩に手を当てる、握手する、ハイタッチするなどなど、もっともっと触れる行為があってもいいだろう。

あなたが相手を感じるとき、相手もあなたを感じている。

そしてひょっとしたら、あなたと相手の存在を貫いて働いているものを感じられるかもしれない。

皆さんは遺体の冷たさというのをご存知だろうか。

あの冷たさを感じたときがお別れの瞬間だと私は思っている。

そしてわれわれもやがてそうなる。

だから生かされているうちに触れておきましょう。

大切なあの人に。

2014(平成26)年11月10日(月)『だからどうだってんだ』

ときどき戦国時代や幕末維新に生きたサムライたちのことが無性に羨ましく思われるときがある。

いつ斬られて、射られて、撃たれて、死ぬかわからなかったら、

くっだらないコトを、モノを、ヒトをいちいち気にして生きているヒマはないからな。

今ここで思いっ切り自分を生きて死ぬしかない。

だから、つまらないことがこころに引っ掛かって、生命(いのち)の流れが滞(とどこお)りそうになったら、

木刀をギリギリと絞って上段に構え、こう唱える。

「だからどうだってんだ。」

降り下ろす気合いが増すほど、戻って来る流れがある。

繋縛(けばく)は斬らねばならん。

2014(平成26)年11月7日(金)『路地の夢』

最寄り駅の近くに細長い路地がある。

その両側に小さな飲食店が立ち並び、ちょっと足を踏み入れただけで、ようやく自分の店を持った人たちの意気込みのようなものが伝わって来る路地である。

この店を持つために修行して来たんだろうな。

こんな店を持ちたくてしょうがなかったんだろうな。

ちょっと予算が足りなかったけど、ちょっと小さな店になっちゃったけど、無理してでも開業したかったんだろうな。

外装から、レイアウトから、内装から、メニューから、そして一番はその料理から、いろいろな想いが伝わって来る。

それでも、現実はなかなか厳しくて、しばらく行かないと、なくなってしまっている店もある。

いやいや、それでもかまうものか。

捲土重来(けんどちょうらい)、また巻き返せば良いさ。

言い訳を並べて人生を諦めてしまっている連中よりも、上を向いて挑戦しようとするあなたの姿勢を私は支持する。

だから不意に、料理を食べたいというだけでなく、その志の雰囲気を味わいたくて、私はその路地を訪れるのである。

そこに路地の夢がある。

2014(平成26)年11月4日(火)『泥』

人間をやっていれば裟婆の泥をかぶるときもある。

ムカついたり、イヤになったり、ウンザリしたり。

しかし残念ながら裟婆に生きている限り、泥をかぶることは不可避である。

自分以外の人間の問題は、こちらが思うように解決できないからね。

よって意識・無意識を問わず、こちらに泥をかけ続けてくることになる。

けれどそれでも、こちらにはこちらでできることがある。

泥がかかる端からさらさらさらさらと洗い流してしまうことである。

かの近藤先生も「毎晩こころの中のシャワーを浴びてから寝るんだよ。」とおっしゃっていた。

逆に言えば、浴びた泥が洗い流されずに残ると、その間、思い出し思い出し懊悩することになるし、

時にはそれが昂じて、まだかかってない泥のことまで先取り不安することも起きて来る。

だから、できるだけ早くさらさらさらさらと洗い流し、あなたが綺麗な状態でいることが必要なのだ。

そのために、丹田呼吸があり、木刀があり、祈りがあり、セラピーがある。

そしてそれらを活用して、何度どんなに泥をかぶっても、あなたはあなたをちゃんと生きる。

それを勁(つよ)く生きるというのである。

2014(平成26)年11月3日(月)『魂の帰りたがっている場所』

新聞のコラムにある老編集者の言葉が引用されていた。

「有名になってしまえば、芸のないタレントでもお座敷がかかる。学識の深くなさそうな学者でも講演会の依頼が入る。才能の豊かとも思えぬ作家の二番煎じの本でも売れる。」

「その結果、いいものが売れるのではなく、売れたものがいいものだという転倒した価値観が定着してしまった。この考えが日本社会を汚染した。」

「売れる売れないにかかわらず黙々と自分の役割を果たしている人が世の中にはいる。話題になることなど眼中になく、こつこつと努力を続けている人がいる。」

「このような人々によって社会は支えられているのではないか。」

「日本人は豊かになっても落ち着かず、上の空で暮らしているように見える。それは魂の帰りたがっている場所を捨ててしまったからではないか。」

八雲や私の勉強会、ワークショップに来ている人たちは、自分の魂の帰りたがっている場所を求め、自分の今生での役割を果たそうとしている人たちが多い。

決して“うまいこと生きる”のに長(た)けた人たちではない。

しかし、この編集者をはじめ、そういう人たちが、いかに少数でも、ちゃんといることを、ちゃんと生きようとしていることを私は誇りに思う。

その人たちの魂の帰りたがっている場所を明確にし、その生きる姿勢を明確に支持することが私の大切な役目なのである。

2014(平成26)年11月2日(日)『人心掌握』

ある会社の係長さんが、上司である課長から

「部下の人心を掌握できていないのは管理職として問題なんじゃないか。」

と再三言われ、思い悩んでいた。

そこで私が

「で、あなたはその課長さんを信頼してるんですか?」

と訊くと、課長さんは

「いいえ。こうるさくって困ってます。」

と即答。

「じゃあ、課長さん自身が部下であるあなたの人心を掌握できてないじゃないですか。」

「あ…」

 

他人の心を掌握できるという発想自体、思い上がりも甚だしいと思う。

それが簡単にできるのなら私の仕事も楽なもんである。

脅迫か洗脳でも使わない限り、不可能だ。

こういう詭弁にひっかかるべからず。

あなたがあなたであることを大切にするべし。

本当の信頼が生まれるとすれば、そこからしかない。

2014(平成26)年10月27日(月)『落とした財布』

大学生と思(おぼ)しき二人が電車内で雑談していた。

A「おととい財布落としちゃってさぁ。2万円入ってたから痛かったよ。」

B「そりゃあ、痛いな。」

A「誰か拾って届けてくんないかな。」

B「やっぱ、札は抜かれるでしょ。」

A「だよね。」

B「オレでも拾ったら抜くもん(笑)。」

A「オレも(苦笑)。」

こんな話を挙げることによって、“拾得物は警察に届けなければならない”という話をしたいわけではない。

“〜でなければならない”“〜するべきだ”ではなくて、

“人間として当たり前の感覚”として、落とした人は困ってるだろう、と思って届けるだけだという話をしたいのである。

だから、上記のような話を聞いて、

“〜でなければならない”“〜するべきだ”で反応する人たちは「けしからん!」「なっとらん!」と怒るだろうが、

“人間として当たり前の感覚”を信じている人たちは、人間としての感覚の劣化ぶりを「寂しい」「悲しい」と感じるだろう。

この違い、おわかりか?

本来の自己を取り戻すという中には、この感覚を取り戻すということも当然含まれている。

2014(平成26)年10月14日(火)『合唱』

テレビで合唱コンクールの模様を放送していた。

歌の巧拙は別として、前から気になっていたのが、歌っている児童・学生たちの表情である。

気持ち悪いほど表情を作って、「感情移入してますよ、私は!」と歌っている子たちをよく見かける。

私があの表情から連想するのは、神経症でお馴染みの“感覚麻痺・過剰適応”の世界である。

あれでは、求められた将棋の駒のような役割(パート)は従順に果たせるかもしれないが、

本当の意味での創造性や独自性が発揮されるとは思えない。

それでも、よく見てみると、全員がそういうわけでもなさそうだ。

ちゃんと“自分の顔”で歌っている子もいたりして、ああ、全員が強要されているわけじゃないんだ、と安堵したりしている。

少なくとも私の知っている声楽家たちの中には、あの表情は見かけないな。

となると、やがてみんながあの“変顔”を脱して、自分が自分の主人公となって“自分の顔”で歌っているものと信じたい。

魂を売り渡して歌うことはできないよ。

歌うことは生きることだもの。

2014(平成26)年10月11日(土)『ぐずぐずの効用』

ある人が言った。

「遅くまで仕事をして帰って来て、早く寝れば良いのに、ソファに横になってテレビなんか観て、ぐずぐずしちゃうからダメなんですよねぇ。」

いやいや、そうではない。

その「ぐずぐず」という贅沢な時間の過ごし方があるから、あなたのこころの健康が保たれているのではなかろうか。

すべての時間を無駄なく、計画的、効率的に過ごせる人がいるとしたら、絶対にどこかがおかしくなるに決まっている。

買い物のことを考えてごらんなさい。

買い物の醍醐味は、無駄遣いと衝動買いに決まっている。

すべて計画的にしか買い物をしない人がいるとしたら、小金は貯まるかもしれないが、その人のこころはパッサパサに乾いて行くであろう。

だからもし、どうしても計画的に時間を過ごしたいと望む人がいるとすれば、是非、その計画表の中に「ぐずぐず過ごす時間」というのも予め入れておいてほしいと思う。

そうすれば、ちゃんとぐずぐずしてから眠れるというものだ。

人間が生きることの潤いや豊かさには、そういう「ぐずぐず」が必要なことをよくよく心得ておいてほしいと思う。

そして最後に「ぐずぐず」という表現も変えた方が良いかもしれない。

「ラグジュアリーな」時間なんてどうです?

2014(平成26)年10月10日(金)『お通夜』

今夜はキジバトのお通夜です。

我が家の庭のキンモクセイの木にキジバトが巣をかけました。

やがて二羽のヒナがかえり、親鳥たちはせっせとエサを運びました。

ある朝、巣のあたりで騒がしい音がしました。

二羽のヒナが木の下の鉢の上に落ちているのを見つけました。

カラスに巣を襲われたようです。

一羽は傷が大きかったのか、やがて亡くなり、小さな墓を作りました。

もう一羽は、まだ目が開かず、左足に障害がありました。

襲われた巣に返すこともできず(子育てに失敗したと思うとキジバトのつがいはすぐに別れてしまいます)、急遽、室内にNICUを作り、保護することになりました。

いろいろな情報を集め、手厚く手厚く育てました。

小さくかすれた声をあげ、精一杯首を振り、エサを呑み込む姿は、生きようとする生命(いのち)の塊そのものでした。

6日目の昼でした。

生命の灯がフッと消えるように亡くなりました。

並べて小さな墓を作りました。

キジバトのヒナ二羽の短い生涯の話です。

誰も何も知らずに終わったことかもしれません。

でも、精一杯生きて死にました。

私もちゃんと生きようと思いました。

2014(平成26)年10月3日(金)『御嶽山』

◇NHKニュースより

御嶽山で亡くなったIさん。

6人のグループで、御嶽山に登りました。

自然保護のボランティアをしていたIさんは、料理が好きだったといいます。

登山に行く前、自分のものと併せて家族のためにもサンドイッチを作っていました。

家族は4日ぶりにIさんと対面。

ありました、これ、お父さんのです。

リュックサックには、家族に作ったのと同じサンドイッチが手付かずで残されていました。

ああ、お父さんだと思ったら、もうね、胸がぐーっと苦しくなって、こんな、苦しくて、苦しくて。

寂しいな。

少しぐらいね、食べればよかったのに。

 

 

聴いていて胸が詰まった。

短い言葉の中に、いや、表情の中に、これまで家族で積み重ねて来たものを感じた。

ああ、どうか、すべての哀しむ人たちに寄り添う人がいますように。

2014(平成26)年9月27日(土)『順魔再考』

一遍上人の言葉に

「魔に付(つき)て順魔・逆魔のふたつあり」

「ふたつの中には順魔がなほ大事の魔なり」

とある。

 

“順魔”は、なまじ世俗的にうまくいく=順調に行くことで、“真の自己”を追求し実現する気なんぞにならず、軽佻浮薄(けいちょうふはく)、皮相な人生を過ごすことになるという“魔”を指している。

“逆魔”の“魔”の方が、確かに“病患災難”などに出遭う=逆境に陥ることで苦しみはするが、却って、“真の自己”を追求し実現する道につながって行けることになるかもしれない。

よって、“順魔”の方が手強(てごわ)く、“逆魔”は、活かしようによっては、有り難いことになる。

ここのところをよくよくご領解(りょうげ)あれ。

2014(平成26)年9月23日(火)『俗説二題』

◇時に「あの人はお嬢様/おぼっちゃん育ちだから、わがままだ。」という俗説を耳にすることがあるが、私は同意する気になれない。

親の社会的地位がどんなに高かろうが、経済的にどんなに裕福であろうが、優しさや思いやりに満ちた(わがままでない)人物はいるわけで、

問題は、いくら地位や金があったとしても、愛情のない家庭に育ったことの方にあるように思う。

むしろ愛情が欠けているところを、金品で補おうとした分だけ(貧しい家庭の場合よりも余計に)後のわがままを生み出す温床になっている気がする。

でもね、いくらわがままを主張してそれを叶えてもらったところで、欠けている愛情の穴は埋まらないにょろよ。

本当に欲しいのは、自分が自分のままで大切に感じられる愛情体験だということに気づいた方が良いと思う。

 

時に「今どきの若いヤツは怒られて育ってないから、ものがわからない。」という俗説を耳にすることがあるが、私は同意する気になれない。

健康な心の持ち主なら、わざわざ怒られなくても、相応の状況判断はできるし、その上で自分の言動を取ることもできる。

怒られないとわからない(または、怒られてもわからない、怒られてもわかる気がない)とすれば、むしろ何らかの障害の存在を疑うことになるし、

その場合にしても、必要なのは、それぞれの特性に即した治療や教育(療育)であって、怒ることが有効策とは思えない。

それよりも「怒らないとわからない」「怒られないとわからない」と思っている当人の生育史の歪みの方が気にかかる。

その人間観って誰かの(何かの)影響を受けてません?

そしてもちろん私も怒るときはある。

自分を傷つけ(自分自身を大切にしないことを含む)、他人を傷つける(信頼を裏切り、約束を破ることを含む)ときは怒る。

怒るのはその二つの場合がほとんどではなかろうか。

2014(平成26)年9月12日(金)『比べてみるⅡ』

児童専門外来を担当していた頃、自閉症のお子さんを持つお母さんが、

前の病院の療育担当者から、この子にやれる療育はない、と言われたんです、

と涙ながらにおっしゃったことがあった。

この子はそんなに重いんでしょうか?

と。

私は答えた。

「やることは山のようにあります。」

自分が無知無能なためにやることがないことを、子どもの病状の重さにすりかえる卑劣さは看過できなかった(こういうときははっきり申し上げる)。

もちろん優秀な療育スタッフがいてくれたから言えたことであるが、

もしお母さんがそう言われたまま諦めていたらと思うとゾッとする。

だからやっぱり医療機関や相談先は、比べた方が良いと思う。

そりゃあ、いつもベストのものと出逢えるとは限らないが、少なくともベターなものは選べるはずだ。

私のカウンセリングにおいても同じ。

前回も申し上げた通り、比べられた上で、もし自分の方が見捨てられる側になっても全然構わない。

“相性が悪い”のであれば、それまでのことであるし、“私の力量が足りない”のであれば修行するだけのことである。

とにもかくにも、あなたが良いと感じるのであれば、満足されるのであれば、大人の判断ですから、それでいいのだ。

誰でも今日から“カウンセラー”の看板を掲げて開業できる日本、さまざまな“カウンセラー”が溢れかえる中で、自分が比べて選ぶ“主体”であることをお忘れなく。

お見合いと同じです。誰もあなたの代わりに大事な相手を決められません。

2014(平成26)年9月2日(火)『聴くことⅡ』

昨日の日誌に「我々が“直観”で傾聴すべきは、表面的“音声”などではなく、“生命(いのち)の声”なのである。」と書いた。

この“生命(いのち)の声”と“我の声”とを混同しないでいただきたい。

相手の“我(自己中心性)”が喜ぶように、主観が喜ぶように聞くことが、本当の“聴くこと”ではない。

ここらの間違いが「傾聴」学習者に多い。

 

Cさんが話し始めた。

「a だから b になって…」

そこで私は話を遮(さえぎ)った。

『そこ、違ってるよ。』

そうすると、Cさんは不満気に言った。

「最後まで聞いて下さいよ。」

『そこで間違ってるんだから、後は聴いても無駄だ。』

 

これもまた“直観”で応答しただけの話である。

Cさんの“我の声”が最後まで聞くことを要求し、最後までつきあわせる神経症的やりとりに私を巻き込もうとしたので、斬ったまでのことだ。

Cさんの“生命の声”はそんなことは要求していなかった。

むしろ「未だにそんなくだらないことをやっている私を止めてくれ。」と言っているのが私には聴こえた。

“我”は怒り、“生命(いのち)”が喜ぶ。

セラピー場面では、よく起こることである。

確かに、相手の“我”を満足させてあげれば、あなたは相手にとって“良い人”になれるかもしれない。

しかし、そのために相手の“生命(いのち)”の尊厳を損なうわけにはいかないのだ。

これもまた心得違いなきように。

“聴くこと”にご関心のある方は、Aさん、Bさん、Cさんの話をよくご吟味あれ。

2014(平成26)年9月1日(月)『聴くこと』

Aさんが話し始めた。

「a だから b になって、それで c で… x から y で、結局 z になるんですね。」

その話は「a だから b になって」のところで既に間違っていたが、私は何も言う気にならず、むしろ微笑(ほほえ)ましい思いで最後まで聴いていた。

話し終わったAさんはニコニコしていた。

 

Bさんが話し始めた。

「a だから b になって…」

そこで私は話を遮(さえぎ)った。

『そこ、違ってるよ。』

Bさんは一瞬ハッとした顔つきになったが、

「あ、そっか。a だから β なんだ。」

と言い、ニコニコしながら話を続けた。

私はまた微笑ましい思いで話の続きを聴いていた。

 

近藤門下の私としては“知識”と“技術”によって“恣意的な”セラピーを行うことはない。

“直観”で自然にそうなるだけの話である。

私の中で何が起きていたかに敢えて注釈をつけるならば、

AさんがAさんになっていくために、今は安心して受容される体験が必要だったのであろうし、

BさんがBさんになっていくために、今は率直なやりとりの体験が必要だったのだろう。

我々が“直観”で傾聴すべきは、表面的“音声”などではなく、“生命(いのち)の声”なのである。

心得違いなきように。

2014(平成26)年8月24日(日)『後でつながる』

高校生の頃から“サイコセラピスト(精神療法家)”を目指していた私は、精神科に入局して2年間の初期研修の後、大学院に入学し、当時の教授に頼んで、児童思春期専門の関連病院に行かせてもらった。

そのとき、私の頭にあったのは“学校精神保健”そして“思春期の神経症圏の子どもたちに対する精神療法”であった。

それは自分自身の陰鬱な家庭生活と学校体験に深く根ざしていた。

まだ近藤先生から教育分析を受ける前のことである。

ところが行ってみたら、豈(あに)図(はか)らんや、幼児病棟3〜6歳の自閉症の子どもたちに強烈に惹(ひ)かれてしまった。

激しい自傷行為や他害行為を示す子も少なくなかったが、毎日子どもたちと一緒にデイルームにいる時間がとても楽しかった。

その反面、思春期の精神療法を学びに来たのに、自閉症の幼児たちとばかり過ごしていて、一体オレは何しに来たんだろう、と思うこともあった。

(また、当時入院していた思春期の子どもたちの診断の大半が統合失調症か知的障害であり、私が想定していた神経症圏の子たちが少なかったこともその一因であった)

そしてその後、一方で、近藤先生から教育分析を受けながら、他方で、広く一般精神科臨床を行いつつ、二十年ほど児童専門外来を担当することになった。

思春期〜成人の精神療法を行うにあたり、実は、3歳初診の発達障害の子どもたちが二十歳を過ぎるまでの間、継続的にその成長に関わることができたことが、私にとって非常に大きな財産となった。

そう、今や、精神科臨床に欠かせない軽度発達障害の大人たちを他の精神障害から鑑別することができるのだ

そしてさらに、1次障害(発達障害)の部分と2次障害(その後の生育史の中で起こった2次的な障害(適応障害、うつ病など))の部分を見分けることもできるようになっていた。

それは、それまで大人の精神科臨床しかやったことのなかった精神科医が、最近大人の発達障害が話題になってから付け焼刃で勉強したのとは経験の奥行きが違っていた。

これは有り難い。

その大部分は、熱心な臨床心理士スタッフから学んだところが大きかったが、とにかく私にとっては臨床上の大きな武器になった。

後になって、全くつながりそうになかった二つのことがつながったのである。

そういうこともある。

だからあなたも、目前のことに気を取られず、縁あるものは(縁のないもの、執着モノは×)取り敢えずやってみてはいかがですか。

想定外の大きな“賜物”が待っているかもしれませんぞ。 

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