2014(平成26)年4月4日(金)『テスティング』

わざと相手がイヤがるようなことをして、それでも相手が自分のことを愛してくれるかどうかを試すことをテスティング(testing)という。

通常の発達段階で、子どもが親に対して行うこともあるが、そのままの自分を愛されずに育った人であれば、何歳になっても、自分にとって大切な人に対して繰り返し行う可能性がある。

いわゆる神経症圏やパーソナリティ障害(人格障害)では、定番の“症状”のひとつでもある。

これは本当に面倒くさい。

どんなことをされても、果てしなく「いいよ、いいよ。」と許すわけにはいかないし(必ずやることをエスカレートさせてくる)、

かといって、少しでも非難しようものなら「やっぱり私のこと、愛して(信じて)いないんだ。」とスネるかカミついて来るに決まっている。

そんな相手に出逢ったときの私の答えはひとつ。

「あなた自身は信用できるけど、あなたに埋め込まれたものは信用できない。」

言い換えれば、「本当のあなた(=あなたの中の『真の自己』)は信用できるが、ニセモノのあなた(=あなたの中の『仮幻の自己』)は信用できない」ということだ。

ニセモノの自分によるちょろまかしのゲームに巻き込まれるわけにはいかない。

こころから愛されたければ、信用されたければ、他でもない本当のあなたで生きていこう。

そのために本気で変わりたい、成長したい、という時機が来て初めて、セラピストの出番がやってくる。

2014(平成26)年3月31日(月)「男と女の弱さ」

「男の性欲」と「女の寂しさ」は、人間の躓(つまづ)きの元である。

男は自分の性欲を満たすことが真の目的でありながら、女の寂しさを癒すかのように近づき、

女は自分の寂しさを癒やすことが真の目的でありながら、男の性欲を刺激するかのように近づく。

その結果が、

望まぬ妊娠と

女の体に飽きた男と

男の心に失望した女

に行き着くだけという顛末では、悲し過ぎる。

男が性欲を満たした後も相手の女性を愛しいと思うかどうか。

女が寂しくないときも相手の男性と一緒にいたいと思うかどうか。

見定めましょ。

そりゃあ、弱いのも人間だけどさ、

少なくともこれからは、こころの傷を増やさないようにしようね。

明日から4月、新年度が始まる

どうか良き出逢いに恵まれますように。

そうでなければ一人豊かに過ごすべし。

2014(平成26)年3月28日(金)『三日坊主』

「三日坊主」という言葉がある。

その背景に、なんでも忍耐・努力して続ける我慢大会の優勝者が“立派な人”という価値観が臭って気持ち悪い。

それは単なる抑圧の強いヤツに過ぎず、やがて、イヤなことを無理して頑張ったからにはそれに値するご褒美がないとイヤなので、エラソーで独善他罰的なヤツになっていく。

面白くないこと、やり甲斐のないことは、普通、やりたくない・続かないに決まってるじゃないか。

だから、そんなことはとっととやめる、堂々とやめるに限る。

その方が遥かに健全である。

よって、否定的ニュアンスのこもった「三日坊主」というイヤな表現を私は使わない。

胸を張って、自分は「三日女王」「三日大王」である、と名乗るべし。

さらに付け加えるならば、本当に腹の底からやると決めたこと(即ち、天命としてやることになっていること)は、どんな大変なことでも、どんなつまらないことでも、やれる。

だから、これも「三日坊主」にはならないのだ。

当たり前のことに、わざわざ自己否定的な表現を使うことなかれ。

やりたくないことはやらない(やれない)ことに堂々たるべし。

2014(平成26)年3月21日(金)『殴ル蹴ルノススメ』

大人になってからの運動不足は、よく指摘されるところであるが、私に言わせれば、同じ体を動かすのなら、体だけでなく心にとっても良いものを選んでいただきたいと思う。

娑婆で生きている際のストレス源として最大のものは、やはり人間関係であろう。

ホーナイの言葉を待つまでもなく、現代社会は神経症の坩堝(るつぼ)である。

よって、そこここの人間関係においてストレスが溜まるのは必定である。

もっとはっきり言えば、怒りが溜まる。

従って、溜まった怒りが悪さをしないうちに、“健全に”発散・解消した方が良いということになる。

だからオススメしている、“殴る蹴る”の要素を含んだ運動を。

但し、集団で行うスポーツや1対1の対戦形式だと、そこでまた新たなストレスと怒りが生じる可能性があるかもしれないので、私は原則として一人でやれるものを推奨している。

バッティングセンターよし。
オートテニスよし。
サッカーボールの壁蹴りよし。
大きなクッションを思い切り殴る蹴るのもよし。
可能ならばサンドバックよし。
ああ、和太鼓もいい。

殴ったり叩いたり蹴ったりしたときに、“確かな手応え・足応え”があることが重要である。

馬鹿にしたものではありません。これだけで晴れることが随分あるんですよ。

お試しあれ。

そしてそれで解消しない“根”の深い問題は、きちんとしたセラピーを受けて解決しましょう。

2014(平成26)年3月17日(月)『赤帽さん』

昔、東京駅に赤帽さんがいた。

重い荷物を持って運んでくれる、西洋風に言えば porter のような人である。(今もいるのかな? ちなみに全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会とは別である)

時々、母と弟と三人で田舎から上京した私は、重い荷物をいくつも軽々と運んでくれる、赤い作業帽に紺のツナギの、真っ黒に日焼けした屈強なおじさんの働きぶりを驚きの目で見ていた。

あるとき、6歳頃だったと思うが、家族三人、重い荷物を三つも運び疲れ、立ち往生していると、赤帽さんの方から声をかけてくれた。

『運びましょうか?』「はい。…えっ?」

確かに真っ黒に日焼けしていたが、女性の、しかも小柄で相当年配の赤帽さんだったのだ。

頼むのも悪い、
断るのも悪い、
という思いが親子三人の頭の中を走った。

そんなことを思っているうちに、その赤帽おばあさんは荷物を抱えてさっさと歩き出したのだが、結局、母も荷物を一つ抱え、子ども二人も赤帽さんに持ってもらっている二つの荷物を下から「よいしょ、よいしょ。」と支えながら、東京駅の出口まで運んでもらった。

赤帽さんも却ってやりにくかったろうが、ニコニコしながら子どもたちのしたいようにさせてくれていた。

あのときの珍妙な光景は今も覚えている。

思い出し笑いしながら、そんなに悪い光景ではないと思う。

プロなんだから、金払うんだから、やれよ式で、平然と眺めていられるような馬鹿野郎にはなりたくないし、

人間としてのアタリマエの感覚を持ち続けていたいと思う。

これは今も
セラピーの
そして
生きることの根底にある。

2014(平成26)年3月13日(木)『先生の部屋』

八雲の近藤宅の玄関を入って左側の部屋が、今の私の面談室だが、近藤先生は玄関を入って右側の部屋を面談室として使っておられた。

かつて開業する際に、奥さまからは右側の部屋を使うように言っていただいたが、
近藤先生縁(ゆかり)の場所を取っておきたくて、今の左側の部屋をお借りした。
(今の部屋も近藤先生が開業当初は面談室として使っておられたそうだ)

右側の部屋は、ときに待ち合い室として使わせて戴いているが、
部屋で待っていた人が、一度も近藤先生に逢ったことがないのに
「この部屋はどうしてこんなにホッとするんでしょう。」
と言われたり、
「なんだか知らないけど涙が出て、楽になっちゃいました。」
と言われる場合もある。

「近藤先生、営業妨害ですよ。」と私も心の中で笑う。

中には早めに来られて、待ち合い室で過ごすのを楽しみにしている方もいらっしゃる。(近藤家に来客があったときは使えませんが…)

実は、私自身、その部屋に入る度に同じことを感じている。

右側の部屋は、正(まさ)しく私が近藤先生から直接、薫習(くんじゅう)を受けて来た場所であり、私だけでははない、多くの人たちが涙と溜め息で真実を語り、多くの人たちが救いと歓びを感じて来た場所なのだ。

そして今も感じる近藤先生の“存在”。

“存在”とは“働き”のことをいう。

かつての先生を通しての“薫習”の“働き”は、永遠に続いているのである。

2014(平成26)年2月28日(金)『田舎のお嬢さま』

「田舎」の坊ちゃん出身の私にはよくわかるテーマである。

「田舎」では、家が“ちょっと”裕福だったりすると(地方の名士とか)、すぐに“お嬢さま”になれる。

“ちょっと”裕福な分だけ、子どもに手をかけてもらえる経済的余裕があり、
“ちょっと”成績が良かったり、
“ちょっと”見た目が良かったり(良さそうに見えたり)する。

しかし、すぐにわかる通り、金、学歴、外見など、それらはみんな通俗的で、くっだらないポイントばかりなのである。

その子の存在そのものが無条件で、受け入れられ、承認され、愛されているわけではない。

そして待っているのが「都会」に出たときの挫折である。

「都会」の基準では、
大して裕福でもないし、
大した学歴でもないし、
大して美人でもない。

虚栄としてのプライドだけが張り子の虎のように大きくなり、いつの間にか、中身の空っぽさもその分だけ大きくなっていた。

分かれ目はそれから。

それでもさらに張り子の虎の厚塗りを重ねて行くのか、それとも、張り子をぶっ潰し、内実を取り戻す方向に大きく舵(かじ)を切るのか。

前者の場合、エラソーにできる職業・立場に就(つ)こうとする場合も多く、医師、教師、セラピスト…上から目線で話せる「先生」商売でないと、虚栄心を保てないにょろよ。

そのためにわざわざ「お嬢さま」の栄光に浸りやすい「田舎」に戻ってくる人も少なくない。

なんだか哀れだね。

後者を選ぶのは、なかなかな勇気が要るけどさ、

くっだらない表層的評価を離れて、自分自身でいるだけで、しみじみ安心で幸せなのって、良いもんだよ。

あとはあなた次第。

私は後者にしか縁はないな。

2014(平成26)年2月25日(火)『傷は秘められるべからずⅡ』

かつて『傷は秘められるべからず』

http://www.yakumo-institute.com/article/14738627.html

という日誌を書いた。

そして今日、読売新聞「編集手帳」に次の記事が載っていた(一部表記改訂、全文はどうぞ本紙をご覧下さい)。

「母親を病気で亡くし、小学3年生の少女は漁師の父親と二人暮らしをしていた。

1年前の記事をご記憶の方もあろう。

北海道湧別町で厳しい吹雪のなか、父親は娘をかばい、覆いかぶさるように抱いて一夜を過ごした。娘は助かり、父親は死亡した。

『応援してくれた全国の皆さまへ』と宛名にある。

4年生になったONちゃん(10)が本紙に託したお礼の手紙を読んだ。

いまは同じ町内の親戚の家で暮らしている。

<わたしは今とても元気です>。

連れていってもらう温泉が好き。理科と図工が好き。漢字の練習が好き。

10歳の胸に抱く“昔”は、それでもやはり重たいのだろう。

夜のベットで、父親Mさん(当時53歳)の優しい顔が浮かんできて涙が出ることもあるという。

手紙は結ばれている。<お父さんが遠くから安心して見守ってくれるよう、人を想(おも)える大人になれるようがんばります>。

天国のお父さんが目を細めて泣いている。」

Nちゃんに、そして、今この日誌を読んでいる全ての対人援助職の方々に申し上げたい。

「人を想(おも)える大人」であるためには、まず自分自身が個人生活において幸せでなければならない。

あなた自身がカラカラのパサパサでは、他人を本当に癒やすことはできない。

あなたの幸せがあなたから溢れて、溢れた幸せが他人を潤すのだということを、どうぞお忘れなきように。

2014(平成26)年2月24日(月)『婚活』

婚活のドキュメンタリーをテレビで放映していた。

真面目な彼女は悩んでいた。

売れそうな商品に化けるのか

自分であることに磨きをかけるのか。

もちろん婚活産業のアドバイスは前者ばかりであった。

濃い化粧。

露出の大きい服。

気の利いた話題。

作り笑顔。

叱咤激励されるがままにやってみた…が…もう疲れた。

不本意なことまでやって売り込むことにウンザリした。

その先に本当に幸せな人生が待っているとは思えなかった。

彼女は自分らしきに磨きかけることにした。

そうしたら、そもそもの誤りに気がついた。

相手が必要なことである以上、「結婚したい」が目的になることはあり得ないということに。

“この人が好き”が先である。

“あなたと一緒にいたい”が先である。

「出会う」ことの意味の変わった彼女は、もっと気軽に出かけられるようになった。

私が私でいることはもう売り渡せない。

自分を磨いた上で、後は出会う機会をわざわざ減らさないようにするだけである。

これは婚活だけの話じゃないな。

2014(平成26)年2月20日(木)『哀しいときは』

哀しいときは涙が出ます。

哀しみがちゃんと経験されればその後、涙は止まります。

また思い出すことがあるかもしれません。

そのときはまた涙が出るだけです。

そしてまた涙は止まります。

だから、
哀しみを自分でいじって、
増幅させたり
長引かせたりするのは
やめましょう。

浸(ひた)って
酔えば
綺麗な哀しみが
汚なくなります。

本来の哀しみは
サラサラと
サラサラと
したものです。

自然に
溢れては止まる
哀しみを
ちゃんと
体験してあげましょう。

それが感情本来の性質ですから。

2014(平成26)年2月18日(火)『胸内苦悶感』

あるクライアントの方が真剣な顔で言われた。

「先生、不安になると、胸の中が、(胸骨を指して)ここの中が本当にザワザワして来るんですよ。
譬(たと)えじゃありませんよ。
落ち着かなくて、なんだか生きた心地がしなくなるんですよ。」

それならよく知ってるよ。

私も散々経験して来たもの。

でもとうになくなった。

ひょっとしたらまた何かのはずみで起きることがあるかもしれないが、心配は全く心配していない。

起きたとしても、丹田呼吸で消せるから。

もし今が幕末維新の時代で

私が志士の一人だとして
刀を抜いた新撰組の隊員たちに囲まれたとしたら
どうだろう。

不安になるかな。

恐くなるかな。

きっとなるだろうな。

勝てないかもしれない。

切り抜けられないかもしれない。

しかし、丹田呼吸をして、斬られても堂々と死にたいと思う。

ちゃんと死にたいから

ちゃんと生きたいから

毎日毎日、丹田呼吸をやっている。

2014(平成26)年2月12日(水)『ちょっとした天国と地獄』

素直で優しい人があなたのそばにいたら

信頼できる人があなたのそばにいたら

あなたを愛してくれる人があなたのそばにいたら

学校や職場で多少のことがあっても、
ちょっと話しただけで
あなたは健全なこころを取り戻すことができるだろう。

反対に

ひねくれて悲観的な人間や

うるさくて支配的な人間や

自己中心的で冷たい人間がそばにいたら

あなたはますます
疲れ
落ち込み
自分を見失っていくだろう。

だから
家族でも
パートナーでも
恋人でも
親友でも
誰でも

そばにいる人によって

あなたの毎日は天国にも地獄にもなっていくんですよ。

こころの眼をしっかり観開いて、
選び、
求めましょ。

2014(平成26)年2月7日(金)『私がいるから大丈夫』

何があっても、わたしがいるから大丈夫。

誰もがかつて言ってほしかった言葉。そしてどんな自分でもそのまま抱きしめてほしかった。

しかし親の方にも事情があるわけで、
悪ければ虐待、
良くても条件付きの愛情(こうしたら愛してやる)が待っていた。

そして求める(親以外の)次の人に。

そして始まる悪依存と愛情乞食。

私の場合、
そうならないで済んだのは、いや、
一旦そうなったが、そこから離脱できたのは、
一体何が違ったのだろうかと思う。

途中までは全く同じだ。

そして運良く近藤先生に出逢え、世界中の人間に否定されても、近藤先生さえわかってくれてたらいいや、と思えるようになった。

もし私がその境地のまま、先生が亡くなっていたら、私も“うつ”か“元の俗物”になっていただろう。

しかしやがて、
先生に支持されるということが、
“先生個人に”ではなく“先生を先生させているものに”支持されているのだと感得できた。

そして、
“先生”を介さなくても、私を私させている働きを直接に感じられるようになった後、
先生は遷化された。

ギリギリ間に合った。

もちろんそれを踏まえた上でも、近藤先生には感謝し尽くせない思いが溢れる。

だから今、セラピーをする側になった私は思っている。

「何があっても、わたしがいるから大丈夫。」

そしてその“わたし”は私ではない。

“わたし”が私を通して言うのである。

2014(平成26)年2月6日(木)『信頼』

バス停にバスが来た。

赤ちゃんをおんぶした若いお母さんがバス停に向かって駆けて来た。

その後を5歳くらいの女の子が必死に追いかける。

またその後を3歳くらいの男の子がさらに必死に追いかけている。

バス停のちょっと前でお母さんが振り返って、子どもたちに手を伸ばす。

子どもたちが笑顔になって、お母さんの両手につかまったところでバスに乗り込む。

どこにでもありそうな光景。

でも

お母さんを信じて追いかける子どもたち。

その信頼を裏切らず、立ち止まって両手を伸ばすお母さん。

ささやかな中に

大事なものが動いている。

親子だけじゃない。

すべての大切な人との関係はこうあってほしいと思う。

信頼には信頼で応える。

絶対に裏切らない。

それが人間と人間の基本です。

2014(平成26)年2月2日(日)『よみ人しらず』

『万葉集』を読んでいると、「よみ人しらず」の歌によく出逢う。

以前は、文字通り、作者がわかんなくなっちゃったのか、とか、やんごとなき人々と違って、名もなき庶民の歌なのか、などと素朴に思っていた。

やがて『万葉集』が身読できるようになって来ると、
ああ、歌は人がはからって作るものじゃなくって、
天地が人を通して歌うものなんだな、ということがわかってきた。
(ちなみに、天地がカラスを通して歌うと「カーッ」となり、ネコを通して歌うと「ニャーッ」となる)

そうすると、
人間が作ってるんじゃないから、「よみ人しらず」になって当たり前だよな、
と得心がいった。

それじゃあ、たとえば「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」という作者名が書いてある歌も、本当に彼が作ったのか?ということになる。

作者名は、天地が歌を作るときに通るパイプ(通り道)の名前に過ぎない。彼ら彼女らが自力で生み出したものじゃない。

従って結局、
「よみ人しらず」だろうが、
「柿本人麻呂」だろうが、
同じことになる。

詠(うた)うとは、そういうことなのだ。

だからわれわれも、天地がわれわれを詠ってくれるように生きなきゃ、生命を授かった甲斐がないよね。

八雲は詠う教室でもあります。

2014(平成26)年2月1日(土)『みんな神経症』

以前は、
「皆さん、遠慮されなくても、他の精神障害でない限り、みんな神経症です。」
とよく言っていた。

その後、治療経過中に、神経症だと思っていた人が、生物学的なうつ病になっていったり、広汎性発達障害であることが判明したりする場合があり、上記の基準に従えば、診断名を変えることになる。

しかし、どこか根底に釈然としない感覚が残った。

つまり、生物学的なうつ病といえど、広汎性発達障害といえど、その訴えには思いっ切り、その人の神経症的人格が絡んでいたのである。

やっぱり神経症だ。

従って現在は、さらに堂々とこう言っている。

「皆さん、遠慮されなくても、みんな神経症です」(どんな他の精神障害が合併していても)

ちなみに、ICD-10でも、DSM-5でもなく、私の診断基準では、

真の自己(本当の自分)を生きていない=仮幻の自己(ニセモノの自分)を生きていることを「神経症」というんです。

2014(平成26)年1月30日(木)『憎き相手を褒(ほ)める矛盾』

以前、ある女性看護師の方が相談に来られた。

既に他のカウンセラー(資格詳細不明)のもとで5年に渡ってカウンセリングを受けてきたというので、

何でまたここに?と思ったが、職場の話を伺っているうちに、彼女の抱えている問題がたちどころに明らかになった。

彼女は、どう聴いても、どうしようもない上司、冷酷な先輩、うるさい患者、クレーマー家族に囲まれて働いていた。

それなのに彼女は、その連中のことを非難することが全くないばかりか、庇(かば)い、褒め、好意すら示す表現を繰り返すのであった。

彼女が聖母マリアか観音菩薩の再臨でないことは、その哀しき「作り笑顔」が示していた。

彼女がひどい圧制下に育ったであろうことは、訊かなくても、明らかだった。

無力で弱い子どもは、圧倒的に強い親に対して、「怒り」と「悲しみ」を抑圧し、「賛美」と「奉仕」を捧げるしかなかった。

ちょうど恐怖政治の独裁者に忠誠を誓う少国民たちのように。

その明らかな問題が5年間もカウンセリングに通っていて、解決どころか自覚すらされていないということは大問題であった。

彼女は心の奥底で何がしかの不満を感じて、私のところを訪れたのである。

それはようやく踏み出した(相手のためではない)自分のための一歩であった。

そこに重要な意味がある

そしてほんの数回のカウンセリングで彼女は今まで起きていたことに気づき、

やがて不安も恐怖も罪悪感もなしに、健全な「怒り」と「悲しみ」を表現できるようになって行った。

憎き相手を褒める矛盾、そんなことも簡単に気づきそうで、本人はなかなか気づかないものだ。

しかし気づきさえすれば、ホーナイの指摘する通り、「矛盾」は常に突破・成長への重要な端緒となる。

さて、あなたにはあなたの矛盾はありませんか?

2014(平成26)年1月28日(火)『杞憂(きゆう)』

誰もが知っている「杞憂」という故事成語。

「杞国(きのくに)に、天が崩れてきたらどうしようと憂(うれ)えて(心配して)、食事もノドを通らず、夜も眠れなくなった人がいた…。」

という「無用の心配、取り越し苦労」の話。精神医学的に言えば、神経症的な「予期不安」に「とらわれる」話だ。

そんな杞憂のことを思っていたら、ある韓国小説の中に次の一節を見つけた(以下、抄出)。

「私は若いとき、ある有名な禅僧のところに取材に行ったことがある。

そのとき
『老師さま、どうすれば幸せになれますか?』
と尋ねたら、
『立つときは立ち、
歩くときは歩きなさい。
それでよい。』
と言われた。

『それはみんながしていることじゃないですか?』
と言うと、老師は鋭いとしか言いようのない目でジロリと私を見て、
『そうではない。
人は座っているときに立つことを考え、
立つときには既に歩くことを考えておる。』
と言われた。」

明快至極である。

杞憂の粉砕はここにある。

そしてこの
「即今即所」
「前後際断」
「今ここ自己」
に生きるということは、
「おまかせ」ができて初めて可能になるということも忘れてはならない。

2014(平成26)年1月27日(月)『イヤんなっちゃうときもあるけど』

あるとき近藤先生が言われた。

「イヤんなっちゃうときもあるけど、やめるわけにいかないんだよなぁ、松田くん。」

事ある毎に思い出す。

本当にその通りだと思う。

イヤんなっちゃうときもあるけど、自分を生きることをやめるわけにはいかない。

イヤんなっちゃうときもあるけど、縁ある人の力にならないではいられない。

イヤんなっちゃうときもあるけど、与えられたこの場所で踏ん張るしかない。

イヤんなっちゃうときもあるけど、天命を果たさないではいられない。

生い立ちの中で埋め込まれた「であるべき」でも「でなければならない」でもない。俗世のしがらみでも義理でもない。

そうしないと、おかしくなってきちゃうんだよ、自然に自分が生きていくことが。

竜馬も
南洲も
近藤先生も
“そのままに”生きて死んだ。

私も“そのままに”生きて死にたい。

2014(平成26)年1月22日(水)『どうしようもないこと』

“どうしようもないこと”を
“なんとかしよう”として来たのが
文明の進歩の歴史だと言った人がいたが、
その文明の進歩を嘲笑(あざわら)うかのように
常に新たな“どうしようもないこと”が起きて来るのが現実である。

“なんとかしよう”というと聞こえは良いが、
要は“思い通りにしたい”のであり、
われわれは古来それを“我”と呼んで来た。

悲しいけれど
苦しいけれど
どうしようもない。

人事を尽くしてもどうしようもない。

それが腹の底からわかったとき人は祈るのだ。

すべておまかせしますと。

(「〜して下さい。」などと“要求”して祈れるうちは、まだ“我”の虜(とりこ)である)

生死(しょうじ)をおまかせしてしまえば、恐いものは何もない。

それ以上守るものがないんだもの。

それは敗北主義でも
諦めでも
投げやりでもなく

生かされている間を
最も純粋に
最も十全に
生きるということである。

そのときなりの
自分なりの
一所懸命で
生きながら
あとは
おまかせ。

短期的に
うまいこと立ち回ったように見えても
やがて
どうしようもないことは
必ずあなたに わたしに やってくる。

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八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。