2014(平成26)年8月24日(日)『後でつながる』
高校生の頃から“サイコセラピスト(精神療法家)”を目指していた私は、精神科に入局して2年間の初期研修の後、大学院に入学し、当時の教授に頼んで、児童思春期専門の関連病院に行かせてもらった。
そのとき、私の頭にあったのは“学校精神保健”そして“思春期の神経症圏の子どもたちに対する精神療法”であった。
それは自分自身の陰鬱な家庭生活と学校体験に深く根ざしていた。
まだ近藤先生から教育分析を受ける前のことである。
ところが行ってみたら、豈(あに)図(はか)らんや、幼児病棟3〜6歳の自閉症の子どもたちに強烈に惹(ひ)かれてしまった。
激しい自傷行為や他害行為を示す子も少なくなかったが、毎日子どもたちと一緒にデイルームにいる時間がとても楽しかった。
その反面、思春期の精神療法を学びに来たのに、自閉症の幼児たちとばかり過ごしていて、一体オレは何しに来たんだろう、と思うこともあった。
(また、当時入院していた思春期の子どもたちの診断の大半が統合失調症か知的障害であり、私が想定していた神経症圏の子たちが少なかったこともその一因であった)
そしてその後、一方で、近藤先生から教育分析を受けながら、他方で、広く一般精神科臨床を行いつつ、二十年ほど児童専門外来を担当することになった。
思春期〜成人の精神療法を行うにあたり、実は、3歳初診の発達障害の子どもたちが二十歳を過ぎるまでの間、継続的にその成長に関わることができたことが、私にとって非常に大きな財産となった。
そう、今や、精神科臨床に欠かせない軽度発達障害の大人たちを他の精神障害から鑑別することができるのだ。
そしてさらに、1次障害(発達障害)の部分と2次障害(その後の生育史の中で起こった2次的な障害(適応障害、うつ病など))の部分を見分けることもできるようになっていた。
それは、それまで大人の精神科臨床しかやったことのなかった精神科医が、最近大人の発達障害が話題になってから付け焼刃で勉強したのとは経験の奥行きが違っていた。
これは有り難い。
その大部分は、熱心な臨床心理士スタッフから学んだところが大きかったが、とにかく私にとっては臨床上の大きな武器になった。
後になって、全くつながりそうになかった二つのことがつながったのである。
そういうこともある。
だからあなたも、目前のことに気を取られず、縁あるものは(縁のないもの、執着モノは×)取り敢えずやってみてはいかがですか。
想定外の大きな“賜物”が待っているかもしれませんぞ。