2014(平成26)年2月25日(火)『傷は秘められるべからずⅡ』
かつて『傷は秘められるべからず』
http://www.yakumo-institute.com/article/14738627.html
という日誌を書いた。
そして今日、読売新聞「編集手帳」に次の記事が載っていた(一部表記改訂、全文はどうぞ本紙をご覧下さい)。
「母親を病気で亡くし、小学3年生の少女は漁師の父親と二人暮らしをしていた。
1年前の記事をご記憶の方もあろう。
北海道湧別町で厳しい吹雪のなか、父親は娘をかばい、覆いかぶさるように抱いて一夜を過ごした。娘は助かり、父親は死亡した。
『応援してくれた全国の皆さまへ』と宛名にある。
4年生になったONちゃん(10)が本紙に託したお礼の手紙を読んだ。
いまは同じ町内の親戚の家で暮らしている。
<わたしは今とても元気です>。
連れていってもらう温泉が好き。理科と図工が好き。漢字の練習が好き。
10歳の胸に抱く“昔”は、それでもやはり重たいのだろう。
夜のベットで、父親Mさん(当時53歳)の優しい顔が浮かんできて涙が出ることもあるという。
手紙は結ばれている。<お父さんが遠くから安心して見守ってくれるよう、人を想(おも)える大人になれるようがんばります>。
天国のお父さんが目を細めて泣いている。」
Nちゃんに、そして、今この日誌を読んでいる全ての対人援助職の方々に申し上げたい。
「人を想(おも)える大人」であるためには、まず自分自身が個人生活において幸せでなければならない。
あなた自身がカラカラのパサパサでは、他人を本当に癒やすことはできない。
あなたの幸せがあなたから溢れて、溢れた幸せが他人を潤すのだということを、どうぞお忘れなきように。