腕時計なんてどうでもいいと思っていた。

最近は、腕時計自体を持たない人も多く、必要があれば、ガラケーやスマホで時間を確認しているようだ。
私も普段は計算機能付きのカシオの腕時計を使っているが、長年、児童専門外来をやっていた習慣から(子どもたちの年齢や体格から薬の量を計算していた)扱い慣れているだけのことである。

かつて、大学病院での研修が終わって、同期の連中がそれぞれの病院に就職して行った(私は大学院に進むため、大学病院に残った)後、久しぶりに同期の一人に会った。

そのとき、そいつがいかにも成金趣味の腕時計をしているのを見て、腹の底から軽蔑したのを覚えている。今覚えば、その時計に罪はなく、そいつにそれまで感じて来た小市民的虚栄心の結晶のように見えたのであろう。

ただ単に腕時計が好きで、機能的に使い、装飾を楽しむことに問題のあろうはずがない。

そんな私だが、先日、衣服棚を整理していて、長年行方不明になっていた腕時計の入ったケースを見つけた。
近藤先生の形見の腕時計である。
左腕につけてみた。

亡師の空気感が甦る。

これはプライスレスだ。

物理的時間ではなく、紛れもなく私が生かされている時間を刻んでくれる時計である。

 

[追伸]

計算機付きカシオの腕時計は遂に壊れ、現在は試験監督もするようになったため、電波ソーラー時計を使っている。

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