近藤章久先生による「ホーナイ派の精神分析」の勉強も、1回目2回目3回目4回目5回目6回目7回目8回目9回目10回目11回目12回目13回目14回目15回目16回目に続いて17回目となった。

今回も、以下に八雲勉強会で参加者と一緒に読み合わせた部分を挙げるので、関心のある方は共に学んでいただきたいと思う。
ホーナイ派の精神分析を入門的、かつ、系統的に学んでみる良いチャンスになる。
(以下、原文の表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は松田による加筆修正である)
※内容も「治療」について取り上げながら、あなり最終コーナーを回ってきた。折角読むからには、それが狭い「治療」の話に留まらない、人間の「成長」に関わる話として読んで行っていただきたい。

 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

5.治療

b.神経症的諸傾向の観察と理解(4)

ここまで、分析過程を極めて簡略化して述べた為に、何か分析が易々(やすやす)として行われるかの如き感じを与えるかもしれない。しかし、それは実際に於て痛苦と困難に満ちたものである。と言うのは、その行程が第1に患者の無意識にあるものを意識化すると言うことと第2には神経症的態度が、少なくとも、患者がそれによって安全感を得ている態度であり、自らの価値を置き、無意識に同一化している、「仮幻の自己」を中心とする神経症的体系の防衛のための方法でもあるからである。
治療者を訪れる患者の意識には、症状から免(まぬが)れたい気持はあっても、その為に彼の生活態度の根幹である神経症的構造の変革を考えているものではない。従って、症状から出発して、分析が彼の神経症的傾向の露呈を招来する時に、確かに一方に於て、先述した様に洞察のもたらす効果があるが、他方に於て、自分が無意識裡(り)に当然とし、維持せんとする神経症的体系の構造が露呈され、問われ、その価値が批判されると感じるのである。
このことによって、彼の安全感を防衛するための抵抗が無意識裡に生じる。そして、これこそ分析を困難に陥(おちい)らしめるものなのである。この様な抵抗は分析時の遅刻、様々な積極的、消極的表現をとって現われる。これを取り扱う時に重要なのは恐らく次の様なことであろう。
それには第1に、出来るだけ初期に於いて、抵抗がまだ比較的弱い形を取っている時に、分析者が早く initiative を取り、患者に抵抗の存在を気付かしめ、抵抗の内容と意味を患者と協力して吟味し、分析して明確にすることによって乗りこえて行くと共に、抵抗一般に関する患者の理解を高め、それによって、後に起るべき大きな抵抗に対処する態度を準備することである。
第2に抵抗のもとであるところの不安や安全感の脅威を取扱うに当って、それが何の不安であり、何の安全感の脅威となっているかを問い、それが神経症的な自我の感じる不安であり、脅威であることを明らかにして行くことである。
第3に患者が誤って分析者からの批判としてとっているものが、実は他ならぬ患者自身の健康な自己 ー 治療的な力の源泉である ー「真の自己」の発する批判であること、そのもたらす現実認識に基づくものであることを明らかにして行くことが重要である。

 

近藤先生が示されている通り、クライアントは一方で症状を取ってもらいたいと思ってセラピストの許(もと)にやってくるのであるが、他方では自分を守るために身に付けた神経症的人格構造にはしがみついていたいのである。
ここに困難が生じる。
この二つを両立させる道はない。
従って、かつて自分を守るために身に付けた神経症的人格構造が最早生きる苦しみの元凶となっていること、そして、その神経症的人格構造との根本対決なくして、本当の安心および本当の人生は得られないことをクライアントは思い知る必要がある。
本当の「治療」はそこから始まるのであるが、そこまでに非常に長い道程(みちのり)を要するのが「臨床」の実際である。
また、八雲総合研究所のように「成長」を目指す場合においても、「症状」こそ存在しないが(存在すれば「治療」対象となる)、かつて自分を守るために身に付けた神経症的人格構造が最早生きる苦しみの元凶となっていること、そして、その神経症的人格構造との根本対決なくして、本当の安心および本当の人生は得られないことを思い知る必要があるのは全く同じである。
「情けなさの自覚」と「成長への意欲」とは、そういう意味なのである

 

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