近藤章久先生による「ホーナイ派の精神分析」の勉強も、1回目2回目3回目4回目5回目6回目7回目8回目9回目10回目11回目12回目13回目14回目15回目に続いて16回目となった。

今回も、以下に八雲勉強会で参加者と一緒に読み合わせた部分を挙げるので、関心のある方は共に学んでいただきたいと思う。
ホーナイ派の精神分析を入門的、かつ、系統的に学んでみる良いチャンスになる。
(以下、原文の表記に多少古いものも含まれるが敢えてそのままに掲載した。また斜字は松田による加筆修正である)
※内容も「治療」について取り上げながら、段々最終コーナーにさしかかってきた。折角読むからには、それが狭い「治療」の話に留まらない、人間の「成長」に関わる話であることを読み取っていただきたい。

 

A.Horney(ホーナイ)学派の精神分析

5.治療

b.神経症的諸傾向の観察と理解(3)

さてこの様にして神経症的傾向は次第に理解されるが、通常最初に明らかになるのは、患者がそれでもって一応の葛藤を解決している方法であるところの神経症的傾向であろう。仮に自己拡大的方法を以て解決している場合は、彼の自由連想や、夢や、対人関係に、彼の自己拡大的な shoulds や claims を発見し、あとづけ、連関を考えて、次第に彼の神経症的構造の中核をなす「仮幻の自己」の明確化に迫って行くのである。
これらに関する理解が一応成熟して来た時、患者に対して、患者の意識に近い面から、適当な時期に ー この時期の判断が重要であるが ー 解釈を試みるのである。解釈は断言的でなくて、出来るだけ「でしょうか?」等の疑問の形をとって、患者自身による思考と省察に訴えたい。
と言うのは、解釈は分析者からの患者への呼びかけであり、その注意の喚起であり、自己認識への促しであり、患者の「真の自己」に自己表現の機会を与える方法であるからである。
と同時に又、疑問の形に応えて、決定し判断するのは患者であって、分析者は助力者であることを次第に明らかにして行く為でもある。
解釈が幸にも受入れられ、理解されると、それは、患者の自己認識への大きな照明となり、新しい分析への通路を開くことになる。
しかし、必ずしも受入れられない場合でも、分析者は、患者のそれに対する表現や反応によって、更に深い理解への手引きを得ることが出来る。
ともかく、この様なことを繰返しているうちに、患者は次第に過去の回想や現在の感動的な経験を再体験することによって、自分のとっている神経症的態度との連関を見出して行く。
もとより、始めのうちは、たとえ見出すにせよ、狭い特殊な状態との関係のみにとどまるか、或は漠然として一般的な形でしか見られないだろう。しかし、その様な関係を理解出来る事は洞察の一種である。その様な洞察は、回を重ねるにつれ遅かれ早かれ、現在の状況に於て自分の内に作用している色々な要素が、自分の場合に於て具体的にどの様な現象として現われ、どの様な結果をもたらしているかの現実的な洞察に導き、更にそこに動いている自分に固有な shoulds や claims を理解するに至るであろう。
そして更に自分の神経症的な pride に気付き、様々な曲折を経ながら、その背後にある「仮幻の自己」の存在を感じ始めるだろう。それと共に、一方に於て、前景にあって強く動いている。重要な解決方法としての神経症的態度の下に、抑圧された他の要求や誇りが存在する事実に面する様になる。例えば自己拡大的な主傾向の下に、依存的傾向や自己限定的傾向が抑圧否定されて存在することに気付くであろう。
そして、それらの諸傾向の間の矛盾や葛藤が露呈せられ、自分の神経症的性格の構造連関と、その間の力動関係が認識され洞察されるに至る。洞察は広く解すれば知的認識から情動的認識を含む(但し、オブザーバー的知的認識を除外する)。そして知的認識自体は必ずしも直ちに神経症的なものからの解放 ー 性格的変化 ー をもたらすとは言えないが、それは治療的な価値を持っている。
自分の悩んでいる症状に、はっきりした原因があると言うことを発見することは、少なくとも処置しようとすれば取扱える対象があると言う気持を与え、今迄の様に訳のわからないままに苦しんでいた状態にいなくてすむと言う希望を与えるのである。この意味で知識はやはり力である。そして、洞察が重なるにつれ、分析に対する信頼、積極的な態度が増大して来ると言う大きな効果がある。

 

クライアントの神経症的な問題を「解釈」して行くとき、どうしてもセラピストが一方的な、あるいは独断的な解釈をしがちである。そうではなくて、セラピーの過程においては、患者の「真の自己」に自己表現の機会を与えることが非常に重要であり、あくまでセラピストは助力者であることを忘れてはならない。
また、自己縮小的依存型の傾向、自己拡大的支配型の傾向、自己限定的断念型の傾向は、前景に出てわかりやすい一つの傾向の下に、他の二つが抑圧されて存在するという事実は、時にショッキングでありながらも、洞察を深めるためには避けて通れないプロセスである。
さて、今これを読まれているあなたは、自分自身においてお気づきでしょうか?
そして、洞察が、知的認識だけの話ではなく、深い洞察ほど実は情動的認識を含む、ということも見過ごせない事実である。
ただの冷静な「ああ、そうか。」ではなく、「ああ!そうだったのか!」という情動を伴うところに、その後の認知の変容や行動の変容がより強く期待できるのである。
いくら頭の先で「わかった」って、日々の具体的な「生き方」が変わらなければ意味はない。


 

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