今までの『葉隠(1)』『葉隠(2)』『葉隠(3)』『葉隠(4)』「葉隠(5)」『葉隠(6)』『葉隠(7)』『葉隠(8)』『葉隠(9)』『葉隠(10)』『葉隠(11)』『葉隠(12)』に続いて、今日は『葉隠(13)』(下・聞書第十・一三○)。
今回は、江戸時代の臨済宗の禅僧・盤珪永琢(ばんけいようたく)の逸話をご紹介する。
「盤珪に律僧(りっそう)参りて、佛法を尋ね候(そうら)へば、『其方(そのほう)殺生戒を破りたり。佛性(ぶっしょう)を殺し居(お)るなり、佛性を殺さぬ道理申し候へ。』と申され候に付(つき)、則(すなわ)ち珠數(じゅず)を切り弟子になり申し候由(よし)。」
(盤珪禅師のところに律宗(南都六宗のひとつ。鑑真和上で有名)の僧侶がやってきて、仏の教えについて尋ねると「あなたは殺生戒(仏教の根本的な戒律のひとつで、生きているものを殺してはいけないということを指す。不殺生戒ともいう)を破っている。(仏より授かった)仏性(仏の性質)を(あなたは)殺してしまっているではないか。(もし自分は仏性を殺していないというのなら)仏性を殺していないということを説明してごらんなさい。」とおっしゃったので、すぐに数珠を切って(数珠を切るのは改宗するときの証(あか)し)、盤珪に弟子入りした。)
我々一人ひとりに与えられた仏の性質、それが「仏性(ぶっしょう)」。
今生(こんじょう)で私を生かし、私を私たらしめ、私が果すべき役割を果たさせる働きの大元、それが「仏性」である。
よって、これを近藤先生風に言うならば、まさに「生命(いのち)」と言えよう。
それを生かしていない。
いや、それどころか、それを殺している。
これ以上の、殺生があるだろうか。
盤珪がそれを指摘し、直ちにそれをさとった律僧は、盤珪に弟子入りしたのである。
こういう物言いは、いかにも盤珪らしい。
近藤先生と『盤珪禅師語録』を読んだ日々が懐かしく思い出された。