(以前にも本文の一部を取り上げたが、今回正式に全文を取り上げる)

今までの『葉隠(1)』『葉隠(2)』『葉隠(3)』に続いて、今日は『葉隠(4)』(上・聞書第二・一〇七)。

「公事沙汰(くじざた)(=裁判や訴訟)、又は言い募(つの)ること(=主張)などに、早く負けて見事な負けがあるものなり。相撲の様なるものなり。勝ちたがりて、きたな勝ちすれば、負けたるに劣るなり。多分きたな負けになるものなりと。」

 

「勝ちたがって汚い勝ち方をすれば、それは負けるのにも劣ることです。それはきっと汚い負けということになるでしょう。」
勝負としての勝ち負けがあります。
しかし、それだけではなく、勝負の仕方、人間の生き方としての勝ち負けがあるわけです。
たとえ勝負に勝ったとしても、それが“汚い”勝ち方であったならば、それは人間として“汚い”負けになります。
人間の生き方として“汚い”ということは、武士(もののふ)としては万死に値します。
それが『葉隠』の道なのです。


 

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