前回の『葉隠(1)』に続いて、『葉隠(2)』(上・聞書第一・五十)。

ある武士が酒席で失態を演じた。
この者の処遇をどうするかが議論されたとき、大方は「立身無用」、即ち、こんなヤツに今後出世の機会はないようにするべきだ、と決しかけたが、ひとりの武士が、一度間違いを犯したの方が後悔し、お役に立つようになる、むしろ出世させるべきだ、自分が請け合う、と申し出た。
何故そこまで請け合うのか、と訊かれたその武士の答え。

「誤(あやまり)一度もなきものはあぶなく候(そうろう)。」
(過ちを一度も犯していない者は危のうございます

先日拙欄で取り上げた『新約聖書』の

「なんぢらの中(うち)、罪なき者まづ石を擲(なげう)て」
(おまえたちの中で罪を犯したことのない者がまず石を投げなさい)

を連想する。

過ちを犯したことのある者、そういう人間の弱さを知っている者こそが、
過ちを犯したことのない者、正確に言えば、過ちを犯したことがあるくせにそれに気づいてない者よりも、
はるかに信用できるのである。

 

 

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