前回の『葉隠(1)』『葉隠(2)』に続いて『葉隠(3)』(上・聞書第二・八四)。
「正徳三年十二月二十八日夜夢の事。志強くなる程夢の様子段々變(=変(かわ))り申し候(そうろう)。有體(ありてい)の例は夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよきなり。」
(志が強くなるほど、夢の様子が段々変わって行きます。ありのままに出るのが夢です。夢を相手にして精を出すのが良いでしょう)
最初の「志が強くなるほど」というときの「志」の意味は、自分の主観的な思いのことではありません。
「志」という漢字は「心」が「士」を下から支えています。
つまり、その人を下から支えている力が働いているものが「志」であり、「志が強くなるほど」とは、その人をその人させる力が強くなるほど、という意味になります。
そうなってくると、夢が変わってくる。
そもそも(余程浅い夢を除いて)「ありのままに出るのが夢」であり、夢にはその人の今の本音=今の問題や成長課題、そして成長段階がよく現れます。
そして、「夢を相手にして精を出す」というのは、何も夢を相手にして、ああいう夢を見ますように、こういう夢を見ますようにと頑張ることではなく(そんな意識的なものは夢に反映されません)、夢が変わっていくかどうかを目安にしながら、自分自身の問題や成長課題と向き合って行きましょう、ということを言っているのです。
本音が変わると夢が変わる、というのは実は、自分の真の成長度を測る上で非常に役に立つ現象なのです。