今までの『葉隠(1)』『葉隠(2)』『葉隠(3)』『葉隠(4)』「葉隠(5)」『葉隠(6)』『葉隠(7)』『葉隠(8)』『葉隠(9)』続いて、今日は『葉隠(10)』(下・聞書第十・一〇)。

江戸幕府二代将軍・徳川秀忠のとき、大久保相模守(さがみのかみ)は讒言(ざんげん)により無実の罪を着せられ、井伊(いい)兵部(ひょうぶ)大輔(たいふ)の許(もと)にお預けの身となっていた。気の毒に思った兵部は、無実の罪であることを訴え出るよう何度も勧めるが、相模守は頑(かたく)なに拒み、以下のように本心を述べた。

「今天下漸(ようや)く治まり、日本國より将軍の仕置作法伺ひ申す時分に、役人に讒人(ざんにん)これあり、大久保相模守を讒言いたし候(そうろう)と沙汰これある時は、将軍の御悪名(あくめい)となり、諸大名心を置き申す事に候。然らば我等無實(むじつ)の申譯(もうしわけ)を仕らず、配所にて相果て候がこの時節の奉公と覺悟を極め申し候。たとひ帰参申し候とも、これ程の奉公は迚(とて)もあるまじくと存じ候へば、すこしも苦に罷(まか)りならず、出世の望(のぞみ)すこしもこれなく候。ただ爰(ここ)元にて朽ち果て申し候が一廉(ひとかど)の御用に立ち申す事に候間、御執りなし聢(しか)と御無用。」
(今(二代将軍の時代になって)天下がようやく治まり、日本国において将軍による司法体制も整って来たときに、役人の中に他人を陥(おとしい)れるようなことを言う人間がいて、大久保相模守を陥れたという事件が起これば、将軍の悪評となり、諸大名も信頼しないようになることでしょう。ならば私も無実の申し開きなどせず、預けられた場所で死ぬのがこの時代の奉公と覚悟を決めました。たとえ(無実が認められ)帰参がかなったとしても、これほどの奉公はできないと思いますので、少しも苦にならず、出世の希望など少しもありません。ただここで朽ち果てるのが立派にお役に立つこととですので、おとりなしははっきりと御無用に願います。)

それを聞いて感じ入った兵部がさらになんとかしようとするのに対し、相模守は

「拙者心底を残らず申し砕(くだ)き候をも聞分けこれなく候はば、爰元にて干死(ひじに)致すべく候。
(私は心の奥底に思っていることを残らずお話ししましたのにお聞き入れにならないのでしたら、ここで飢え死に致します)

と述べ、流石に兵部も、相模守のここまでの覚悟を聴き、涙を流して受け入れたという。

 

「主君」の知らないところで、その「主君」のために、無実の罪さえ引き受け、ただ黙って死んでいく(この話も、もし兵部が相模守に言葉をかけなければ、相模守は無実の濡れ衣をまとったまま何も言わずに死んで行ったことでしょう)。
それをこの上ない美学と思うのが、『葉隠』の武士道なのでありました。
現代において、封建時代のその滅私奉公ぶりを笑うのは簡単ですが、その「主君」というところに、あなたの愛する人の名前を入れれば、少しはその想いが想像できるかもしれませんね。

 

 

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