今までの『葉隠(1)』『葉隠(2)』『葉隠(3)』『葉隠(4)』に続いて、今日は『葉隠(5)』(上・聞書第二・一一一)。
「何某(なにがし)は御家中(ごかちゅう)一番のたはけなるが、たはけに自慢して『我はたはけなるが故(ゆえ)身上恙(つつが)なし。』と申したるとなり。奉公の志と云ふは別の事なし。當介(とうかい)を思ひ、自慢を捨て、我が非を知り、何とすればよきものかと探促(たんそく)して、一生成就せず、探促し死に極るなり。非を知って探促するが、則ち取りも直さず道なり」
(誰々は家臣の中で一番のアンポンタンであるが、アンポンタンであることを自慢して「自分はアンポンタンであるから身の回りに問題なし。」と言っているという。主君に仕える心構えというのは特別なことではない。主君を大切に思い、思い上がる心を捨て、自分のダメさ加減を知り、どうすればよいかと追い求めて、一生答えに辿り着くことなく、追い求め続けて死んでいくことに極まるのである。自分のダメさ加減を知ってそれでも追い求め続けるのが、取りも直さず、武士の道というものである。)
「たはけ」を「アンポンタン」と訳してみましたが、「ポンコツ」でも「愚か者」でも「凡夫」でもよいでしょう。
そういう自分の愚かさを自覚した上で=情けなさの自覚を持った上で、たとえ死ぬまで成長し切れなかったとしても、成長しようとし続けて行くこと=成長への意欲を持ち続けて行くこと、が武士(もののふ)の道であると言っています。
なんだかいつも私が申し上げていることと同じことを言って下さっているようで非常に面白く読みました。
唯一の違いは、これが『葉隠』の場合は、「當介」=忠=主君に仕える武士の道であるということであり、私の場合は、私を私させてくれる生命(いのち)の働きに応えて行く人間の道であるということでしょう。