今までの『兵法家伝書(1)』『兵法家伝書(2)』『兵法家伝書(3)』『兵法家伝書(4)』『兵法家伝書(5)』『兵法家伝書(6)』『兵法家伝書(7)』『兵法家伝書(8)』『兵法家伝書(9)』に続いて、『兵法家伝書(10)』をお届けする。

「大機大用(だいきだいゆう)。用(よう)を用(ゆう)とよむべし。物の躰用(たいゆう)の時、用(ゆう)とよむべし。物ごとに躰用と云(い)ふ事あり。躰があれば、用がある物也(なり)。たとへば、弓は躰也、ひくぞ、いるぞ、あたるぞと云ふは弓の用也。燈(ともしび)は躰也、ひかりは用也。水は躰也、うるほひは水の用也。梅は躰也、香(か)ぞ、色ぞと云ふは用也。刀(かたな)は躰也、きる、つくは用也。然(しか)れば、機は躰也、機から外へあらはれて、様々のはたらきあるを用と云ふ也。…内にかまへたる機あるによりて、外へはたらきが出る、是(これ)を用と申す也。」
(物の本体とそれから現れた働き。用(よう)と書いて用(ゆう)とよむ。物の本体が動いて働くとき、その働きを用(ゆう)という。物一つひとつにその本体と働きがある。本体があれば、その働きがあるものである。例えば、弓が本体であって、弓を弾くとか、射るとか、当たるというのは弓の働きである。灯が本体であって、光は灯の働きである。水が本体であって、潤うのは水の働きである。梅が本体であって、香りだ、色だというのは梅の働きである。刀が本体であって、斬るとか、突くというのは刀の働きである。であるから、働きの大元が本体であって、大元から外に現われて、さまざまの働きがあるのを用(ゆう)というのである。内側に準備された働きの大元があることによって、外へ働きが出る、これを用(ゆう)というのである)

 

文献の注を見ても、どうもピンと来ないため、いつも以上に私訳を行った。
大機大用。人間を超えた働きを表わすときに仏教では「大」を付ける。
すべての存在に「躰(本体)」があって、その中に働きの大元である「機」が潜んでいる。というよりも、実は、躰(存在自体)が機(働きの大元)に他ならない。そしてそれが働きとして外に現れて来ると、それを「用(ゆう)」というのである。
そしてそれらはすべて人間を超えた次元の働きなのだ。
よって、あなたがあなたとして存在している(=躰)からには、あなたの中にあなたをあなたさせようとるする働きの大元(=機)が潜んでおり、それが外に言動となって現われたものが用(ゆう)なのである。

そして、そういう生き方、生かされた方をして初めて、本当の意味で、自分を生きる、ということができるのである。

 

 

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