今までの『兵法家伝書(1)』、『兵法家伝書(2)』、『兵法家伝書(3)』『兵法家伝書(4)』に続いて、『兵法家伝書(5)』をお届けする。
「中峯(ちゅうほう)和尚(おしょう)云(いわ)く、放心心を具せよ。…
放心心を具せよとは、心を放すこころをもて、心を綱(つな)を付けて常に引きて居ては、不自由なぞ。放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云(い)ふ。此(この)放心心を具すれば、自由がはたらかるる也(なり)。綱をとらへて居ては不自由也。犬猫も、はなしがひこそよけれ。つなぎ猫、つなぎ犬は、かはれぬ物也」
(中峯朝本(ちゅうほうみんぽん)和尚は、中国・元の時代の禅僧が「放心心を身につけなさい。」とおっしゃった。…
「放心心を身につけなさい」とは、心を解き放すこころで、ということで、心に綱をつけていつも引っ張っていては不自由である。解き放そうとしてやっても、止まらない心を放心心というのである。この放心心を身につければ、自由が働くのである。綱を持っていては不自由である。犬や猫も放し飼いが良い。つないだままの猫、つないだままの犬は、飼えないものである。)
放心心というのは、ただ心を自由にまかせれば良い、というものではない。
それだと、ただの我(が)の垂れ流しになってしまう危険性がある。
そうではなくて、あなたを通して働く力によって動く心のままにまかせよ、ということである。
そこに自由ということの本質ある。
決して我の思い通りになることが自由ではないのだ。
むしろ、我の綱を付けて、思い通りに引っ張りまわされることが、心にしてみれば誠に不自由なのである。
放心心というのは、大いなる働きにおまかせする心をいうのである。