前回取り上げた『葉隠』の連載が、思いの外、ご支持をいただき、続編を望む声を頂戴した。
あれこれ思案の末、この度は、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の『兵法家伝書(へいほうかでんしょ)』を取り上げることとした。
『葉隠』よりは、短く、締まった引用になると思うが、
宮本武蔵の『五輪書』と並んで、近代武芸書の双璧とされる本書から学べるものは大いにあると思う。
まずは引用・解説を始めるに先立ち、本書の背景に触れておきたい。

柳生宗矩は、新陰流(しんかげりゅう)の剣術家であり、徳川将軍秀忠・家光の兵法師範として知られる。
また、臨済宗の禅僧・沢庵宗彭(たくわんそうほう)とも親交があり、時代劇などでは、父親の柳生石舟斎(宗厳(むねよし))や長男の柳生十兵衛(三厳(みつよし))が有名かもしれない。
宗矩自身は、後には幕府の大目付からさらに大名(大和・柳生藩初代藩主)にまで異例の出世を遂げ、その間に新陰流の集大成として完成させたのが、今回取り上げる『兵法家伝書』である。

 

そして今日の一文。

「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也(なり)。人をきるにはあらず、悪をころす也。一人の悪を殺して、万人をいかすはかりごと也。」(『兵法家伝書』殺人刀(せつにんとう) 上)
(兵法というものは人を斬ることだとばかり思うのは間違いである。人を斬るのではない、悪を殺すのである。(兵法とは、)一人の悪を殺して、万人を活かす工夫のことである)

実際に、大阪の陣では豊臣方の武者を斬ったと言われる宗矩である。
何故、そういう次第にならざるを得なかったのか、思わないではいられなかったであろう。
ただ己の栄達のために、疑問も持たずに人を斬れるほど宗矩は愚かではない。
ここも浅く読めば、一人を斬って殺しても、多くの人が幸せになれば良いじゃん、ということになる。
それではただの殺人(さつじん)の正当化の話になる。
そうではない。
己の運命に随(したが)って、己を通して働くものに随って、人を斬らざるを得なかったという思いが宗矩にはある。
それが「悪の一人を殺して」という表現を使わず、「一人の悪を殺して」というところに現れていると私は思う。

 

 

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