今までの『兵法家伝書(1)』『兵法家伝書(2)』『兵法家伝書(3)』に続いて、『兵法家伝書(4)』をお届けする。

「平常心(びょうじょうしん)是(こ)れ道(どう)…
弓射る時に、弓射るとおもふ心あらば、弓前(ゆみさき)みだれて定まるべからず。太刀(たち)つかふ時、太刀つかふ心らば、太刀前(たちさき)定まるべからず。物を書く時、物かく心あらば、筆定まるべからず。琴を引くとも、琴をひく心あらば、曲乱るべし。弓射る人は、弓射る心をわすれて。何事もせざる時の常の心(しん)にて弓を射ば、弓定まるべし。太刀つかふも、馬にのるも、太刀つかはず、馬のらず、物かかず、一切やめて、何もなす事なき常の心(しん)にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也(なり)。道(どう)とて何にても、一筋(ひとずじ)是(これ)ぞとて胸にをかば、道(どう)にあらず。胸に何事もなき人が道者(どうしゃ)なり。」
(平常心が道である(唐の時代の禅僧・馬祖道一(ばそどういつ)の言葉) … 弓を射るときに弓を射ようと思う心があると、弓の先が乱れて定まりません。刀を使うときも、刀を使おうという心があると、剣先が定まりません。何かを書くときも、ものを書こうという心があると、筆が定まりません。琴を弾くときも、琴を弾こうという心があると、曲が乱れます。弓を射る人は、弓を射ようという心を忘れて、何もしようとしないときの平生(へいぜい)の心で弓を射れば、弓も定まります。剣を使うときも、馬に乗るときも、剣を使おうとせず、馬に乗ろうとせず、ものを書こうとせず、一切〇〇しようということをやめて。何かをしようというはからいのない平生の心で、すべてのことをするとき、すべてのことが難なくすたすらとできてしまうのである。道と言っても何であっても、はからった気持ちで、ひとつこれをやってやろうという気持ちが胸中にあれば、それは道ではない。胸中にはからう気持ちがない人のことを道のままに生きる人というのである。

 

「道」とは「何かが通るもの」ということ。
何が通るのか。
あなたをあなたさせ、万人を万人させ、万物を万物させる働きが通るのである。
と既に『兵法家伝書(2)』で述べた。
その働きのままの心が平常心(びょうじょうしん)であり、
その働きのままに生きるている人が道者なのである。
では、それを邪魔するものは何か。
それが「はからい」なのだ。
意識的に、意図的に「〇〇しよう」と思う心。
それがあると生きることが、生かされることが、乱れる。
よって、「はからい」がなく、我々を通して働く力のままの平常心(びょうじょうしん)が、そのまま道なのである。

 


 

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