今までの『兵法家伝書(1)』『兵法家伝書(2)』『兵法家伝書(3)』『兵法家伝書(4)』『兵法家伝書(5)』『兵法家伝書(6)』に続いて、『兵法家伝書(7)』をお届けする。

今回は短い。

「目に見るをば見(けん)と云(い)ひ、心に見るを観(かん)と云ふ。」
(目で見ることを「見」と言い、心で見ることを「観」と言う)

かねてより私も「みる」という言葉を漢字で書くとき、「見」の字と「観」の字とを使い分けていることにお気づきの方もいらっしゃるだろう。
目で見ることを「見」というのはわかりやすい。
対象物を目で、視覚で見ているのである。
それに対し、「観」は、「心で見る」というよりも、より正確には「存在で感じる」と言った方がいいかもしれない。
少なくとも目で見ることではないのは確かである。

私が時々取り上げる、仏像、能面、磐座(いわくら)、土偶などについても、是非「観」ていただきたいと思う。
「見」て、視覚対象として蘊蓄(うんちく)を垂れても、真実には1mmも近づけない。
「観」とはどういうことなのか、どういう体験なのか。
繰り返し繰り返し工夫されたし。

尚、柳生宗矩が『兵法家伝書』を完成した後、十数年を経て、宮本武蔵の『五輪書』が完成したと言われている。
そして、その中に
「観の目つよく、見の目よはく」
とある。
読んでいて驚いた。
武蔵は『兵法家伝書』を読んでいたのか、それとも、読まずとも二人の剣豪の境地は同じであったのか、実に興味深い。
その
ことについては、いつか後日に

 

 

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