幾度も質問を受けるため、ここで確認しておきましょう。
かねがねお話して来ている通り、すべての人間は基本的にアンポンタンでポンコツだと私は思っている。
それが私の人間観である。
(2025(令和7)年6月24日(火)付け拙欄『ポンコツランド』参照)
よって、誰かが誰かを指導する、教育する、叱責する資格などないと思っている。
そんなことを思っていると、いつもある高齢夫婦のことを思い出す。
夫婦とも認知症のため、同じ施設に入所されていたが、そのご主人がしょっちゅう妻のことを
「おまえ、ボケてんじゃねーよ!」
と罵倒するのである。
傍(はた)から見れば、まさに「おま言う」(=おまえが言うな)案件である。
しかし、それと同様のことを我々自身が日々やらかしているのである。
全員が五十歩百歩のアンポンタン&ポンコツなのだから、余り思い上がらない方がいい。
その上で、じゃあ、指導や教育、叱責を一切してはいけないかというと、それでは人間が成長しない。
よって、我々は基本的にアンポンタン&ポンコツでそんな資格はない(「おまえ」には言う資格がない)のだけれど、我々を通して働く力にはその資格があるということになる。
(2025(令和7)年11月23日(日)付け拙欄『わたしには資格がない』参照)
そして、その私を通して働く力が行われるとき、ひとつの特徴を必ず伴う。
それは、相手の存在に対する畏敬の念であり、相手に対する愛なのである。
その力もまた、人間が頑張って捻り出すものではなく、我々を通して与えられる。
そして実際には、それがなかなか与えられない(与えられていることに気づかない)ため、私は他者礼兵(らいはい)をお勧めしているのである。
ますは形から入っていいから、相手に対して手を合わせて頭を下げること。
実際にやることに支障があれば、心の中で結構。
その姿勢が、あなたを通して働く力を呼び込む、いや、既に働いていた力に気づかせるのである。
そうやって生きて行く(生かされて行く)ことができたならば、この世界は遥かに生きやすいものになっていくんじゃないか、と心からそう思っている。