これまでの『五輪書(1)』『五輪書(2)』に続いて、『五輪書(3)』をお届けする。
「一 有構無構(うこうむこう)のおしへの事
有構無構といふは、太刀(たち)をかまゆるといふ事あるべき事にあらず。され共(ども)、五方に置く事あれば、かまへともなるべし。太刀は、敵の縁により、所により、けいきにしたがい、何(いず)れの方に置きたりとも、其(その)敵きりよきやうに持つ心也(なり)。」
(一 有構無構(構えがあって構えがない)の教えのこと
有構無構という教えにおいては、太刀を(意図的/意識的に)構えるということがあってはならない。けれども、(形の上では)太刀を五方(上段・中段・下段・右脇構え・左脇構えのいずれか)に置くことになるので、構えとなるであろう。太刀は敵との関係性により、場所により、気配に従って、どこに太刀を置いても、目の前の敵を斬りやすいようになる心持ちを有構無構というのである。
こちらが意図的/意識的にこういう構えをするというような構えではなく、相手に応じて、状況に応じて、相手を斬りやすいように、「自ずと」太刀の構えが決まっていくことを有構無構の構え(構えがあって構えがない構え)というのである。
これはサイコセラピー場面においても全く同じである。
意図的/意識的に面談を持って行きたい方向へ操作/リード/誘導したがるセラピストがいるが、そんな“構え”がうまくいった試しがない。
「縁により、所により、けいきにしたがい」しゃべりながら、クライアントが一歩でも半歩でも成長して行けるように「自ずと」サイコセラピーが展開されて行けば、それを有構無構ということができよう。
尚、このことについては、『五輪書』の四年前に宮本武蔵が書いた『兵法三十五箇条』においても、
「かまゆると思ふ心なく、敵に相応の太刀なれば」
とある。