前回の『五輪書(1)』に続いて、『五輪書(2)』をお届けする。

「一 兵法の目付(めつけ)といふ事
目の付けやうは、大きに広く付くる目也(なり)。観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専(せん)也。」(水之巻)

(一 兵法において目を付けるということ
目の付けようは、大きく広く付ける目を持つことが重要である。観と見の二つの目付においては、観の目を強く持ち、見の目は弱く持ち、遠いところを近く見、近いところを遠く見ることが、兵法において専(もっぱ)ら努めるべきことである)

目付=目の付けよう=相手の見方においては、目で見るのではなく、心で観る、存在で感じる、ということである。
そうすれば、目の前のことにとらわれず、大きく広く感じることができ、物理的な近い・遠いにもとらわれないで感じ取ることができる。
そしてこれは剣術や兵法だけの話ではなく、我々がクライアントに接する際にも、「観の目つよく、見の目よはく」は極意である。
見=相手(クライアント)を対象物として目で見て観察するだけでは、相手の中で起きていることは深く感じ取れない。
観=心で観る、存在で感じれば、相手の中で起きていることも深く感じ取ることができるのである。
私も「観る」と「見る」を使い分けていたが、この記述に触れて、我が意を得たりであった。

尚、このことについては、『五輪書』の四年前に宮本武蔵が書いた『兵法三十五箇条』においても、
「観見二ツの見様(みやう)、観の目つよく、見の目よはく見るべし」
とあり、武蔵の弟子が書いた『二刀一流極意条々』にも
「見ト云(いふ)ハ、目許(めもと)ニテ見ル事也。観ト云ハ、心ニテ観ル観智ノ事也」
とある。

 

 

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