2013(平成25)年12月27日(金)付け『正しい地口(じぐち)の使い方』において
(1)「そうは烏賊(いか)のき○たま」
について取り上げた。
続いて、2019(令和元)年7月9日(火)付け『正しい地口(じぐち)の使い方Ⅱ』(何故かうまくリンクが張れません。同ページ内で探して下さい)において
(2)「下衆(げす)の考えと猫のきん○まは後から出て来る」
について取り上げた。
そして今回、「きんた○三部作」のトリとして
(3)「いいことは三つない。○んのたまは三つない」
を取り上げようと思う。
ちなみに(2)は六代目三遊亭圓生、(3)は五代目古今亭志ん生の落語で知ったものであり、そういう意味では、(1)(2)(3)すべてが江戸っこの表現と言える。
では、今回の「いいことは三つない。き〇のたまは三つない」について。
昔から「三度目の正直」という。
一回目や二回目がうまくいかなくても、三回目で初めてうまくいくことがあるから、めげないで頑張ろう、という意味合いである(他説もあり)。
ポジティブな意味と言える。
また反対に、「二度あることは三度ある」という。
一回目、二回目がうまくいかないと、三回目もうまくいかないことがあるから、用心した方がいい、という意味である(他説もあり)。
ネガティブな意味と言える。
それらに比べて、「いいことは三つない。きんの〇まは三つない」というのは、どちらかというとネガティブな意味で、三回続けてはいいことはないから、二回で満足しておけ、三回目もあると思うな、調子に乗るな、という意味合いがこもっている
しかし、ここで問題になるのは、そんなに「きんのた○」はいいことなのか?「三つ」あるのはいいことなのか?という問題である。
確かに、「〇んのたま」(精巣)は、子宝を授かる素となる精子を産生し、男性ホルモン(テストステロン)も分泌しているため重要な器官である。
万が一のときのために、一つでなく二つあった方がいいと言うのはわかるが、三つも要るだろうか。
その意味からすると、上掲の諺は
「いいこと三つは欲張りだ。き○のたまも二つでいい」
と改訂した方がいいのではなかろうかと思う。
こんなに「きん○ま」ネタばかり書いて、万が一「社会的に尊敬されるべき精神科医ともあろう者が、このような品性下劣なことを三度も書くのはいかがなものか。」というような感想を持たれた方がいらしたら、
てめぇも何、三度も読んでやがんだっ!
きんのた○も二つでいい、と言ったばかりだろうがっ!
四度めはねぇぞ!もう読みに来るな!
…江戸っ子はこのように使用致します、はい。