先日ふと気がついたのだが、カウンターのある飲食店は2種類に分類されるような気がする。
(いつもそんなことばかり考えて店に行っているわけではないが、気づいてしまうものはしょうがない)
カウンターの中の大将(マスター)/女将さん/スタッフが一人客の話し相手をすることを前提に作られている店とそうでない店の2種類である。
そこを間違えるとちょっと哀しいことになる。
例えば、ある居酒屋では、一人客の話し相手前提、それのみならず、話し合相手を求める一人客(大抵は常連)同士が来る前提のスタイルとなっており、カウンターでいろいろな話に花が咲いている。
しかし、別の居酒屋では、そういうスタイルになっておらず、盛んに大将やアルバイトのお姉ちゃんに話しかける客は生返事と苦笑を返されることになる。
となると、客の方でも、自分は食事をしたくて/飲みたくて行くのか、話をしたくて行くのかを、よく自分に訊いてから、さらに店を選んでから、出かけた方が良いと思う。
でないと、余計に寂しい思いをすることになる。
そして、それ以上に気になるのは、この人は店のカウンターでしか寂しさを紛らわせられないのか、ということである。
以前に『寂しさ』で触れたが、情緒的な寂しさを抱えている人は、実は想像よりも随分多い気がしている(特に東京だからだろうか)。
そしてそれと共に、情緒的寂しさを解消する選択肢の数が相当乏しい気がしている。
大枚をはたいて綺麗なお姉さんやかっこいいおにいさんが話相手になってくれるお店もあるが、そうではなくて、趣味とか、運動とか、ボランティアとか、推し活とか、山のようにある選択肢の中からいろいろ選んで、どんどん打って出ましょうよ。
なんだか地域の民生委員の方の話みたいになって来た。
我々は凡夫ゆえに、老若男女を問わず、情緒的寂しさはあるものです。
それは健全に、積極的に、豊かに、はらしましょ。