「初心者の方に、私、何よりも勧めたいのは…何にもまだその人についての知識もなければ、初めて会ったんですからね、詳しい理解もあるはずないわけです。ですから…本当に…これしかないわけですが、ただ聴くということ、ね。聴くということ。リスニング。よく聴くということ。この聴くということが、私は大変、大切だと思うんです。その聴き方ですが、できるだけこちらがゆったりとして…そしてこう、私は本当に心からあなたの言われることを聴きますよ、というふうな、本当に、その、向こうはわざわざ、忙しい中をやって来たんです。本当に真剣にやってるんですから、こちらの気持ちとしては、そうしたやはり対応といいましょうか、そういうゆったりとした対応をすることがね、必要だと思うんです。
そうしてもうひとつ大事なことは、聴くということは、まあ、単純なことのように思いますけれども、私は…そうですね、忍耐が必要な行為じゃないかと思うんですね。忍耐が必要。まず声が小さかった人なら、一所懸命、声の小さい人の、その声を聴かなきゃいけない。これだって、ひとつの忍耐ですね。それが…また人によりますと、長いこと、どういうことを言おうとしてるんだかわからないけど、ずーっとこういうふうに言われる人があります。そういう人も、じっと聴いていかなきゃいけない、ね。…
そのことを私は、その態度のことを、よく説明するときに使う言葉として「聴き込む」という言葉を使うんです…「よく聴き込んで。」、ね。「込む」という字は非常に、私は…意味があるんじゃないかと、ね。お酒を仕込むとか、いろいろな言葉がありますね、タクワンを漬け込むとかね。「込む」っていう、それはね、心の中にですね、入っちゃう、ね、聴き込む。向こうの声がこちらの心の底に通るほど聴き込むということですね。…
本当に、それだけでもって、面白いことは…あなた方というかカウンセラーが本当に腰をこうグッと入れて真剣に聴き込みますと、不思議なことに、そのカウンセラーに対しているクライアントがね、何かね、そこにね、感じるんです。これは、僕はそこでなんとか、物理的に電気が起きるとかなんとかいうことを言うんじゃないんですが、あなた方にしても、お互いが、お二人、どなたでも、普通の場合でも、本当にこう、真剣にお話をしていらっしゃるときは、何か向こうからですね、やはり、伝わって来るものがあるでしょ。そういうことを感じられるでしょ。一所懸命やってくれるなぁっていう気がする、簡単に言えば。
これが、私は、まず、初めて会って、何も知らない、ね、二人の間に、よく信頼関係、信頼関係って言いますけれども、信頼関係が起きる、そのね、それが起きる元である。こんなふうに思うんですね。ですから、信頼関係ってのは始めからあるんじゃないんですね。それは、そういう二人の人間の間の信頼関係っていうのは、そんな形で、本当は樹立されて来るもの、作られて来る、創造されて行くものである、ね。で…まず第一に…信頼関係っていうものが…ありませんと、これはですね、このカウンセリングをやっていく関係はですね、もうね、続かなくなるんです。この信頼関係が、これからずーっと続く、何十時間、何十時間かわかりませんが、その間の長い時間、たとえ長い時間であっても、それを支え、それをずっと続けて行く、その人たちの大きな力になるんです。これはどんな人間関係でも大事なことなんです。教師と生徒の関係、あるいは、夫と妻の関係、あらゆる人間関係において、この信頼関係ってことがない関係っていうのは、本当は人間関係と言えないだろうと思うんです、本当の意味でね。」(近藤章久講演『カウンセリングを始める人への若干のアドバイス』より)
この「聴くこと」くらい、ああ、もうわかってる、やってる、くらいに済まされて。全然わかっていない、全然行われていないことはないと思うんです。
形式としての「傾聴」、active listening なんていうのはもううんざりなんで、私は「聴くこと」において、本当に重要なポイントは二つあると思っています。
ひとつは、どういう姿勢で聴くかということ。
そしてもうひとつが、何を聴くかということ。
前者は、即ち、相手の存在への畏敬の念を持って聴いているかどうか、ということ。
それがあるからこそ、聴き込むことも、忍耐も、信頼関係もできて来るわけです。
そして、そういう姿勢で聴くことを繰り返して行きますと、やがてそれをクライアントも感じてくれます。
以前、『金言を拾う その9 溝をつける』でお話ししたことを思い出してみて下さい。
そして後者は、相手が実際に話していることを聞きつつも、その人の主観ではない、我ではない、生命(いのち)が何を言いたがっているかを聴くということ。我の声だけではなく、生命(いのち)の声を聴くということ。それがとても大切です。
例えば、あるお母さんが子どもの障害に悩んでおられたとする。
なかなか他では言えない、嘆きや悲しみややるせなさをカウンセラーの前で吐露されるかもしれない。
それを聴くのは当たり前です。
しかしそれだけではない。本当の意味で、しっかりと聴いていますと、お母さんの生命(いのち)の声が聴こえて来るときがあるんです。
何がどうであっても、まるごとこの子を愛したい。無条件に愛せる母親でいたい。そうなりたい。そうさせて下さい、と。
そういう生命(いのち)の声が聴こえて来るんです。お母さん自身さえも気がついていない、深い、深い、その声が。
その声が聴こえなければ、私は、本当の意味で、聴いてないんじゃないかと思います。
近藤先生の講演で『いのちの響きを共に聞く』という題のものがありました(私は「聞く」でなく「聴く」の方が良いのではないかと思いますが)。
この題だけで近藤先生がおっしゃりたいことがもうわかりますよね。
そういった点も含めて、どうか相手の言われることを聴いてみて下さい。
「聴く」ということの意味が、実感として、わかって来るかもしれませんよ。