「溝をつけた上で水は流れて行くわけです。溝をつけなければ水は行かないんだ。その溝をつける仕事というものが、平生(へいぜい)からやってなくちゃいけない。」(近藤章久講演『心を育てる』より)

日常の中で「子どもが言うことを聞いてくれない。」「生徒が言うことを聞いてくれない。」「患者が言うことを聞いてくれない。」 そんなことがよく起こります。

「いろんなこことを私はね、方々で訊かれるんです。『どうしたらうちの子どもをよくすることができるでしょうか?』、ね。『どうして導いたらいいでしょうか?』とおっしゃる。そういうお母さんに逢うけども、私は『急にはできません。』と言うんです。何故かというと、そんなね、急にやったらね、インチキだと思いますよ。信じません、子どもは。『なぁんだ、おかしいな。なんかどっかで聞いて来たんだろ。』なんてことを言います。
「平生からね、平生だから毎日ですよ、ね。とにかく毎日のことが大事だと言うんです。
「挨拶というのはね…互いにね、お互いのね、実は、ことを思いやっていることなの、ね。思いやるってのはどういうこと、相手の生命(いのち)っていうものをんね、いい? お互いにだ、相手の生命(いのち)に手を合わせてる状態なの。
「Mutual congratulation、お互いに祝福し合う、生命(いのち)を祝福し合う、そういうことが挨拶なんだ。

「そういうことをね、毎日やっていくうちにですよ、具体的に言いますと、そういう気持ちの中、気持ちが溢れた挨拶をして…そしてしかもそのときに、『おはよ。』とこう、ちょっとでいいから会釈する。そういうふうなアレがありますと、子どもは自然に…お母さんによって…自分の生命(いのち)が、ね、なんかわからないけれど、尊ばれ、尊重される、大事にされていることを知るでしょう。」
「今、つまらない例ですけどもね、やはり毎日毎日やるね、その礼拝行(らいはいぎょう)というといかにも卑屈に聞こえるようだけどもそうじゃない、こんな楽しいことはない。相手の生命(いのち)をね、祝福し、相手の生命(いのち)をね、本当に見つめながら、素晴らしく健やかにっていうぐらい良い気持ちのものはないんですよ。」
「そういうことをやっていますと、初めて言葉が役に立つときが来るのです。私が一年間そういうことをやったために…一年後に…初めて素直に聴いてくれたわけです。」
「水路、溝をつけなさい。
溝をつけた上で水は流れて行くわけです。溝をつけなければ水は行かないんだ。その溝をつける仕事というものが、平生(へいぜい)からやってなくちゃいけない

近藤先生は、八雲学園の校長として女子高生に関わっていたとき、そしてクライアントに関わっていたときに、毎日毎日、心の中で合掌礼拝(らいはい)されていたわけです。
その平生からの積み重ねがあったからこそ、生徒たちやクライアントたちが近藤先生の言うことに耳を傾けるようになるのです。
特に問題を起こす子どもたちやクライアントたちは、それまで自分の生命(いのち)を尊ばれ、尊重される体験に乏しかったわけですから、余計に敏感なんです。

私が近藤先生のところに通っていたとき、いつの頃からか面談の終わりにお互いに立ち上がって合掌礼拝するようになっていました。
私にとってそれが本当に有り難かった

つまり、私の生命(いのち)が喜んでいたわけです。

そして愚かにも、先生が亡くなられてから、私は気がつきました。
ああ、先生は私が初めて八雲に伺ったときから、私の生命(いのち)に向かってずっと合掌礼拝して下さっていたのだと。

溝をつける、平生から、毎日毎日。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。