否定されて来た生い立ちのせいで自己評価の低くなった人間ほど虚栄心に走ることについては既に述べた。
そりゃあ中身に価値がないんだもの、せめて外側を派手に飾りたくもなるさ。
なんだか割られたガラス片(へん)に一所懸命、金メッキしているような光景が浮かんで来る。
でも本当はガラス片なんかじゃないんだよね。
『生命の讃嘆』を思い出してみよう。
生まれるときに授かった生命(いのち)そのものに絶対的な尊さがある。
何かを知ってるから
何かができるから
何かを持ってるから
価値があるんじゃなくって
生命(いのち)そのものに
存在していることそのものに絶対的な価値があるんだよ。
その真実に戻らなきゃ。
その体験の事実に戻らなきゃ。
それを感じなきゃ。
そうしたらね、気づくでしょ。
ダイヤモンドに金メッキは必要ないって。
それにダイヤモンドは割れてないよ。
だから
その感覚を取り戻すために
自己の生命(いのち)を
他者の生命(いのち)を
合掌礼拝して生きて行きましょ。