「子どもの生命(いのち)が観えたとき…そのときのお母さんの眼の中には、智慧の光が宿ります。」(近藤章久講演『心を育てる』より)

「僕はもう七十ですから、あと何年かの生命(いのち)しかございません。しかしこの生命(いのち)こそ、自分が本当に尊(たっと)び、本当に純粋に保って、死ぬまで伸ばし、生きていかなくては、活かして行かなくてはいけないんです。そういう生命(いのち)だと私は思います。」
「これは私の生命(いのち)ではない。私に与えられた生命(いのち)です。他にどこにもない生命(いのち)なんだ。私の中にだけある生命(いのち)です。だから私にとってはね、これは荘厳(しょうごん)すべき、これは礼拝(らいはい)すべき、本当に尊い、唯一無二の値打ちを持った生命(いのち)だと思います。」
「自分の生命(いのち)を本当に尊び、本当にそれに対する価値を認めるときに、そこに自分の目の前にある、お母さんにとっては『我が子』と呼ばれる、その子どもの生命(いのち)が観えるでしょう。自分の生命(いのち)を尊ぶときに、その生命(いのち)を通じて現れた、与えられた、授けられた、その生命(いのち)の意味もわかるんじゃないでしょうか。」
「自分の子ども、我が子と、『我』という字が付くために、どうでしょ…私たちはともすると、自分の考えた、思ったように、その生命(いのち)をしようとしてるんじゃないでしょうか。」
「子どもを自分のハンドバックや、あるいは、鉛筆と同じように考えてないか、とちょっと考えたときに、あなた方の、お母さんの、あおのときのお母さんの眼の中には、智慧の光が宿ります。」

自分に授けられた生命(いのち)の尊さを感じる
子どもに授けられた生命(いのち)の尊さを感じる
縁あって出逢った人の中に授けられた生命(いのち)の尊さを感じる
考えるのでも想像するのでもなく、感じる
この体験の事実
それこそが人間一人ひとりを超えて働く大いなる力による賜物(たまもの)だと思います。
そしてその大いなる力に導かれて
自分の生命(いのち)を尊び
子どもの生命(いのち)を尊び
縁あって出逢った人の生命(いのち)を尊ぶとき
開かれて来る新しい世界、本当の世界、本来の世界があるのではないでしょうか。

改めて
自分に授けられた生命(いのち)に対して合掌礼拝(らいはい)する「自己礼拝」を
相手に授けられた生命(いのち)に対して合掌礼拝(らいはい)する「他者礼拝」を
お勧めしたいと思います。
我々の存在を覆うものは、取るに足らない、つまらない凡夫性ですが
我々の存在の根底には、合掌礼拝(らいはい)すべき尊い生命(いのち)が与えられているのです。

 

 

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