「仲間の匂い」については何度か申し上げて来た。
混乱が起きぬように、今回はその「仲間の匂い」に2種類あることを整理しておきたい。

ひとつは「仲間の匂い」の中でも「闇の仲間の匂い」というもの。
2024(令和6)年2月12日(月)『金言を拾う その3  弱さの仲間』
で書いたように、自分と同じような心の傷を抱え、痛みを抱え、弱さを抱えた相手に対して感じる「仲間の匂い」がある。
これは、ある意味、血の匂いであり、涙の匂いであり、孤独の匂いでもある。
自分の中から匂うものと同じ匂いを相手からも感じる。
言わば、こいつも地獄を経験して来たな、と感じる匂いである。
それ故に、親近感もあり、話もしやすいが、下手をすると、互いに
傷口をなめ合い、居場所のない者同士が集い、一緒にさらに暗い深みに落ちて行く闇の仲間になってしまう危険性がある。
これが「闇の仲間の匂い」。
(同じ「におい」と言っても「匂い」ではなく「臭い」と書いた方がいいかもしれない)

もうひとつが「仲間の匂い」の中でも「光の仲間の匂い」というもの。
2024(令和6)年2月7日(水)『金言を拾う その2  絶対孤独を超えて』
で書いたように、上記の「闇の仲間の匂い」もするのであるが、それだけに留まらない、
言わば、こいつ、その闇を超えて来たな、と感じる匂いである。
厳密に言うと、これはさらに2種類に分かれる。
闇を超えて光の世界に達した者同士がわかり合う匂いもあれば、
自分はまだ闇の中にいるが、相手はその闇を超えて光の世界にいるな、と感じる匂いもある。

在米中の近藤先生が初めて鈴木大拙に逢った瞬間、互いに感じたのが、闇を超えて光の世界に達した者同士の「光の仲間の匂い」であった。すぐさま大拙から「近藤くん、いろいろ手伝ってくれんかな。」という話になったのも当然であろう。
また、私が初めて近藤先生に逢った瞬間(講演を聴きに行き、壇上に立った先生の姿を観た(まだひと言も発してない)瞬間)に感じたのが、自分はまだ闇の世界にいるが、この人はその闇を超えて光の世界にいる、という感覚であった。
後に成長のための薫習を受けることになるクライアント-セラピスト関係の始まりとしては理想的だったかもしれない。

以上、「仲間の匂い 光と闇」即ち「闇の仲間の匂い」と「光の仲間の匂い」、読者の方々に誤解なく真意が伝われば幸いである。

 

 

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