新選組の生き残りという人が残した言葉を読んだことがある。
正確な文言は忘れてしまったが、大意を言うと、
どんな大義があろうとも、人を斬れば、人間が荒(すさ)んでくる
ということであった。
拭(ぬぐ)っても拭っても落ちない血が手に残り、こころに残る
という。
やはり人は人を殺すようにはできていないのである。
アメリカとイスラエルがイランに奇襲攻撃をかけた。
そしてイランの報復攻撃も始まっている。
これもまた、どっちにどういう大義があろうとも
どう正当化しようとも
人殺しは人殺しである。
直接・間接に手を下した者たちの中には荒みが残る。
アウシュビッツ収容所でホロコーストに関わらされたドイツ兵の中には、精神に異常を来たす者が多くいたいう。
また、自宅に近い、安全なアメリカ国内の基地から、中東国内のドローンを遠隔操作して敵を殺すというハリウッド映画があった(『ドローン・オブ・ウォー』(原題はなんと“Good Kill”である)。この話は恐らくフィクションではなかろう)。
それだけの“距離”があっても、兵士は心を病む。
娑婆に生きていれば、兵士たちのように、いろいろな巡り合わせから、万止むを得ず、人を殺さざるを得ないことになることもあるかもしれない(例えば、我々においても、交通事故、失火、業務上過失致死など容易に想像できる)。
そして、その後の荒みは、浅薄なPTSD治療でなんとかなるとはとても思えない。
感情のレベルではなく、霊性のレベルで救われなければ、その荒みは癒えるはずがないのではなかろうか。
(緩和ケアでは随分浅く扱われているように思うが)これこそが霊的苦痛(spiritual pain)ではないかと私は思っている。