「女の子にとって必要で意味のあることは、何かを愛し、可愛がるということです。…男女同権が、それぞれの独自性を互いに尊敬するというのではなく、結局、男の真似をすることになってしまっているわけです。
女の子の場合は、特に本能的に何かを可愛がりたいという気持を持っています。これはまだ未熟ではありますが、ほんとうの愛へと成長する萌芽です。ペットを飼う。あるいは草花を育てる。猫でも犬でも鳥でも花でもいい、何か生きものを可愛がる、そして育てるということが、女の子の成長にいちばん大切だと思います。それが人を愛するやさしい気持を育てていきます。…
植物を育てたり動物などを可愛がるのは、少なくとも小学校高学年から中学校のいわゆる思春期の前期、ちょうど体のかわる頃までには、やらせてほしいのです。そういう具体的なことを通して、やさしい気持を育てることができます。女の子は猫などに頬ずりしていますが、動物などを可愛がっていくこと、可愛いものに接触すること、手で触れることにより、自分も気持よくなり、やさしい気持が育ちます。
子どもだけでなく、女性というものは触感によって非常に心理的に影響されるのです。気持が慰められたり、解放されたりするものです。ところで触覚を広く考えれば、視・聴・嗅・味・触の五感全部が触覚といってよい。味は舌、目は網膜における触覚であり、音は耳の鼓膜による触覚です。特に掌の触覚とか肌の触覚に対して、女性は敏感なのです。これが満足されないと、とかくイライラしたり意地悪になったり、場合によると病気になりがちです。
触覚というのは感覚です。感覚というものから気分が生じます。…
そういう男女の違いを認識して、女の子が自然に示す生きものに触れたがる事実を事実として認識した上で、その特徴をどう育てていくか。そういうことを考えるのが知恵というものだと思います。いたずらに大人の要求を押しつけて、『犬猫を可愛がっても汚いだけです。花の世話をするより勉強しなさい』という態度はよくありません。
結局女の子には、触覚を中心にいろいろなものに触れさせること、接触させることが有益だと思います。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)
近藤先生の渡米中はちょうど「ウーマンリブ」が盛んな時代でした。
ニューヨークにも、女性なのに、スーツ・ネクタイを着て、髪を七三に分けた、男装の女性活動家がいたそうです。
ホーナイ自身も、フロイトの男尊女卑的な分析観から解放したという意味で、当時はフェミニストの活動家の一人として扱われることがあったそうです(本人にその気はなかったようですが)。
女性が折角、差別され、抑圧されたいた状況から解放されるていくのに、よりによって、なんで愚かな(先行失敗例である)男のマネをするのか、というのは、よく近藤先生と話した話題でした。
行き着くところ、男であろうと女であろうとLGBTQであろうと、本当の自分を実現すること以上に重要なことはないのではないでしょうか。
その上で、それらを踏まえた上で改めて、女性にとって触覚が重要なことは(差別を超えた特性として)事実である、と私も思っています。
それにしても、「五感全部が触覚といってよい」というのは、流石、近藤先生の炯眼です。