ニュースでご存知の通り、ミラノコルティナ五輪のスキージャンプ混合団体(丸山希+小林陵侑+高梨沙羅+二階堂蓮の4人が団体で競う)において、日本は銅メダルを獲得した。
やはりここで注目されたのは高梨沙羅選手。
4年前の北京五輪の同種目、高梨選手は1本目に会心のジャンプを飛んだ後、スーツ規定違反を指摘されて、まさかの失格。
チームも4位に終わり、泣き崩れて地面に突っ伏している姿を今も思い出す。
そこから4年かけてのリベンジであり、銅メダルである。
そして結果がわかった後、4年前共に戦った伊藤有希とのハグは見る者の涙を誘った。
まずは、沙羅ちゃん、良かったね、よく頑張ったね、と多くの日本人が思ったことであろう。
私もまたその一人であり、全く同感である。
しかし、競技は団体であり、高梨選手がいくら頑張っても、今回もメダルに手が届かなかったかもしれない。
また、ギリギリのパフォーマンスで挑戦している限りは、高梨選手自身が、不本意なジャンプに終ったかもしれない。
そんなこともあり得るのがオリンピックであり、現実なのだ。
問題は、それじゃあ、ダメなのか、という話である。
どこまで行ってもオリンピックは、他者比較評価の世界。
それはそういうふうに作られているので、良いも悪いもなく、そういうものなのだ。
だけれども、たまには変わったヤツがいて、オリンピック本番の結果を無視して、そこまでその人が歩んで来たプロセスを絶対的に評価する人間がいてもいいんじゃないかと思う。
恐らく、高梨選手の家族や、無条件で高梨沙羅を愛している人たちは、そう思っているんじゃないかな。
沙羅ちゃん、良かったね、よく頑張ったね。
それは、銅メダルが取れたからではなく、失格しないで飛べたからでもなく、4年前のリベンジができたからでもなく、高梨沙羅のこの4年間の一所懸命の日々に心からの讃辞を送りたいと思う。