「人間として成長するために、子どもにとっては特に、友だちとの関係が重要です。友だちとの、遊び仲間の関係をできるだけ奨励してほしいのです。小さい頃から友だちと一緒に、泥んこになって遊ぶことが必要です。その中で自然と仲間遊びができるようになり、いろいろな人間関係も経験できます。…
やはり子どもには小さい時から…(喧嘩で)勝った負けたということがあり、勝つことも負けることもあることを経験させる方がいいと思います。…
また…子どもどうしでも、どちらが正しい、正しくないという問題がありますが、親としては、どちらが正しいとか正しくないとかということは言わない方がいいでしょう。というのは、結局せんじつめると、暴力行為をやるということは正しくないことなのです。暴力行為に正しい正しくないなどはおかしい。もともと正しくないのです。そういう正しい、正しくないというのは大人の論理であり、大人の倫理なのです。子どもにとっては勝った負けたが問題です。しゃくにさわるとか、そういう感情が主なのです。…
子どもの喧嘩に大人の論理を持ってくると、子どもは混乱します。現実と違うからです。むしろそれより、勝った負けたという時に起こりがちな劣等感を救ってやることが必要です。正しいとか正しくないとか言っていると、子どもは混乱してしまいます。そうして自分の劣等感を無理に合理化するために、『僕は負けたけど正しいんだ』と考えるようになってしまいます。これではどうもあとになって、神経症的な性格になってきます。負けた時は負けたで、『僕は体で負けた』と思っていいのです。『体が小さいから負けた、力が弱いから負けた』と思った方がいいのです。…
時と場合によっては、まず自らを守るために闘うことは必要なのです。…好むと好まざるとにかかわらず、力というものが世の中で現実的な力をもっているという現実を知らなければなりません。観念的に育ててはいけません。
子どもの世界にも、大人の世界とはちがった力の現実があります。そういう現実をふまえた上で、それに対してどういうふうにするかということを考え、実行できる人間に育てた方がいいと思うのです。そうしないと、現実には行動できないので、心の中に葛藤を持った人間になってしまいます。いつも心の中で劣等感を持っています。『負けたれどもしかし、僕は正しいんだ』と言いながら、割り切れない、不愉快な感じは拭(ぬぐ)いきれません。いつも『俺の正しいことが認められない』と陰で不平を言う人間になります。そしてこうし矛盾した気持ちのまま、葛藤を持ったままに成長していくわけです。これを防ぐためには、力の点で負けた時は、『自分は力でやっぱり負けたんだ』とはっきり認め、勝とうと思ったら『俺はもっと力をつけりんだ。それにはどうすればよいのだろう』と、具体的なことを考えさせた方がいいと思います。…
何事も平和主義で、『とにかく喧嘩はしない方がいいわよ』というのが最近のやり方ですが、私は戦う知恵を授けたいと思います。子どもたちもそういうことを経験することによって、戦う知恵や力が出てくるのです。大人になっても邪悪に対して戦うとか、陰険なものに対して戦う精神というのは必要なことです。ですから子どもたちにもそれをやらせる、そういう訓練の場を与えたいと思うのです。…
お母さんたちはみなさん喧嘩というものをいやがりますが…子どもは、勝っても負けても喧嘩を経験することが必要です。これも経験することによって現実を知る、実感の世界といっていでしょう。
よい子とか、りっぱな子とかいう建前の上での、観念的なあり方、きめられた枠にはまったような育ち方では、必ずあとになっていろいろとノイローゼ的な問題を起こします。ノイローゼの患者さんはとかく子どもの頃、ほとんど喧嘩をしたことのない人たちばかりです。いわば、長いあいだ敵意を抑圧してきた人が多いのです。…
なぐられれば腹が立ちます。まだ子どもなのですから腹が立つ時に怒って、相手に向かっていくのが自然なのです。その自然をあまり抑圧すると必ず問題が出てきます。…
敵意というものは、隠されて、蓄積されるのがいちばんいけません。敵意は軽いうちに早く出してしまわないと、内向して、自分自身を傷つけ、相手に対しても憎しみを深いものにしてしまいます。…
一般には攻撃欲というものを、何か人間の原罪みたいに考えて、『よくないことだ、直さなくてはいけない』と言われています。しかし攻撃欲それ自体をなくすことはできません。それよりも、攻撃欲というものをいかに転化していくか、を考えることが大事だと思います。攻撃を押さえつけるのではなく、別な面へ転化してゆくのです。
例えば、オリンピックで必死になって優勝を争う、あれもみんな攻撃欲のあらわれです。スキーの大回転とかジャンプ、スピード・スケートにしても、みな攻撃欲のあらわれです。南極や北極を探検するのも攻撃欲です。難しい問題を解決しようと努力するのも攻撃エネルギーの昇華です。このように攻撃欲自体を建設的なものにふりむけていけばよいのです。
つまり人間の攻撃欲自体の存在は認めて考える。そのかわりにそれをどういうぐあいに使うかを自覚させる。子どもをそういう方向に指導していった方がいいと思います。…
欲望などというのは、それこそ火と同じで、燃える時はカッカと燃えますが、そんなものは限度があるものだと早く悟ることです。それを不完全燃焼のままにしておくと、残ってしまうのです。とにかく子どもには…、子どもの集団の中で、できるだけいろいろな経験をさせることをぜひともおすすめしたいと思います。」(近藤章久『感じる力を育てる』より)
どうであるべきだとか、どうであってはならないと観念的なことを言ったところで、怒りや敵意、攻撃欲といった感情は現にあるものです。
それを抑圧しないで、できるだけ早く、できるだけそのままに感じて、そのままに出す。もしそれを出すことがどうしても憚(はばか)られる場合には、他の形にして(社会的に受け容れられやすい形にして)昇華して出す。
そうすることによって、子どもたちは、怒りや敵意、攻撃欲などの出し方を覚え、また、現実にも戦える大人になっていくことができます。
そのために、子どもたちは集団や人間関係において、喧嘩などの体験を通して、それを練習して行くことになるのです。
それなのに、そういう機会が与えらず、怒りや敵意、攻撃欲などを抑圧するようになっててしまうと、子どもたちは段々と神経症的になっていってしまいます。
ちゃんと感じる、ちゃんと表現する。
そのために喧嘩は大いに役に立ちます。