子どもから
「何のために学校に行くんですか?」
と訊かれたとする。
それに対して、子どもたちを丸め込むような合理化、正当化の答えはしたくない。
そんなものに子どもたちは騙されないし、納得もしない。
いつも「そもそも」の話に戻る。
そもそも人間は何のために生まれて来るのか。
それは本当の自分を生きるためである。
今回の人生において自分に与えられたミッション=意味と役割を果たすためである。
そこから学校の話に戻る。
あなたが本当のあなたに成長して行くために、学校が役に立つなら行けばいい。
役に立たない、あるいは、むしろ邪魔になるようであれば行く必要はない。
それがまず基本。
元来、学校は人間の勉強をするところであった。
それを「学」と言った。
そして、教科の勉強をするところでもある。
それを「芸」と言った。
よって「学芸」という。
「学」と「芸」を学ぶところが学校である。
但し、「芸学」ではない。
「学」が先。
となると、先生たちにも訊きたくなる。
あなたは本当の自分を実現して生きていますか?
少なくとも、本当の自分を実現しようとして生きていますか?
(これは対人援助職者全員にする質問でもある)
話を元に戻す。
よって、ひどい教師やクラスメートがいて、あなたが本当のあなたに成長して行くことが阻害されるなら、そんな学校に行かなくていい。
ただ「但し」がつく。
君たちを待っている社会にも、漏れなく?イヤなヤツと変なヤツがいる。
まだ子どもである君たちは、ひどい学校から、クラスから退避して結構だけれど、大人になってからいつまでも逃げ回ってはいられない、ということも知っておいてほしいと思う。
目指したいのは、いつでも、どこでも、誰の前でも、自分でいられる幹の太さであり、勁さである。
それを目標にしよう。
それを目指して成長して行こう。
そして最初の問いに戻り、もし子どもから
「何のために学校に行くんですか?」
と訊かれれば、
「学校という環境の中で揉まれて鍛えられて、本当の自分に成長して行くためです。」
と答える。
(これもまた「何のために会社に行くんですか?」と訊かれれば、「学校」を「会社」に代えて同じ答えとなる)
そして学校の場合には
「教科学習もあります。それは学ぶ喜びを体験するためです。」
と付け加える。
今日は前者「学」の話。
明日は後者「芸」の話。