ある男性タレントが、妻との生活において、放屁=おならをしたくなったら妻の前ではせず、トイレに行ってしているという。
それを聞いて、なんてマナーの良い旦那さんでしょう、と讃嘆する人がいる一方で、
パートナーの前でおならもできないようなら、それはパートナーではない、と非難する人もいた。

例えば、自分の便=うんちは汚く感じない、という事実がある。
実際に、我々の大腸の中にはうんちがあるわけで、それを汚いと感じたら、それこそ身の置きどころがなくなってしまうだろう。
自分のうんちは、言わば、自分の存在の延長線上にあるから汚く感じないのである。

そこからさらに拡大して行くと、我が子のうんちは汚く感じない、という事実がある。
我が子のオムツを変える度にうんちが汚くてしょうがないのだったら、やってられないだろう。
しかし、他の子を預かってオムツを変えようとすると、少なくとも我が子よりは汚いと感じてしまうという事実がある。
これは、お腹を痛めて産んだ我が子は、言わば、自分の存在の延長線上にあるから、そのうんちも汚く感じないのである。

ということは、自分の存在の延長線上にある、則ち、自分の存在と一体感のあるものであればあるほど、汚く感じないという結論に達する。

最初の夫婦のおならの問題に戻る。
上記の理論からすれば、パートナーのおならにどれだけ嫌悪感を感じるかで、その夫婦の心理的距離がわかるのではないか、という恐ろしい推論に達する。
心理的に一体感を持っている夫婦ならば、それほど嫌悪感を感じないはずである。

但し、純粋に嗅覚的に臭いものは臭い。
よって「パートナーのおならを臭いと感じるか」ではなく、「パートナーのおならに嫌悪感を感じるか」という表現がより正確であろう。

さて、あなたとあなたのパートナーはどうでしょ?
答えはあなたの胸のうちに…。

 

 

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