「ウィリアム・ジェームスの言葉に、『どんな人間も、生命として生きる権利と共に、また生きる資格としての能力を与えられている』というのがあります。どんな人間にも、生命があるところ必ず何等かの能力があるということを意味しています。
私もその考えに大賛成で、どんな子どもも潜在的にすばらしい能力を持っており、それはまず、親や母親のはげまし、両親や先生から認められることによって現われてくるものです。もうしたまわりの人から認められることは、子どもの成長にとって何よりも大切な促進剤であると思います。
人間にとって、まわりの人から、あるいは自分が大切だと思う人から認められることは、生きていく上に大きな意味を持っています。いわんやまだ自分自身について何もわかっていない子どもにとっては、計り知れない意味を持っているのです。…
親に認められるということは、これは子どもにとって非常に大事なことです。これは子どもが持ちやすい不安とか自分に関する劣等感だとか、そういうものを予防することになります。劣等感を持ったあとで、『お前にはこういういいところがある』と言っても手遅れになりがちなのです。親御さんはどうも劣等感が生まれてから、慌てて認めることを考えておられますが、できるだけ幼児期から、劣等感が生まれる前にひとつひとつ、子どもの努力を認めるように心掛けたいものです。劣等感は人間を歪めやすいものですが、親に認められることはこの劣等感の形成を予防するもとになります。…
また人間は、それぞれ顔かたちが違うように、それぞれに与えられた可能性があります。人間の能力は決して一様ではなく、また万能の人間はありません。その子の中に、一つでも、どんなところにでもいいから、独自の能力を見つけてやり、認めていく。そういう態度を親が持ってもらいたいと思います。…
子どもは親がこういう顔につくろうとか、こういう能力につくろうとか、決して計画したり設計してつくったものではないのです。縁によって、それぞれの人格を持った者として与えられたものです。与えられた生命なのだと考える。するとその生命に対する尊敬というものが感じられてきます。生命の持っている無限ともいえる可能性を考えれば、おのずから尊敬の念がわいてくるはずです。そこから子どもを認めるということも出てきます。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)

 

認めることの大切さについて補足しますと、その子がその子であることを認める、その子が持っている(授かった)能力を認める、ということが非常に大切です。
それは、すみれがすみれであることを認める、すみれならではの花の可憐さを認める、ということです。
決して、子どもをさくらに誘導したくて認める、さくらっぽい花ならば認めてやる、ということをしてはないけません。
子どもは親から大人から認められたくてしょうがありませんから、認められるためなら、自分でないものにでも何でもなろうとするからです。
それが“他者評価”の奴隷を作っていく温床となります。
そうではなくて、
その子がその子であることを認める、その子が持っている(授かった)能力を認めるのです。
そうすれば、本来の自分を実現して行くにつれ、次第に他者評価、他者からの承認抜きで、自分でいられるようになって来ます。
そこがとても重要なのです。
そのために、子どもの中に内在している、すみれをすみれさせていく力に対して、手を合わせて頭を下げる気持ちで接していきましょう。

 

 

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