「サロンのばか(Salonbloedsinn)」
初めて聞いたとき、随分ひどい精神医学用語だな、と思ったのを覚えている。
その意味を、ヨーロッパの社交的な集まりであるサロンに背伸びして参加し、調子に乗ってしゃべっているうちに、教養のなさを露呈してしまうこと、だと私は思っていたのだが、
手元の『精神医学事典』を開くと、
「サロンの参会者に、サロンの華やいだ雰囲気に調子に乗っているうちに化けの皮がはがれ知能の低さを曝露してしまう状態にこの名がつけられた。転じて分を弁(わきま)えずに自分の知能の及ばない高いものを追って失敗する場合にも使われる」
とあり、そんなふうに事典に書いて大丈夫か、と思わせるほど辛辣である。
で、今回は、この専門用語を紹介したかったのではなく、この「サロンのばか」って、特別な人のことではなく、人類ほとんどそうじゃないか、と思ったのである。
我々に「本当にわかっている」「本当に知っている」ことがどれだけあるのだろうか。
みんな、実は上っ面しか知らないことを全部わかったかのような気持ちになり、「調子に乗って」「分を弁えずに」しゃべっているような気がして来てならない。
そして、別にサロンに行かなくても、職場の中で、医療福祉機関の中で、学会の中で、学校の中で、地域の中で、家庭の中で、いくらでも「職場のばか」「医療福祉機関のばか」「学会のばか」「学校のばか」「地域のばか」「家庭のばか」がいるのである。
まずは、「ばか」は「ばか」なんだからしょうがないんだけれど、その自覚があるかないかで大違いである。
自覚があれば、人間がちょっと謙虚になる。
そしてその上で、いつまでも「ばか」にどっぷりと甘んじているのではなく、「ばか」は「ばか」なりに、少しは成長して行きたいと思ってくるんじゃないかな。
そもそも人間というものが「ばか」なのも事実。
しかし、死ぬまで成長して行きたいと突き動かすものがあるのも事実。
そうなると「サロンのばか」にも未来があるんじゃないかと思うのでありました。