たまにはちょっと“怪しい”話をしましょうか。
昔から神社が好きである。
境内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わり、ゾクゾクとしてくる感じがたまらない。
正確に言えば、「神社」が「好き」なのではなく、この「霊的感覚」が「好き」、いや、「好き」なのではなく、私の霊性がその「霊的体験」を「求めている」のである。
『神道事典』によれば、「神社の原初形態は必ずしも社殿を伴うわけではなかった。むしろ年数回の祭りのたびに、霊地として神聖視される場所…に、神籬(ひもろぎ)(臨時に神の座とされる榊(さかき)などの常緑樹)または磐座(いわくら)(同じく自然石)を設けて神霊を迎え、終われば送り返すのが常だった」という。
即ち、「霊地として神聖視される場所」が神社であった。
あくまで「場所」なのである。
沖縄に見られる御嶽(うたき)の方が、その原初形態を残しているとも言われている。
その後、渡来して来た仏教の寺院建築などの影響を受けて、伊勢神宮や出雲大社などで社殿の建築が始まったという。
私的経験から言うと、古い神社ほど、その「霊的感覚」を体験しやすいように思う。
新しくできた神社などでは、その「霊的感覚」が感じられないものもある。
そして、そこで起きる「ゾクゾクしてくる」霊的体験こそ、神道でいうところの「鎮魂(たましずめ)」あるいは「魂振(たまふり)」であり、「衰弱した魂を…励起する」という表現は私の体験の感触に合致する。
「魂を励起する」とは、あなたの存在の根底を、あなたがあなたすることを、元気にしてくれる、活性化してくれる、と言ってもいいだろう。
これ以上言うと益々“怪しく”なってくるので、これくらいにしておこう。
感じる人は感じる話でありました。