「要するに、それだけ人間というものはふんぎりが悪いのです。親自身がそういう自覚を持っていれば…我が子がそういうことをやっている時にわかるわけです。ですから人間の心理には、大人も子どももないということが言えます。つまり大人がちょっと自分でふり返って自分のことを考えれば、子どもの心理も言うこともすぐわかるわけです。大人と子ども、善人も悪人も、人間の心理としてはみな共通なのです。
私はもとより自分が、特にすぐれた人間でないことを知っています。私なりの精一杯の知恵で考えてゆきたいと思っています。愚かな者もまた生きていけますし、また生かされていくのです。愚かな者も賢い者と同様に生かされていくものだ、ということを私は感じます。それだからこそ、ありがたい。善人だけが生かされるのだったら、とてもたまったものではありません。悪人もまた生かされるところがすばらしいと思います。
人間は苦悩や欲望を持った存在、煩悩を持ちながら生きている存在ですが、それこそそういう人間が、やはり自分の中にかかえている煩悩によって教えられるのです。煩悩を経験することによって『ああ、これはつらいなあ』と苦悩を知るわけです。苦悩を知ってはじめて助けを求めるわけです。助けを求めて、助けとられる歓びを知り、そこではじめて素直になるわけです。ほんとうに愚者にかえるのです。愚かさそのものに素直になる。それまでは愚者のくせに多少は賢いつもりで、あちこちとごちゃごちゃやっているのです。…やはり己を知るということは、自分が感じるということしかないわけです。素直になってはじめて自分の愚かなることを悟り、その結果、愚かなままに救われて、ひとつの自由な境地を得られるのです。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)
近藤先生は私の前でも「私はもとより自分が、特にすぐれた人間でないことを知っています。」と同趣旨のことを何度もおっしゃっていました。
それが形だけの謙遜ではなく、本気の言葉であることが毎回伝わって来ました。
その徹底した凡夫の自覚。
そしてその上での「愚かな者もまた生きていけますし、また生かされていくのです。愚かな者も賢い者と同様に生かされていくものだ、ということを私は感じます。」という言葉は、本当に私の生命(いのち)に響きました。
こんなクズでも生きていける、生かされていけるのだと。
もう手を合わせて生かされて行くしかないと思いました。
「素直になってはじめて自分の愚かなることを悟り、その結果、愚かなままに救われて、ひとつの自由な境地を得られるのです。」
そんな気持ちで来年もまた共に生かされて行きましょうね。