ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を再読した。
実に40~50年ぶりである。
読後感が全然違うのは、こちらが年を取ったからでもあるが、
今回読んだのがドイツ語の「初版」を翻訳した酒寄進一訳・光文社古典新訳文庫版であり、
昔読んだのはドイツ語の「改訂版」を翻訳した竹山道雄訳・岩波文庫版であったことも影響していると思う。
というのも、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』は、18世紀後半のドイツを席巻したシュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang)(疾風怒濤)文学の代表作と言われ、理性重視の啓蒙主義に反発し、感情や人間の解放を重視した活動を代表するものであった。
特にその「初版」は、その傾向を色濃く示しており、「改訂版」になると、その過激さがいくらか穏当なものになっているのだ。
しかしそれよりも感じるのは、自分がこういった作品を落ち着いて俯瞰できるようになったことである。
道ならぬ恋に悩んだ、我の強い青年が、やがて自殺を選ぶという悲劇的な展開も、その巧みな文学的表現に惑わされず、読むことができる。
どこが問題で、誰がどこに嵌(はま)っているかを落ち着いて観通せるのである。
ああ、昔よりは人間を観る軸ができて来たのだな、と本書を読んで、改めて実感することができた。
かつての「疾風怒濤(しっぷうどとう)」は今や「微風細波(そよかぜさざなみ)」となった。
当時のヨーロッパでは本書を読んで自殺する若者が続出し、いまだに有名人の自殺に続く後追い自殺のことを「ウェルテル効果」と呼んでいるほどである。
その影響に驚いたゲーテは「わたしにつづくのではない」との警告を付けたほどだ。
しかし、自分のこころの中に起きていることを観通せるようになれば、心配はいらない。
感情に翻弄されず、自分が何のために生れて、今回の人生、何をやって生きて死ぬのかを感じ取れるようになるのである。
感情の解放は、人間の解放のまだ前座に過ぎない。