「よく、日本人は母性原理に立っている民族であり母性崇拝的である、その点、文化的に父性原理に立っているヨーロッパ人と大きな違いがあるなどと言われます。
一般に母性とは、すべてのものを育み包み込む、愛情にみちたものであるという、一種のロマンチックな考え方があります。そうした考えを裏付けるように、いままでの日本の母親は特に、自己犠牲的なところがありました。そういう点でたしかに、ほんとうに子どもだけに尽くしていたというところがありま
ところで最近は、自己を犠牲にして子どもに尽くす母親もありますが、自分の欲望や考えを子どもを通して実現しようという、少し男性的なところも大分出てきました。一般的に昔の母親は自己犠牲が普通だったのですが、近年は男並みに自己中心的になってきたと言えましょう。
男性は元来が自己中心的ですから、その反対のものを見て非常に賛嘆し、嘆美してきました。上記のロマンチシズムもこうした男性の感情の反映とも考えられます。ところが女性の側も、負けずに自己中心的になってきましたので、表面的にみると女性は意欲的になった、強くなってきたという印象を与え、いままでの母性像から大分変わってきた感があります。この、自己中心的になり、自分の欲望を子どもを通して実現させようという考えが端的に表れているのが教育ママです。…
それは要するに、親の管理のもとに世間並みの、あるいは世間よりすぐれたコースを歩ませようという、功利的な打算に基づいた自己中心的な考え方です。
これは決して、ほんとうに子どもの成長をねがうところの愛情ではありません。世間の価値観を無批判に受け入れ、自分の虚栄心や支配欲を満足させようという態度に他なりません。…
母の愛というものは、子どもの側で感じ、言うことはよいのですが、これを母親が自分の方から、これが母の愛よ、と言うと間違ってきます。…
愛情というのは、子どもなりに第三者からみて、『お母さんはやさしい』と感じられるものです。そのような愛情は、見ていて静かに深い感じがします。母親の知恵がふくまれているのです。
知恵というのは、おのずからその子どもの生命を生かすような知恵ですから、自己中心的な、あるいは功利的な感情によごされたものではない。静かに子どもの成長をみて、わが子の独自の生命を感じとって育てていく、このような知恵をさします。…

よく、子どもは親の言葉でなく親の行動をみて学んでいくとか、親の後姿をみて育つとかいいますが、子どもにとって直感的に感じられる親の落ち着いた生き方、つまり親の内面的な心と外側の行動に矛盾のない姿が、子どもに信頼感を与えるのです。
とかく教育者や宗教家の家庭に非行少年が出ることがありますが、これはその人たちが、倫理とか道徳とか、言葉や概念の世界に住んでいて、言っていることと行動とが矛盾し、自分の正直な姿を出していない場合に起こりがちなことなのです。
『正直にしなさい』と言われて、もしそう言っている当のその人が嘘つきだったらどうでしょう。子どもはものすごい不信感におちいります。そんな父親を持ったら、たまったものではありません。自分のいちばん信じたい人が信じられないくらいつらいことはないのです。
むしろ、ぐうたらおやじでも酒飲みであっても、その自分の姿を認識して、正直な姿を示した方がよおいと思います。
」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)

 

またもや、深いことをさらっとおっしゃる近藤先生です。
男性は元来が自己中心的ですから」…あいたたた。
とかく教育者や宗教家の家庭に非行少年が出ることがあります」…教育者や宗教家だけでなく、精神科医や臨床心理士/公認心理師などの精神科医療関係者を加えてもいいでしょう。
自分のいちばん信じたい人が信じられないくらいつらいことはないのです」…そうだよね。親を信じたいよね。先生も信じたいよね。
そして今日のお話の一番の眼目。
知恵というのは、おのずからその子どもの生命を生かすような知恵です
世俗的な、表面的なことはどうでもいいのです。
「子どもの生命(いのち)を生かす」、この視点があるかないかがすべてです。
本当の意味で、その視点に立ち戻ることができたならば、子どもにどうかかわったらいいか、という答えは自ずと見えて来ることでしょう。

 

 

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