例えば、依存的な人がいたとする。
そういう人に対して、ベッタベタの依存に応えて、よしよししてあげる。
例えば、回避的な人がいたとする。
そういう人に対して、それでいいよ、無理しなくていいよ、と非直面化と先送りを手伝ってあげる。
そうすれば、本人は喜び、時に感謝され、自分は“良い人”になれる。
しかし、本人の中にある自立する力、勝負する力は阻害され、何もできない人間に仕立て上げられて行く。
これ、一種の“虐待”でしょ。
相手のためと言いながら、自分のために、自分が“良い人”になるために、患者さん/利用者さん/メンバーさんを出汁(だし)に使っているのである。
こういう人たちが対人援助職(看護師、精神保健福祉士/社会福祉士、臨床心理士、作業療法士、精神科医)に多いというのは、非常に大きな問題だと思っている。
本当に患者さん/利用者さん/メンバーさんのためを思うならば、
本当に患者さん/利用者さん/メンバーさんが自立し、勝負できる人間になってくれることを願うならば、
イヤなことも言い、怒ることも言い、泣くことも言わなければならない。
それができない対人援助職者が多いんだよね。
他者の満足、特に他者の主観的満足のために、いかにも相手が言ってもらいたそうなことを言い、してもらいたそうなことをするのは、結局は他者評価の奴隷であり、それによって自分の存在意義を感じるためなのである。
本当に患者さん/利用者さん/メンバーさんの方を向いて仕事をしていない。
優しい“虐待”は、すぐにそれとわかりにくいため、激しい“虐待”よりも時に罪が重いのだ。