もう忘れてしまっているかもしれないけれど、赤ちゃんの頃、私たちは、生きることの全てを自分以外の人のお世話になって生きて来た。

まだ先のことだと思っているかもしれないけれど、高齢になれば、私たちは、生きることの全てを自分以外の人のお世話になって生きて行くことになる(可能性が極めて高い)。

そしてその間の、元気に独力であれもこれもできていると思っている年頃ですら、よくよく振り返ってみれば、誰かのお世話になっていないことなど、ほとんどないとわかる。

そう思うと、例えば、日常の仕事上、
ちょっと他人より多く働いたり、
ちょっと他人の分の仕事をしてあげたり、
ちょっと出勤が早くなったり、
ちょっと退社が遅くなったり、
ちょっと休憩時間が短くなったり、
ちょっと休日を取るのが少なくなったりしたとしても、
そんなに「損だ。」「不公平だ。」「私ばっかり。」と思わなくてもいいんじゃないかと思う。

もちろん労務管理上、使用者は、可能な限り、公平かつ適正な労働時間および業務負担の配分に配慮していただきたいと思う(それは使用者の責務)。
今言っているのは、それとは違う、根本的な次元における仕事観、労働観、共に働く職場観の話である。

してもらったことはすぐに忘れるくせに
してあげたことはずっと覚えている。
自分がかけた大きな迷惑はすぐに忘れるくせに
自分がかけられた小さな迷惑はずっと覚えている。
恩着せがましく、被害的なのが、我々凡夫なのだ。

そんな我々でも、利害や計算を超えて、授かったミッションだから目の前のことを一所懸命にやろう、と素直に思わせていただけたらいいな、と思う。

 

 

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