「父親が、子どもとできるだけ行動を共にすることが非常に大切だと思います。…そういうふうな触れ合いをとおして、お父さんはこんなことを感じているんだとか、考えているんだとかいうようなことが自然に耳に触れる。お父さんの行動や考え方が、以心伝心で膚(はだ)で触れるというふうな感じ、そういうようなものがやはり子どもにとって、子どもの実感をつくっていくのに役に立つのではないかと思うのです。…
私はどうしても教育の本来の形は、はじめは親子の間にあったと思います。これは私の持論です。教育とは親子の間の関係にできるだけ近いものにすることが大切ではないかと思うのです。実感ということも、共感の中の実感というか、実感を共感するというか、そういう関係の中で経験することができます。…
実感を分かち合うことがコミュニケーションなのです。コミュニケーションの『コム』というのは『共に』という意味です。実感を共にすることです。私はそれが親子関係では、いちばん大事なことではないかと思います。…
お義理の家族サービスではない、父親自身がそのことを楽しんでいる姿が、子どもと行動を共にしながら喜んでいるその姿が、子どもにおのずからよい影響を与えることになるのです。
次に父親にとって大切なことは、やはり時々、自分のための暇を作るということでしょう。…
それは自分の内部感覚、自分の生命の呼び声、深い所からの促しを聞くために必要なのです。…
例えば、庭いじりでも日曜大工でも、音楽をきくことでも静かに瞑想することでも、ゆっくりくつろぐことでも何でもいいのです。その中で、一個の人間として自分の命を感じてほしいのです。自分の命が息づいているのを感じる、内部感覚の実感が非常に大切です。
こうした自分自身になった父親の姿を子どもは敏感に感じとります。『何だかお父さんは楽しそうだなぁ』と、それだけでも子どもは安心感と信頼感をもって受けとめるのです。
ところで、自分自身の声をきき、内部感覚を感じ、自分自身になるために、いつでもどこでもできるいちばん簡単な方法は、肩の力を抜いて、ゆっくりとすわってみることです。
ゆったりとしながら…自分の中に湧き起こってくるいろいろな気持を、『ああ、なるほど』と、静かに感じ、見ていく余裕をもつことです。…
自分の声を聞いている。自分の中に起こる状態の在りのままの姿を素直に見ているのですから、いちばん正直であり、最も倫理的な姿であると言えます。倫理の根本は自らを欺かないことです。自らの内なる声に、内部感覚に素直に耳を傾ける、ここからほんとうに自分にとっての正直な行動、落ち着いた態度が生まれてきます。…
自分の内部感覚を尊重し、生命の声に気づいて、その上で自分自身の眼をとおして社会や文化を眺め、人間の生命をほんとうに生かすものかどうか判断し、感じとっていかなければ「ならないと思います。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)
順番としては、まずお父さん自身が、自分の時間を持ち、内部感覚を磨いて、自分の中の生命(いのち) の声を聴けるようになること。それがあってはじめて、自分の生命(いのち)を本当にいかすことができるようになります。
「倫理の根本は自らを欺かないことです。」
なんと深いことをさらりとおっしゃるのでしょう。
倫理=ひとの道とは、自らを欺かないで生きること=自分の生命(いのち)を本当にいかして生きることなのです。
そしてそういう「感じる力」を持って、今度は、子どもと「行動を共にする」時間を持つこと。
そうすると、ひとつには、子どもはこのお父さんの内面の変化・成長を感じ取ります。それが子どもに影響を与えることは間違いありません。
そしてふたつには、お父さんは、自分の中の生命(いのち)の声を聴けるようになるだけでなく、子どもの中の生命(いのち)の声も聴くことができるようになります。そうして子どもの生命(いのち)を本当にいかすことも可能になってくるわけです。
やはり親子の成長は同時なのです。