「子どもは自分が生んだのだ、自分たちがつくったものだと考えるところから、いろいろと間違いが発生してきます。私の子ども、“私たちのもの”だから私たちの自由に育てよう、私の自由にしてもよい、と自然に、気がつかぬうちに物と同じように所有し支配する考えが生じてきます。恋人や夫婦の場合でも、『あなたは私のものよ』とか、『もうお前は俺のものだ』とか、普通の男女関係でも言うことがありますが、その途端に愛は転落します。愛が所有欲に変化するのです。自分が愛した者(人間)が物になってしまう。者が物になってしまいます。…
ノイローゼというのはいろいろ言われますが一言で言えば、子どもを自分の物だから大切にしたいと物扱いにしてしまって、人間としての能力を伸ばすことを忘れてしまうことから起こってくることが多いのです。子どもにとっては非常に不幸なことです。別に人間として発達しなくても、お父さん、お母さんにとってよい子であればよい。つまり親がある独断的なイメージを持って子どもをこういう人間にしようと強制し、押しつけようとすることから起こっているのです。…
しかし、もし親が、生命の不可思議なことをほんとうに感じ、子どもの生命は自分にたまたま授かったものと考えていれば、こんなふうに言えるでしょう、『私たちはお前を、こんな人間に生もうとか…性格をどうしようとか、前もって考えて自分勝手に生んだのではないのです。お前という生命を授けられて、それで責任をもって育てることになったんです。だからこそお前を大事にもするし、お前の生命が健やかに成長するようにいろいろと考えもするのです』という具合に落ち着いて話してやることもできます。…
そこでいろいろなことを言う子どもの外形にとらわれず、子どもの中に潜む生命に語りかけるつもりで正直に、誠実に話し合っていけばいのです。親がそういう態度であくまで子どもの中の生命を信じて、それをみつめて語るうちに、おのずから子どもは、そうした親の態度に信頼感を持つようになるものです。
ここにあるのは自分の子どもという一つの大切な生命であります。世界の中で、ただ一つの独自な生命を持っている者がわが子としてここに存在しているという、混じり気のない透徹した眼で子どもを見たいものです。これは英知の眼であると同時に、愛情の眼であり、生命に対する知恵と愛がそこにあるのです。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)

 

小さい子どももダダこねをし、言うことをききません。
もう少し大きくなると、さらに主張は強くなり、なにかと反発して来ます。
思春期になると、体も大きくなり、口も立ち、その生意気さはピークに達して来ます。
生活全般を親に依存しているくせに、その態度にはチョーむかつきます。
しかし、それだけなら、子どもと子どもの喧嘩です。
それで終わりではなくて、本当の大人には、成熟した大人には、智慧と愛があります。

子どもの外側を覆っている我(が)は生意気で腹も立ちますが、それだけではない、子どもの存在の奥底にある生命(いのち)に対して畏敬の念を感じます。
それが生命(いのち)に対する智慧と愛なのです。
親も凡夫なので、相変わらずチョーむかついて、ドッカンドッカン怒りながらも、ふと感情が過ぎ去った後に、子どもの存在の根底にある生命(いのち)に対して、手を合わせて頭を下げたいと思います。
そして、そんなことを続けていると、最初の「チョーむかつき」も、何のやりくりも抑圧も使っていないのに、少しずつ少しずつ小さくなってくるかもしれませんよ。

 

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