「自分探し」という言葉が嘲笑的に使われることがある。

「いつまでも『自分探し』してんじゃねぇよ。正業に就いて働けよ。」

などというセリフはその典型だろうか。
しかし、その人の言う「正業」というのが、糊口を凌(しの)ぐための、人生の時間の切り売りだったりする。
それは、本当の意味での「正業」とは言いません。
その人はイヤな仕事を金のために我慢してやっているだけです。
そして、
そういう“頑張っている”自分を正当化したくって、「自分探し」している人間を非難しているのです。

しかし、「自分探し」している人間にも問題がある。
自分と向き合ってるんだか向き合ってないんだかはっきりしないまま、年ばかり重ねてフラフラしているようじゃあ、非難されてもしょうがないわな。
本気で「自分探し」するのなら、いつまでもお茶を濁していないで、正面から勝負しろよ、ぶつかってぶつかって掴み取れ、ということになる。
自分は本来何者なのか。
今回の人生において自分が果たすべきミッションは何なのか(本当はそれを「正業」というのです)。
「自分探し」というと表現がいかにも軽いが、「本来の自己の面目」となると、古来、人生の大問題であった。

やるなら、そこまでやんなさい。
そうでなければ、嘲笑されてもしょうがないわな。

本気の「自分探し」は、不可避の絶対命題である。

 

 

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