あるダンスと音楽のテレビ番組がある。
一人のヴァイオリニストとトップダンサーたち(大抵は男女二人)が共演する5分間の短い番組である。
そのパフォーマンスは、超絶技巧ともいうべきもので、大いに見応えがある。
代わって、近所の公園。
保育園の子どもたちが先生に引率されて散歩にやってきた。
たまたま公園脇の道路を通りかかった車から大音量で洋楽が流れる。
すると、みるみる子どもたちが踊り出した。
そのダンスの面白いこと!
そこで両者を顧みた。
いかにトップダンサーの踊りであろうと、それがまだ意図的なうちは、この子どもたちの踊りに敵(かな)わない。
どうしてもはからいの臭みがにおう。
しかし、最初ははからいだったものも、作り込んで作り込んで作り込んでいくうちに、最後はすべてを忘れて踊っているときがある。
そうなると、自力を尽くして他力に抜ける。
そんなことが稀に起こる。
そういうとき、なんだか知らないけれど催されて踊らされている子どもたちの踊りに近づく。
「大巧(たいこう)は為(な)さざる所(ところ)に在(あ)り」(『荀子』)
(意図的に(自力で)しないところに人間を超えた(他力の)巧みさが与えられる)
これは踊りだけでない。
生き方の、人生の話。