過日、電車に乗ると、80代と思(おぼ)しきおじいさんが車椅子で優先スペースに乗車していた。
杖を持ち、キャップをかぶっているが、そのキャップに刺繍文字で何やら英語が書いてある。
私が立っている角度からは文末しか見えず、“… not alone.”と読める。
それじゃあ、全文は
“I am not alone.”
か
“We are not alone.”
だろう。
そうだよ、じいさん。あんたは一人じゃないよ。
…と思っていたら、なんと全文は、
“You are not alone.”
であった。
孤独な立場に見えるじいさんが、自分以外の人にメッセージを発していたのである。
昔、子ども専門病院で研修を受けて来た知り合いの医師が、そこに入院していたアメリカ人少年の話を聞かせてくれた。
重体で余命幾ばくもない少年は、研修が終わり、別れを告げに行った知人に、声にならない声で何かを言ったそうだ。
傍らの看護師さんに訊くと、少年は
“May God bless you.”(あなたに神の祝福がありますように)
と絞り出すように言ったのだという。
涙目で「自分は祝福されていないのに、オレに向かってそう言ったんだよ。」と言う彼に私は反論した。
その少年を通して働く力がそう言わせたんだから、そのとき彼も祝福されたんだよ。
翻って、あのおじいさんはどうだろうか。
あのおじいさんもまた、自分を通して働く力によって“You are not alone.”というキャップをかぶったとき、同時に自分はひとりではないことを感じたのだと思う。
時にそんな力が働くことがあると私は思っている。