対人援助やコミュニケーションの場面で
「こういうときにどう言ったら良いんですか?」
「こういうときにどうしたら良いんですか?」
と訊かれることがある。
申し訳ないが、求められた答えを言うわけにはいかない。
私ぐらいのキャリアになれば、その場にうまいこと対応する言動の引き出しがないわけではない。
しかし、安易にそれを教えることは、質問者を小手先のつまらない人間に堕落させることになる。

私は、セリフや行動といった「形」ではなく、その「出どころ」、即ち、どういう思いや姿勢の根源からその言動が出ているかを徹底的に重視している
どんな言動が出ようと、その「出どころ」に
相手の生命(いのち)への畏敬の念があるか
相手の存在への愛はあるか
それが根本的に重要なのであり、
それさえあれば、「形」=言動は二の次、三の次ということになる。

何故ならば、相手からその「出どころ」を観抜かれるからである。

荒い言葉使いに愛情いっぱいのときもある。
丁寧な態度に侮蔑の念満載ということもある。
そういう経験、ありませんか

最近のハラスメントの基準などは、この「形」に偏っている。
こういう言葉を使ってはいけない。
こういう態度を取ってはいけない。
「形」しか基準にできないというのは、「出どころ」を感じ取れない鈍感な人用の基準だからである。
確かに客観的「証拠」としては「形」しかないわな。

そうではなくて、
相手の存在の根本に対して、手を合わせて頭を下げる姿勢で臨みたいものである。
相手も表面は、塵や埃や泥や神経症的なものに覆われているかもしれない。
それを拝む必要はない。
嫌悪感を抱いたり、怒りを覚えても構わない。
しかしそれでも相手の生命(いのち)に対しては合掌礼拝(らいはい)するのである。

それが私が近藤先生から学んだ大事な教えである。

 

 

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